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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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 記録って大事だということを知って、だからというわけではなくてほとんどノリででしたが、「どこまで投稿できるかわからんけどやったるわい!」という感じで始めた、連日投稿。
 
 活動のない日の投稿は原則お休みという前提のもとですが、それまで、投稿しているといったらほぼ「週の予定」だけだったことから比べたら、すごいがんばってる! と、自分で自分をほめておくことにします。
 
 ない頭を一生懸命しぼって「ネタがない~」と言っていたら、「もっと日常のこととか投稿しません?」と言ってくれた、スタッフ。
 投稿したいけど、うち、掲載できる写真ないよ? と言ったら、「それでもいいじゃないですか! 少しはネタを探す時間ができるでしょ?」
 
 何となくですが、ブログ記事の役割分担ができていました。
 
 
 記録をしていくことで、どんなときにどんな感じだったかを振り返っていくことができ、積み重ねることで思考や行動のクセ、譲れないものが見えてくる。そこに、「人との出会い」「自身に起こったこと」が加わってくることで、どういったときに思考(行動など)が変わったのか、変わりやすいのか、どんな影響があったのか、なども見えてくる・・・
 
 画像は、スタッフがやっていたお勉強のメモ。ノートの端に書いてあった(らしい)ものを、お願いしたらデータにしてくれました。
 
 
★スタッフより補足
 
科目名で何の勉強をしていたか、わかってしまう方もいますよね(汗)
どんなところがわからなかったかメモしておくことで後で復習する時にも役立ったし、何度も繰り返していると、だいたいどのぐらいの時間でどのぐらい進められるかもわかってきたので、「いつまでにどのぐらい進める」と、将来の見通しも立てられるようになりました。計画どおりできないことのほうが多かったですが、どこでうまくいかなかったんだろう? と見直すときにも記録が役立ちます。記録って本当に大事です!

(補足ここまで。トリミングしましたが、左端には日付が記入してありました)
  
 ブログと勉強とはちょっとちがってくるかもしれませんが、とりあえず記録することって大事なんだと、後押しするように熱弁してくれました。
 
 これからも、長さの割に内容の薄っぺらい記事ですが、続けられる限りは続けていこうと思いますので、何とぞよろしくお願いいたします!
 
 
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「これ、何に見えますか?」
 
 ある講座に参加したとき、1枚の紙に、少し丸みを帯びたフォント、あるいは手描きかな。Mのようなものが描かれた紙を配られて、何に見えるかを話し合ったことがありました。
  
 アルファベットのM、W 数字の3、くちびる、山、2本の指の指先 etc.
 
 この他にも、もっと様々な意見が出たように思います。
 
「じゃあ、次。もし私が、『すみません、私、某ハンバーガー店の者ですが、これ、何に見えますか?』と言って同じものを見せられたら、どうなりますか??」
 
 そう言われた瞬間、私には某ハンバーガー店のマークにしか見えなくなってしまいまいた。
  
 
 相手の意見を無意識に絞り込んだり、言わせないようになっていませんか? というたとえでした。
 
 もちろん自分にはそのつもりはなくても、
「どうせ○○(相手)なんてたいしたことないんやろ?」
とどこかで思っていると、相手から見たときに「馬鹿にした態度」と見えてしまうこともある。
「そんなことぐらいできるでしょ?」
「え? そんなことも知らないの?」
と思っているうちは、口に出さなくても、相手にとっては圧力に感じてしまい、萎縮して意見を言えなくなる場面が、結構あります。
 
とのこと。
 
「もちろん口に出して言うのは、もってのほかで」
と、講師の方は笑っていらっしゃいました。
 
 以来、「相手の人から見たらどう見えるんだろう」と気にすることが、いい意味で増えました。
 なかなか自分で自分のことは気づかなくて、私自身は相手の方に圧力をかけるなど萎縮させているつもりはないのですが、もしかしたら、圧力などを感じさせてしまっているかもしれません。
 
 その時は笑いながら、「んもう、威圧するようなオーラ出てるわ~」とご指摘ください!
 
