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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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 知人にこの本の紹介をしたので、ついでに。
 私がいつでも手にとって読みたい本のひとつで、他の本は本棚にまとめて収納されているのに、この本を含む何冊かは、机そばの小さな本棚にあります。
 
 勉強するのは何のため?――僕らの「答え」のつくり方――
 苫野一徳 日本評論社 2013年
 

 
 勉強なんて何のためにするの? と思ったときに、何て答えます??
 
 著者は「<自由>になるための力」と、著者なりの答えを導き出しました。
 私もこの考えには「ほぼそう思う」と感じています。
 
 <自由>になるため。<自由>というのは、著者が思う答えとして、「生きたいように生きられる」ことだそうです(自由についているカッコ<>は、文中ママ。言葉としての自由と、実感としての、<自由>で区別されている)。
  
 この答えについては、「唯一絶対の正解なんてない」と銘打ったうえで、あくまで著者自身が出したもの。まったく同じだというのもありなのでしょうが、考えるべきは「自分なりの正解」だと。
 
 なので私は、私なりの答えとして、子どもに「何で勉強しなきゃいけないの?」と尋ねられたときには、下記のようなことを頭に入れて伝えるつもりでいます。

 「力」が、犯罪性を帯びたものであっては困るけれど、たとえば見識をより深めるための「力」、何かを楽しむための「力」、人と関わる上での「力」・・・。
 これらは「権力」とか「暴力」ではなくて、人生をよりよくしたり、より知識を深めたり、経験を豊かにしたり、学べば学ぶほど、つながる道もまたそれだけ、多くなる。
 だから、できるだけひとつのことじゃなくて、いろんな物に触れてほしいし、いろんなことを疑問に思ってほしい。たくさん知れば知るほど、自分が困ったときでも、逆に誰かが困っているときでも、そうでないときでも、「人を大事にする」「自分を大事にする」ことにつながると思うから。
 
 私にとって勉強とは「ずっと続けるもの」。学生という時代を過ぎても学ぶことはたくさんあります。節目、節目をひとつの目標と設定してゴールにするのもいいと思うし、これももちろん、考え方としては人それぞれなので否定はしませんが、あくまで私にとっては、ずっと続けるものだという答えを持っています。
 
 
 
 あ、先ほどの子どもに伝えるなら、の部分。
 もちろん、こんな難しくは言いません、もっと噛み砕いていうつもりですよ!
 その前に私のグダグダ長い話をきいてくれるかしら(笑)
 
 
 ★ 文中の太字部分は、著書内からの引用です。斜体がうまく表示できない・・・
 
 
 

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★ 登場する人名については、敬称を省略しています。
 
 
 先日のお休みの日。公園に、子ども(自分)を連れて遊びに行ったとき。注意書きの看板に書かれたひらがなだけを読む上の子、その看板の読点や結び(ひらがなの「す」や「な」の丸くくるっとなった部分)を指差して「まる~!」と言う、下の子。
 
 同じ看板でも、楽しみ方はそれぞれ。そして上の子は、いつの間にかすらすらと文を読めるようになっています。
 数年前は、同じ看板で一文字ずつ指で押さえながら読んでいたのに。
 
 本当に、「気がついたら」字を覚えていました。
 
 最初は、標識の「とまれ」の字を見て、「あっ、○○の○!」と、自分の名前にある字を見つけていました。それも、字と読み方とを間違えて。
(伏字にしている関係上ややこしいですが、名前が「けんと」だとして、「と」を、「けんとの『け』!」と読む、そんな感じです)
 
 そこから、自分の名前に使われている字を正しく読めるようになり、並行して友達に使われている字も覚え始め、今ではひらがな、カタカナはマスターし、漢字も、1つの読み方だけだけど読めるものもあります。

 書くのはまだ不安なようで、それでも書けるようになりたいと、「ほん(本)をみてやればいいんだ!」と、一生懸命見ながら練習しています。
 
 日常当たり前に使っている文字を、こうやって習得していったんだなぁと気づかされます(あくまで方法のひとつとして)。
 
 そんな中で起こった事件。
 
 野球が好きな上の子は、野球選手のお名前から漢字を覚えていたようで、「金」であれば「金本(かねもと)の『かね』」、「大」であれば「大山(おおやま)の『おお』」、「紅」であれば「紅林(くればやし)の『くれ』」と覚えたようです。
 
 なので、こんな間違いが・・・
 
「かねメダル」(金メダル、きんめだる)
「おおなんとか」(大回転、だいかいてん。「回転」はまだ読めない)
「くれちゃ」(紅茶、こうちゃ。「茶」は読めたらしい)
 
 そう読んだか! と、思わずうなってしまいました。もちろん正しい読みも教えましたが、「漢字はひらがなやカタカナとちがって、ひとつの字で様々な読み方がある」ことを、今は勉強中です。
 
