フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
Posting of comments like the following will be declined:
・Comments other than Japanese.
・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
いずれリンク切れになってしまうかもしれませんが、
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/rugby/2022/01/10/post_4/
この記事の内容が好きです。
「正解はひとつではない」こと。
「当たり前を疑う」こと。
いずれも大事な視点だなぁと。
もちろん、「すべての当たり前を疑え」と言いたいわけではなく、「○○と言われているけれど、本当なのかな?」と考えて、あれこれ試してみて、その結果自分に合う答えを導き出せばいいのではないか。その意味でも、正解はひとつではないということ。
記事を読みながら、ふと思い出しました。
中学生のころ、たまたま、同級生に会いました。
「ずっと、何してるの?」
中学校に行っていなかった私を見かけたので、声をかけてくれたのでしょう。私は、しばらく考えて、
「うん、学校に行かないことで見えてきた人生とか、考えてた」
なにそれ~、と同級生は笑いましたが、その瞬間、「ああ、この人にとって学校に行くということは疑いもしない当たり前なんだな」と思ったものです。
行って当たり前だと思っていた学校に行けなくなったことで、みんなができていることができないなんてと自分を責めたこともありましたが、一方で、いじめを苦にした生徒の自殺のニュースを聞いたり、その他学校に関するニュースを耳にするたび、「学校って本当に安全なのだろうか」と疑う気もちも持ち始めました(当時は「学校なんて見るのもいや」という気もちが強かったので、自分の中で「学校が悪い」ということに結論付けておけば自分が保たれるという意味で、何かにつけて学校を疑っていました)。
学校という場の中にいたら、「果たしてそれは本当にそうなのか?」と疑う気もちを持たないまま、ずっといたかもしれません。
ゆがんではいるかもしれないけれど、「当たり前に対して疑問をもつ」という姿勢を教えてくれたきっかけでした。
考えてみた結果、「当たり前をそのまま信じてみる」という答えでも、全然いいんです。「これが当たり前だから」ではなく、「なんで当たり前なんだろう?」って考えてみることで、ちがった考え方が生まれてくるかもしれない。正解はひとつでなくてもいい。あるいは、正解が誤答になる場合だってありうる。
時にマニュアルも大事だと思いつつ、かといってマニュアルだけのガチガチもちがうと思いつつ、「自分で考えて行動する」こととのバランスの取れた、しなやかな状態でいたいなと思わせてくれるエピソードでした。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/rugby/2022/01/10/post_4/
この記事の内容が好きです。
「正解はひとつではない」こと。
「当たり前を疑う」こと。
いずれも大事な視点だなぁと。
もちろん、「すべての当たり前を疑え」と言いたいわけではなく、「○○と言われているけれど、本当なのかな?」と考えて、あれこれ試してみて、その結果自分に合う答えを導き出せばいいのではないか。その意味でも、正解はひとつではないということ。
記事を読みながら、ふと思い出しました。
中学生のころ、たまたま、同級生に会いました。
「ずっと、何してるの?」
中学校に行っていなかった私を見かけたので、声をかけてくれたのでしょう。私は、しばらく考えて、
「うん、学校に行かないことで見えてきた人生とか、考えてた」
なにそれ~、と同級生は笑いましたが、その瞬間、「ああ、この人にとって学校に行くということは疑いもしない当たり前なんだな」と思ったものです。
行って当たり前だと思っていた学校に行けなくなったことで、みんなができていることができないなんてと自分を責めたこともありましたが、一方で、いじめを苦にした生徒の自殺のニュースを聞いたり、その他学校に関するニュースを耳にするたび、「学校って本当に安全なのだろうか」と疑う気もちも持ち始めました(当時は「学校なんて見るのもいや」という気もちが強かったので、自分の中で「学校が悪い」ということに結論付けておけば自分が保たれるという意味で、何かにつけて学校を疑っていました)。