 今回の投稿も、自戒を込めて。「自戒を込めて」が続くなぁ(苦笑)
 
  
「いい? 本当はこんなこと言いたくないの。だけど、あなたたちのために言っているの。忘れ物が多いってどういうこと? 早く話し合いをしなさいよ、どうしたらいいか、自分たちで考えなさいよ、クラス長」
 
「話し合っているうちに、今日やりたかった内容ができなくなったじゃない。あなたたちのせいよ。忘れるって、どういう字を書くと思う? 『心を亡くす』。心のないあなたたちのために、こんなに時間を使ってあげたんだから」
 
 少しフェイクを入れていますが、小学校のころの一場面です。その日はたまたま忘れ物が多く、このことが担任の先生の怒りをかったようでした。考えようによってはパワハラでしょ! と思うかもしれない一場面。これが、年に2、3度ほどあったでしょうか。
 
 自分たちでどうしたらいいかと考えろと言ってるのに、これって「話し合いをしなさい」って空気を感じて動いているよなぁ、自分たちで考えるんじゃなくて仕方なく動いているよなぁ。
 話し合いをしろって言ったのは先生で、なのに私たちのせいにされるのか。
 心を亡くす。うん・・・
 
 今だからこそこう思えますが、当時の私は「ものすごくマジメ」でした。だから忘れ物をしないようにと確認をし、それでも忘れたときには本当にこの世の終わりだ! みたいに感じました(今でも、そのときの光景が夢に出てくるぐらいです)。
 そういえばこのときのクラスに、長いこと休んでいる子がいました。持病があって以前にも1ヶ月ぐらい休んだことはあったけど、その年は半年ぐらいに及んでいました。ずっと「それだけ治すの大変なんだろうな」と思っていたけれど、今思えば、学校に来づらかったのかもしれません。
 私も、あんな雰囲気の中で、よく学校に行けていたな・・・(当時は「何が何でも、這ってでも学校に行かなきゃ。学校に行けないのは病気です!」と思っていたぐらい、マジメ(2回目)でした)。
 
 
 似たようなことは、家の中でもありました。

「○○先生(各年代の担任の先生)もよく言ってるから、『もっと協調性があるといいですね』って」
「みんなと同じことができないのが、おかしいんじゃない。だから直しなさいって言っているの」
 
 今なら、本当にその当時の担任が揃いも揃って同じことを言っていたのかとか、家の外ではみんなに合わせた行動をしていても、それでもおかしいって言うのは、家の外での姿を知らないからでしょ? とか言えるのですが、当時の私は本当に絵に描いたようにマジメ(3回目)だったので、本当にみんながそう言っているんだと思っていました。
 
 
 日本の子どもは、自己肯定感が低い。そらそうでしょ、と思います。
 こんな感じで、「あなたたちのせいで」「あなたがおかしい」なんて言われ続けていたら、相手の顔色を伺いながら動くしかできなかったら、どんどん自分を否定する方向へ追い詰めていく。
 
 もうずいぶんと昔の話なので、このような場面はないと信じたいですが、「あなた(たち)のためを思って言ってるの」は、時には言っている人のただの自己満足で終わってしまう、よかれと思っていることが相手を追い詰めることになる・・・「よかれの追い詰め」になる。
 相手に何か言うときは、このことに気をつけて言いたいなと思います(一人の母親として、自戒を込めています・・・)
 

 先日、大阪府フリースクール等ネットワークの総会がありました。
 なかなか深く強く関わることはできていませんが、会議や講演に参加するメリットとして、自分では知らない情報を得るため、という目的をもっています。
 