 日常の中で字について学んでいる上の子は、あまりやり過ぎない程度にと、テレビゲームもやり始めています。このブログでも何度か登場している、すごろくであちこち移動して目的地を目指し、その過程で途中の「物件」を購入して最終資産を競う、あのゲームです。
 
 まだまだアドバイスは必要だけど、がんばってやっています。
 
 このゲームの中には、地名はもちろん、その土地の名産品も出てくるし、国旗を見てどこの国か当てるクイズや、漢数字が使われている四字熟語に正しい漢数字を当てはめるなどの問題も登場します。
 
 こちらについては、学んでいるというより、まだまだ遊んでいるのほうが強そうです。でもそうやって、気がついたら覚えていた、そして忘れないというのが、このゲームの不思議なところ。ずっと忘れずにいられるのって、何でなんでしょうね?

(ちなみに私と旦那は、そのゲームのマップを見て、「ここ物件になってないけど、○○につながっているってことは、○○駅だよね?」「××駅と△△駅の間ってことは、どっか有名な地名、あったっけ?」なんて話すことがあります。ええ、2人とも旅好きです)
 
   
  
 このゲームの関係でいえば。
 先日子ども(私の子ではないです)が、
「ピーマンの袋に、宮崎産って書いてあった! ゲームでピーマン畑って出てきたのも宮崎だったし、本当だった!」
 と、興奮したように言ってきました。
 
 街中にあるものでも、ゲームでも、先日のようにおひなさまの飾りつけから「どうして?」と思うのも。ただ覚える! のも、ひとつの方法としてはありだと思うけれど、何かと一緒に関係づけて広げたり、これっておもしろい! と思ったものから進めていくのも、私は楽しい学び方だと思います♪
 

 我が子が毎日着ていく制服、冬は寒いので、靴下だけでなく、足首までのタイツも併用しています。いつも翌朝分の着替えとカバンに入れるものだけ出しておいて、当日の朝、準備のときに子どもが自分でカバンに入れるものは入れ、着替えも用意してあるものを着て、というシステムです。
 
 (4月以降、自分でやってもらう範囲を増やそうと、少しバージョンアップの予定)
 
 行事によっては、制服でなく体操服で登園することもあり、体操服も、寒いときは半袖と長袖を重ねて着たり、ズボンの下にタイツをはいたりしています。
 
 このタイツは、園内は暖かいので脱いでいるそうです。
 
 今朝、体操服で登園だった子ども。いつものようにタイツも一緒に置いておいたのですが、着替え終わっても半袖の体操服と一緒に置いてあるままでした。
  
「あれ? タイツいらなかった?」
 
と尋ねたところ、
 
「うん、だってあったかいもん! ○○(子どもの名前)がえらんできめるんだ~」
 
 同じ理由で、半袖体操服も着なかったとのこと。そっか、自分で考えてそうしたわけね(^^ 自分でそうしようと思ったんなら、それでいいと思うよ☆
 
 
 と、このときは素直に思えたのですが・・・。
 
 あるとき、手拭タオルが置いたままになっていました。手拭タオルは、毎朝カバンに入れるもののひとつです。
 
「あれ? 手拭タオル置きっぱなしだよ?」
 
と尋ねると、
 
「ちゃんといれたもん」
 
と、子ども。靴下や下着類を入れておくカゴから出して入れた、と言います(カバンに入れておく用として出す前は、カゴの中にまとまって入っています)。
 
 でも、いまいち信じることのできない私。
 
「本当に入れた? カバンの中見せてよ」

と疑ってみたり、苦し紛れ?に、
 
「入れたんなら、いいよ。本当は入れてなくて困るのは○○だし」
 
と、ここでも「入れた」と言うのを信じられなくて、捨て台詞を吐いたり・・・。
 
 
 
 自分で選ぶのを後押しするってムズカシイ、と、こんな小さいことでも思ってしまいます(汗)
 
 
 
 
 



 考えていたら、結局キリがなくなりました、という話。
 
 朝起きて、食事をして、身なりを整えて、出かけて、帰ってきて、食事して、身なりを整えて、寝て。
 
 途中の具体的なところは省きましたが、毎日こんな感じでいつも同じだよ、という人。
 
 本当にそうですか??
 