学校という場の中にいたら、「果たしてそれは本当にそうなのか?」と疑う気もちを持たないまま、ずっといたかもしれません。
ゆがんではいるかもしれないけれど、「当たり前に対して疑問をもつ」という姿勢を教えてくれたきっかけでした。
考えてみた結果、「当たり前をそのまま信じてみる」という答えでも、全然いいんです。「これが当たり前だから」ではなく、「なんで当たり前なんだろう?」って考えてみることで、ちがった考え方が生まれてくるかもしれない。正解はひとつでなくてもいい。あるいは、正解が誤答になる場合だってありうる。
時にマニュアルも大事だと思いつつ、かといってマニュアルだけのガチガチもちがうと思いつつ、「自分で考えて行動する」こととのバランスの取れた、しなやかな状態でいたいなと思わせてくれるエピソードでした。
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たまたま、数年前のあるノートを見返したとき。
そのときの私、「今月できたこと」が、想定していた1割でした。
その前にしなきゃと思っていることを書き出し、それに対してどのぐらいできているか、の評価が1割。とてつもなく低い数字でした。
言い訳をするなら、そのときはちょうど第二子妊娠中。人によるかもしれませんが、私の場合、2人目のときは吐き下すことはなく、ただひたすら、気力がずどーんと落ち込みました。倦怠感というのとも、またちょっと違った気がします。
何より大変だったのは、自分だけなら体調が悪くても何とかなるけれど、第一子はそうはいかない。私が体調悪かろうがなんだろうが、お腹がすけばお腹すいた! と要求してくるので、
「お母さんは食べたくないの!」
を理由に作らないわけにもいかない。
結果、レンジであたためてすぐに食べられる、冷凍のピザ。
そのときの私、とにかく「あれもやらなきゃなのに」「でも実際、思っても体動かない」「でもやらなきゃ、やらなきゃ」と思っているうちに1日が終わり、ご飯も作れず、家事も思うようにできず、ずどーんと落ち込んだまま、また次の日も、という日々でした。
ノートに書いてあった「しなきゃと思っていること」。
・そうじ
・片付け
・栄養バランスのとれたご飯づくり etc.
(項目は他にもありますが、ひらがな・漢字のちがいは原文ママ)
これらができてないなと思って、評価が1割。1割でも実は高めに見積もったぐらい。
それに対して、他の人から。
「掃除は、どんな掃除?」
「う~ん、とにかく全体」
「片付けは?」
「とにかく雑然としているので・・・」
「ご飯は?」
「とにかくしんどいので、作るに作れないけれど、でも子どもにも、好き嫌いのないようにしたいし・・・」
「でも、現状できてなくて悩んでるんだよね? もっと細かくしてみたらどうだろう?」
その人や周りの人が教えてくれた方法は、こう。
「全体を掃除しようとすると大掛かりになって大変かもね。今日はここ、明日はここ、ってわけて掃除したり、ちょっと机の上を拭いたりホコリがかぶっているところを拭くのも、掃除だよね」
「掃除や片付けをしないと、命に関わる? そうでないなら、今は目をつぶって、あまり無理せず動けるようになるまではゴメン! っていうのも、ありかも」
「ご飯も、栄養バランスよりも前に、最低限食べる事はできているんなら、まずは何が大事かということだけ見失わなければ、今はそれでいいんじゃない? 栄養バランスは、最低限の『生命の保持』ができてからの話で」
大きく考えてできてない! と思うのなら、そのできていないことを小さくして考えよう、と教えてくれました。
しんどくて横になっていても、手の届く範囲ならガリバー状態でも何とかできるかも。
ちょっと調子がいいなら、棚のホコリぐらいなら拭けるかな。
今積み上げられている紙類を分けてファイリングしたりするのも、座ったままでできる「片付け」だよな。
食事のバランスも大事! だけどもっと根幹の大事なことは、命を保つということだ!
と思ったら、少し気もちがラクになって、「あれもできてない」「これもできてない」と、「ない、ない!」で必死だったのが、「小さいけれど、あれもできてる、これもできてる!」と、気もちを少し、前向きにすることができました。
問題は分けて考える。
他の人がしてくれたのは、この過程。
もっと突き詰めてやる場合は、問題点や課題が出てきたら、
・その問題点が、なぜ問題点なのか。
・それは本当に問題点か? 別の考え方ができないか?