 こうしていろいろ知っておくことでもうひとつ、「他を知っておくことで、異なる方法での何かを考えることができる」というメリットもあります。
 
 ひとつの組織としてあるまじき行為といえば、あるまじき行為なのですが、話せそうだなと思ったらお話ししている言葉があります。
 
「もちろんラヴニールに来てくれることが、私はいちばんうれしい。でも、フリースクールに限らず他にもいろいろ考えたり相談した結果、他の方法がいいなと思ったのなら、本音を言うと悔しいけれども、その『いいなと思った方法』に進んでみてほしい」
 
 その人にとって「いいなと思う方法」は、私がいいと思うものと同じとは限らないので。少しだけ「悔しいけれど」という気もちもにじませるけれど、でもいちばんは、本人がどうしたいかということ。そこを大切にしていきたいという思いをこめています。
 
 「いいなと思う方法」を常に知っておくために、自分のところでは弱いなと思う部分を補うことができたり、また、悩んだりしたときに、同業の仲間同士で相談したり紹介しあえたり、そういった意味で、ネットワークの力というのは大きいなと思います。
 
12月という言葉の響きからか、それともちゃんと時期に合わせて変わってきたのか、昨日と今日は、大阪も冬! という感じの寒い日になっています。
 
 私自身、冬は大好きです。裸になったって汗が吹き出てくる夏とはちがい、寒くても対策をすれば凌げるのと、子どものころの雪遊びの楽しかった思い出、体育は大の苦手だったけど、唯一スキーだけは、運動神経でマウントをとってくる子よりも上手だったのがあって、割といい思い出が残っています。
 他には、旅行好きの観点からいくと、「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」の川端康成の雪国の一節のとおり、群馬と新潟の県境のトンネルを越えただけなのに天気ががらっと変わってる様子を何度か見てきたので、本当だ~! という興奮を、今でもしっかり覚えているから、かもしれません。
 
 雪国の方、すみません。雪がたくさんあることが「雪遊びが楽しい」と思えた時代だったので、雪に関してはいい思い出しか残っていないです・・・。北陸の実家から、「今年はこれだけ積もった」と毎年送られてくる写メを見ては、「雪おろし、雪かき、大変そうだ・・・」とは思うのですが・・・(汗)
 雪があるのが当たり前だった生活を離れて、もう長いこと。今ではなんとな~くは覚えている程度になってしまいました。
 
 と、少し話題がそれてしまいましたが、私の子どもはどうかというと、どうも私が苦手な夏のほうが好きな様子。理由を尋ねると、
 
「おまつりがあるから」
「すいかがたべられるから」←スイカ大好きなんです
「みずあそびができるから」
 
 どうも、冬よりも(彼にとって)楽しいことがたくさんあるから、なようです。
  
 
 
 そうなんですよね。
 私の好きが、相手も好きだとは限らない。だって、自分と相手とはちがうのだから。
 と思っていても、つい、「自分が好きなんだから、相手も好きにちがいない」と勘ちがいしてしまったり、時には、「え? 同じことが好きだと思ってたのに! もうこれであなたとは付き合えません!」って、ほんの少し考えがちがっただけで、相手のことを完全否定したりとか。
 
 逆に、自分と考えや思考が完全に同じ人って、この世の中にいるんでしょうか。
 
 いろんな考えの人がいるからちがった角度で物事を知れるし、自分になかった知識を得られるし、自分が見えていなかったところを指摘されるし、「考えがちがう人」こそ、本来は大切にする存在なんじゃないかと、このところ考えます。
 
 梅雨が終わってセミが鳴きだしたころ。それまでの雨続きだった天気から一転晴れが続く空を見上げて、私の子どもが
 
「う~ん、いいてんき!」
 
と言いました。すかさず私は、
 
「そうやね、いい天気やね。けど、カエルさんにとってはどうだろう? 暑いとすぐにカラカラに乾いちゃうから、カエルさんにとっては雨のほうがいい天気かもしれないよ? だから、晴れはいい天気とは限らないのかも」
 
と思ってしまい・・・。ここまでくると、単なる屁理屈かもしれませんね(苦笑)
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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