 朝起きる時間が、7時だとしましょう。
 その時間、冬至やお正月ごろであれば、大阪はまだ日の出前。今日の日の出の時刻は6:36とのことだから、日の出よりもあと。
 帰ってきて夕方道を歩いている時間が、5時半ごろだとしましょう。
 その時間、冬至のころであればすでに真っ暗。大阪は、今は西の空に夕焼けが残っている時間帯。
 
 毎日変わり映えしないなぁと思うような日々でも、少しずつ少しずつ、どこかで何かは変わっているもの。そう考えたら、日々同じ、なんてことはないんです。
 
 ここにその日の体調、気分、暖かかったのか、寒かったのか、晴れていたのか、雨が降っていたのか、個人のことから環境のことから、すべてをひっくるめて考えたら、同じである確率は、ぐんと低くなりますよね。
 
 そう考えたら、同じ日は二度とこない。
 だけに、その日をしっかり、後悔しないように。
 
 
 本当にそれでいいの?
 
 ある動画を見ていて、「毎日同じことの繰り返しでもう投げ出したいです!」という質問への答え。私よりもずいぶん若い人が言ったこの一言。誘惑に負けちゃうのも私。でも時には厳しくしよう! と思うのも、私。本当にそれで自分は後悔しないだろうか? 後悔しても、明日からまたやればいいや。どう思うのも、私。
 
 後悔したなら、次はどうしたら後悔しなくなる? 後悔をごまかすために自分に言い訳する? それも、私。
 
 昨年の私と、昨日の私と、今の私。どれも同じ私じゃない。なのにどれも同じ私。
 同じなようで、ちがうようで、でも同じで・・・。う~ん、不思議だ・・・。
  


 おはようございます!
 月曜日。まだまだ寒い日は続きますが、少し先の天気予報を見ていると、お休みがあけて週末ぐらいから、暖かくなるのかな? という気配が。花粉症の方は、これからがしんどい季節ですね(T_T) 
 
 まずは、今週も張り切ってまいりましょう!(^-^)9
 
 北京で開催されていたオリンピックが閉幕したようですね。
 
 した「ようです」ね、の通り、実は私、オリンピックや世界大会に、これでもかというほど興味がありません。夏に開催されていた東京大会でさえも、「えっ、金メダリスト? 誰?」というレベルです。野球とソフトボールがメダルを取ったということは、たまたまテレビで見たので知っていますが、程度。 
 
 いつぐらいからでしょう。3位と4位の扱いの差が大きいことが、自分として納得がいかなくなりました。メダルを取れるか取れないかで、こんなにも扱いがちがうんだ、と。
 
 世界の4位ですよ? もっといえば、5位、6位、もっと下の順位でも、世界の○位ですよ? それだけですごいじゃないの! そこまでの個人の努力、そして周囲のサポート、すべて集結して、世界の○位ですよ? 素晴らしいことじゃないですか!!
 
 もちろん、代表になれなかった方のことを否定しているわけではありません。皆さん本当にがんばっているのに、そのがんばりは、恐らくその競技に携わったことのない者としては、想像をはるかに超える世界なんだろうに・・・。
 
 それをいとも簡単に
「あ~っ、メダル取れませんでしたね~、残念!」
と言うのは、何だかちがうなぁと感じるようになってから、オリンピックが私にとってはつまらないものになってしまいました。
 
 重なりますが、もちろん、オリンピックなど世界大会が好きだ、という方がいらしたら、その方のことを否定するわけではなく、それはそれでいいと思いますよ。ひとつの物事に対して、好きな人もいる、嫌いな人もいる、いろんな感じ方をする人がいる。それでいいじゃないですか!! 
 
 あくまで、私は「何だか苦手だなぁ」というだけ。
 なので、子どもがテレビをつけて、見た事のない競技をしているからこのまま見てる! と言い張る子どもと、他のチャンネルに変えたい私とで、リモコンの取り合い・・・にはならず、一緒になって見ていましたが。
 
 競技を純粋に見て楽しむ、というのは好きです。ウィンタースポーツだと、スキーモーグルが好きなので。となると、オリンピックそのものよりも、「その報道の仕方・され方」が嫌なのかもしれません。
 
 
 
 ・・・なんてことを、どの大会のときだろう、以前実家で話したことがありました。
 すると母から返ってきた、こんな言葉。
 
「せめて今どきの話題ぐらい、知っておかなきゃ」
 
  
 それが日々を生きていくために必要なら、今どきの話題を追いかけるようにするわ。今のところ、私にとっては「今どきの話題」は、日々を生きることにちょっと彩を添える存在みたい。日々を生きること優先にしたいから、彩を添えるのは、あとでね。 
 
 今の私なら、昔にくらべてかなりの天邪鬼。笑顔でこう返しているかもしれません。
 
 
 犯罪性のあるものはちょっと考えますが、好き・嫌いは人それぞれ。「あなたはそう思うのね。私は(も)こう思うよ」が、人によって違ったり同じだったりするから、おもしろいのに。他の人にも同じ考えを強制してたら、みんな同じになっちゃうじゃないですか。
 
 好き・嫌いは強制するものではないのにな・・・。
 
 
 
 



プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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