・この問題点を、どうしたいか(考えないことにする、先延ばしするなどの向き合い方も可)
⇒今向き合う! のなら、どうやって問題を問題でなくする?
ここで、「分ける」という作業が出てきて、
・場所で分ける
・時間や期間で分ける
・人手で分ける
などの方法を提示してくれたわけです。
「将来の目標なんて何もないや」
と、言う子どもがいます。別に悪いことだとは思いません。早く決めてそれに向かうのもアリだし、成長するにつれて見つけていくのもアリだし、もしかしてずっと探し続けて、今考えた道と違う方向へ進路を変えているかもしれないし。
もし、目標がないことに問題に感じているのなら、「将来」という漠然と大きなものでなく、「1ヵ月後」「1年後」「○歳」は、こんな自分、これができるようになっている自分、分けて考えていくと、何か見えてくるかもしれないな、と、ふと思いました。
昨日は大阪市内でも雪がちらついた時間がありました。確かに、いつもの寒さとは何だかちがったなぁ。外側から容赦なく冷やす感じの空っ風は対応できるんですが、雪国の内側からジンジン冷やす感じは、今なら冬が好き! と答える私でも、寒い! と感じずにはいられませんでした。
夏は北海道で、冬は沖縄で暮らそうよ、なんて言っていたのが懐かしい(笑)
新型ウィルス、昨日の大阪の新規感染者数は、一気に1700人台までに増加しました。おとといから新学期だった学校も多いようで、あれ? いつかもこんなことなかったっけ? と、2学期が始まった直後のことを思い出しています。
寒いので暖房等をつけっぱなしにしたいところですが、できるだけの感染対策上、窓を開けることがあります(暖房の使用上の注意点「換気」の意味でも)。少しのあいだ皆さんに我慢を強いることになりますが、何とぞご了承いただきまうよう、お願いいたします。
フリースクール「ラヴニール」、新年に入って少しずつ動いてはいましたが、2022年は今日から活動再開。ブログも同様に再開していきます。
改めましてご挨拶。本年もよろしくお願い致します。
「あけましておめでとうございます」としなかったのは、松の内っていつまでだっけ?と調べてみたら、関東と関西で風習がちがうそうで(7日と15日)、ひとまず10日も過ぎれば、新年だヤッホー! という感覚も薄れるか・・・、と、あえてつけませんでした。
松の内、といえば。母が言うに祖母経由で知ったそうなんですが、「松の内は針を持つものではない」と言われてきたそうで。この言われについても諸説あるようですが、「女の人も新年ぐらい針仕事を休んだら?」というのが、私としては納得がいった説。
真意のほどは不明ですが、昭和一桁世代の祖母から針仕事大好きな母への意地悪、というわけでは、どうやらなさそうです。
ただ母は何でも「だって、○○が言うから」などと、「本当にそう?」などと疑うことはしなかったように思います。ので、ただひたすら、かたくなに針を持つことをしませんでした。学校関係で、どうしても家で針作業が必要というときでも、
「だって、松の内は針は持っちゃいけないって」
「おばあちゃんは、2月ぐらいまで針を持ってなかった」
と、事あるごとに言い訳をし、最後の最後まで針を持つことを渋っていたような・・・。
いや、その物がないと困るのに、言われ優先って。てか、そんな理不尽な言われ、(当時は)聞いたことないし、と、呆れていたように思います。
さて、私は。そういう言われがあるんだと頭の隅に置きつつ、必要なら松の内だろうが針を持つさ! というところですかね。実際今年に入ってからも、子どもの手袋に開いた穴をふさぐため、7日よりも前に針を持ってます。
言われを守っていくというのも大切だけど、時代時代に合わせてのアップデートも必要かな、とも思っています。
と、余談がだいぶ長くなりましたが。
今年は、個人としてもフリースクールとしても、「アップアップ」で行こうと思います。いえ、行きます!
溺れているわけではなく(笑)、個人ではスキルアップ、フリースクールも関係してくる部分としては、様々な物事のバージョンアップ。「~と思う」ではなく、「行きます!」と宣言することで、その目標へ向かうマインドは強くなります。2022年が終わるころに振り返ってみて、「今年はあがったぞ~!」ってはっきり言っている姿を思い描きながら、向かっていきます。
というわけで、今日は新年一発目。この後の活動内で、書初めでもしようかしら。
改めましてご挨拶。本年もよろしくお願い致します。
「あけましておめでとうございます」としなかったのは、松の内っていつまでだっけ?と調べてみたら、関東と関西で風習がちがうそうで(7日と15日)、ひとまず10日も過ぎれば、新年だヤッホー! という感覚も薄れるか・・・、と、あえてつけませんでした。
松の内、といえば。母が言うに祖母経由で知ったそうなんですが、「松の内は針を持つものではない」と言われてきたそうで。この言われについても諸説あるようですが、「女の人も新年ぐらい針仕事を休んだら?」というのが、私としては納得がいった説。
真意のほどは不明ですが、昭和一桁世代の祖母から針仕事大好きな母への意地悪、というわけでは、どうやらなさそうです。
ただ母は何でも「だって、○○が言うから」などと、「本当にそう?」などと疑うことはしなかったように思います。ので、ただひたすら、かたくなに針を持つことをしませんでした。学校関係で、どうしても家で針作業が必要というときでも、
「だって、松の内は針は持っちゃいけないって」
「おばあちゃんは、2月ぐらいまで針を持ってなかった」
と、事あるごとに言い訳をし、最後の最後まで針を持つことを渋っていたような・・・。
いや、その物がないと困るのに、言われ優先って。てか、そんな理不尽な言われ、(当時は)聞いたことないし、と、呆れていたように思います。
さて、私は。そういう言われがあるんだと頭の隅に置きつつ、必要なら松の内だろうが針を持つさ! というところですかね。実際今年に入ってからも、子どもの手袋に開いた穴をふさぐため、7日よりも前に針を持ってます。
言われを守っていくというのも大切だけど、時代時代に合わせてのアップデートも必要かな、とも思っています。
と、余談がだいぶ長くなりましたが。
今年は、個人としてもフリースクールとしても、「アップアップ」で行こうと思います。いえ、行きます!
溺れているわけではなく(笑)、個人ではスキルアップ、フリースクールも関係してくる部分としては、様々な物事のバージョンアップ。「~と思う」ではなく、「行きます!」と宣言することで、その目標へ向かうマインドは強くなります。2022年が終わるころに振り返ってみて、「今年はあがったぞ~!」ってはっきり言っている姿を思い描きながら、向かっていきます。
というわけで、今日は新年一発目。この後の活動内で、書初めでもしようかしら。
昨日はお休みをいただき、某市へお出かけをしてまいりました。その市の学校現場にいらっしゃる先生方と、某市周辺のフリースクールとの懇談の場でした。
団体の活動の様子を紹介してください、と言われて、見事に間際になってあーでもない、こうでもないと悩ませて(それならもっと前からやっとけよ、という話)、こんな内容にしようかな? と想定していったのですが・・・
想定以上だった!
フリースクール「ラヴニール」として、学校が悪いとか嫌いとかいうわけではないんです、お互いにできること・そうでないことを補完しあっていきましょうよ! というスタンスでいったら・・・
もう構築されてた!
ちょ、ちょい待て。連携が難しいなんて、誰が言ったの。
というか、ここまでの連携ができているなんて、ごめんなさい、想定していなかった・・・
ので、的外れな紹介になっちゃった(汗)
あ~、あれも話したかった! あの言い回しはどうだったんだろう? 連携を呼びかけるんじゃなくて、うちではこんなふうに、ということをもっと入れたらよかった! と、後悔しっぱなしですが、今ここでわかってよかったとしましょう!
となると、次の作業が見えてきました。
ごまかしごまかしやっていたホームページやチラシの見直しだな。
いや、たまたま、この某市がそうなだけ、かもしれません。
たとえば、自治体によっては行政からフリースクールに資金がおりていたり(という話を、伺ったことがあります)、かと思えばフリースクールと学校でバトルになってます! なんていう話を見かけたり。
連携がうまくいっている例も、難しい例も、その幅って本当に大きい。
教育機会確保法が成立するか、したかどうかのころ。たまたま行政の立場の方とお会いしたことがあるのですが、「さて、どうしようか」といった戸惑いが、まだまだ感じられました。その現場での戸惑いから、これだけのブレ幅が生じているのかもしれませんが、年月を経て、戸惑いながらも確実に「よりよくあるにはどうしたらよいのだろう?」といった方向に進んでいるな、と、感じられました。
そういえば、だいぶ昔の話にはなるけども、学校に行かない子どもや家庭への対応が、他の地域の人から伺うとぜ~んぜんちがったり、「学校に行けない・行かないことへの地域性」に興味をもったこともあったなぁ・・・
今振り返ってみても、熱気がものすご~~~~く感じられる場所でした。改めて、フリースクール「ラヴニール」として何ができるだろうか? と考えるきっかけになりました。
個人的には、久しぶりの遠出。帰りにちょっと珍しい?電車を見かけ、しまった、カメラ準備しておくんだった・・・、と、目的とずれたことを思ってしまいましたとさ。
昨日は活動がお休みだったということで、ブログもお休み。一応ブログは連続更新中ですが、「活動日は」という隠れた条件をつけております。年内も、もしかしたら突発的にどこかで更新するかもしれませんが、活動自体は明日まで(早いな!)。
継続は力なり! と信じて、内容があるかはわかりませんが、がんばって投稿していきます~!!
団体の活動の様子を紹介してください、と言われて、見事に間際になってあーでもない、こうでもないと悩ませて(それならもっと前からやっとけよ、という話)、こんな内容にしようかな? と想定していったのですが・・・
想定以上だった!
フリースクール「ラヴニール」として、学校が悪いとか嫌いとかいうわけではないんです、お互いにできること・そうでないことを補完しあっていきましょうよ! というスタンスでいったら・・・
もう構築されてた!
ちょ、ちょい待て。連携が難しいなんて、誰が言ったの。
というか、ここまでの連携ができているなんて、ごめんなさい、想定していなかった・・・
ので、的外れな紹介になっちゃった(汗)
あ~、あれも話したかった! あの言い回しはどうだったんだろう? 連携を呼びかけるんじゃなくて、うちではこんなふうに、ということをもっと入れたらよかった! と、後悔しっぱなしですが、今ここでわかってよかったとしましょう!
となると、次の作業が見えてきました。
ごまかしごまかしやっていたホームページやチラシの見直しだな。
いや、たまたま、この某市がそうなだけ、かもしれません。
たとえば、自治体によっては行政からフリースクールに資金がおりていたり(という話を、伺ったことがあります)、かと思えばフリースクールと学校でバトルになってます! なんていう話を見かけたり。
連携がうまくいっている例も、難しい例も、その幅って本当に大きい。
教育機会確保法が成立するか、したかどうかのころ。たまたま行政の立場の方とお会いしたことがあるのですが、「さて、どうしようか」といった戸惑いが、まだまだ感じられました。その現場での戸惑いから、これだけのブレ幅が生じているのかもしれませんが、年月を経て、戸惑いながらも確実に「よりよくあるにはどうしたらよいのだろう?」といった方向に進んでいるな、と、感じられました。
そういえば、だいぶ昔の話にはなるけども、学校に行かない子どもや家庭への対応が、他の地域の人から伺うとぜ~んぜんちがったり、「学校に行けない・行かないことへの地域性」に興味をもったこともあったなぁ・・・
今振り返ってみても、熱気がものすご~~~~く感じられる場所でした。改めて、フリースクール「ラヴニール」として何ができるだろうか? と考えるきっかけになりました。
個人的には、久しぶりの遠出。帰りにちょっと珍しい?電車を見かけ、しまった、カメラ準備しておくんだった・・・、と、目的とずれたことを思ってしまいましたとさ。
昨日は活動がお休みだったということで、ブログもお休み。一応ブログは連続更新中ですが、「活動日は」という隠れた条件をつけております。年内も、もしかしたら突発的にどこかで更新するかもしれませんが、活動自体は明日まで(早いな!)。
継続は力なり! と信じて、内容があるかはわかりませんが、がんばって投稿していきます~!!
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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