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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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同じタイトルで、前回は「あれ? 学校の『ここがヘンだよ』だったじゃん・・・」で終わってしまいました。
何度も言いますが、私は決して学校が嫌いなわけじゃありません。
学校には学校のいいところがあるし、そうでないところだってもちろんあるし・・・。それは人だって同じですよね。人によっても相性のよしあしがあるなら、場所も、相性のよしあしがあるはず・・・。なので、「学校に行かなかった経験を有する人間全員が、学校が嫌いだ」と思ってほしくなくて・・・、今回はちゃんと、学校の「ここはいい」「こんなところが好き」と思う部分にしました。

時間がしっかり区切られているところ

私の場合、時間がしっかり決まっていると、メリハリが生まれます。
平日10時にラヴニールをあけるためには、いつまでに○○をして、○○をしながら××ができるし・・・、と考えて、10時に間に合うよう、準備を工夫しています(つもりです)。
ところが、これがお休みの日となると、「10時までに」という制限がないからか、家事もだらだら、そろそろ寒くなってきて洗濯物が乾かなくて困るのに、干し始めるのはお昼や夕方・・・。だらけてしまいます。

そんな私だったので、「○時までに登校」「○時間目は××」「○分休憩」などと1日のスケジュールが決まっていることが、とてもありがたかったです。時間によってすることが決まっていたので、流されてしまえばいいのが、私にとってはラクでした。

勉強についても、時間によってする教科は決まっていたし、自分でだけなら「あ~、そろそろ○○始めないとな~」と、結局やらずにいつまでもズルズルとしがちなところを、勉強するという時間枠が「与えられること」で、必然と気もちは勉強に向く・・・。これがとてもよかったです。
 
「時間が決まっていたり、みんなと同じことをすることが苦痛だった」という声が、学校に行かなかった経験のある人のシンポジウムなどだと聞かれることがありますが、「決まっている・みんなで同じことをするのが苦痛」という人もいれば、私みたいに「それはそれ」という人もいるんです。

学校に行かなかったからって学校が嫌いというわけじゃないし、みんな同じ理由じゃないんですよ~、と言いたくて。


なので私は、そしてラヴニールは、「学校に行けるようになりたい」という気もちがあるのならば、それは否定しません。何をどう感じるかは、その人それぞれですもん♪

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フリースクールに対する誤解として、たまに耳にするのが、「つまりは学校なんて行くなって言いたいわけでしょ?」というものですが、ちがいます。

あくまで、フリースクール「ラヴニール」は、ということにはなりますが、学校がいいなとか、どうしてもまた学校に行けるようになりたいなという気もちは、否定はしません。あくまで「その人がどうしたいか」なので。
 
・・・ということは、常々言っているつもりではあるのですが、今朝、某SNSにて見かけた、こんな投稿(どのSNSか、どなたの投稿かわからないよう、携帯でスクリーンショット撮影したものを加工しています)。



(とりあえずここでは、先生の働き方については不問とします)


この投稿を見て思ったのは、「あ、たしかに!」
今はどうかわかりませんが、床のワックスがけを、私が子どものころは「児童生徒が」「掃除の時間に」やっていました。
掃除の時間・・・、学期末などにある大掃除のときではなく、通常の掃除の時間内に。

1日の時間割の中で、掃除の時間はだいたい15分ぐらい。そのあいだに、

・机を一方(たいてい前か後ろ)に寄せておく
・あいたスペースの掃き掃除、終われば雑巾がけ

・机を、掃除の終わったもう一方に寄せる
・あいたスペースの掃き掃除、終われば雑巾がけ

・机を元の位置に戻す

私が「児童」だったころは、この後、さらに反省会という名の晒しあい。
誰がふざけていただの、まだゴミがこんなに残ってるだの。

今思い返せばひどい時間だったなぁと思うのですが、これがまだ15分の中だったので、何とかやり過ごせていたのかもしれません。

ところが、ワックスがけとなると、途端に苦痛に。
の部分に、「ワックスがけ」の作業が加わると、当時はどう考えも15分のうちに終わらない。

「雑巾がけをしっかりやらないと、ワックスが上塗りされてホコリが閉じ込められるから」
という理由のもと、いつもよりも慎重に掃き掃除、念入りな雑巾がけ。さらにはワックスを塗ったあと乾くまでは何もできない(まだ乾ききらないワックスに踏み入ったら、靴あとが残るため)。

これだけで、優に15分。いや、15分でも早いほうだったかも。
そして、今度は後半部分。時間は5時間目に食い込む。

そして終われば言われる、「もっとテキパキとやる! ほら、お前らのせいで、授業時間がなくなった」
 
これが「日ごろお世話になっている教室や校舎を掃除することで、学校に対する感謝の気もちや愛情をもつ」という名のもとに行われていた、清掃の実態(カッコ内は、あくまで当時の担任が言っていたこと)。
一生懸命やったって15分では無理なことを、それでも何とか時間内にやろうとしているのに、結果がんばってできなくて「お前らのせい」にされて、愛情がわくかっての。
 


かと思えば、ある別の担任。
「みんなワックスがけとかイヤでしょ? いいよ、あとで自分(担任)でやっておくから」
と、通常の掃除で終わらせたことがあった。その後本当にワックスがけを自分だけでやったのかはわからずじまいだけど、「えっ、先生、決められたことなのにしなくていいの??」って思った。
ひとりでやるったって、掃き掃除をし(放課後なら、幾分ゴミは少ないかもしれないけれど)、拭き掃除をし、ワックスを塗って乾くのを待ち、机を移動して後半・・・、先生、できる? と不安にもなった。



そこで、先述の投稿。たしかに! 何も学校だけで・学校の先生がすべてやらなきゃいけないわけじゃないのに!
この投稿の中にもあるように、エアコンの点検修理は業者に任せるし、たとえば校舎にヒビが入っていたら、やっぱり業者に任せるでしょ? じゃあ、床のワックスがけだって業者に任せたほうが、きっときれいにやってくれるじゃん。
学校がすべて担わなきゃいけないわけじゃないんだから、これは他に任せてもいいやってものは、どんどん他に頼めばいいんだ。

そうして、「学校でできること」「学校でしたほうがいいこと」「学校以外でもできること」って振り分けてみたら、学校の先生の負担や忙しさが(ほんの少しかもだけど)少し軽減されるかな、って思ったんだけど・・・

でも不思議だな。
そうやって学校以外でもできることが、学校の中に入った途端、「教育」っていう名前に変わっちゃうんだから・・・。




あれ? もう一度言いますが、私、決して学校のことが嫌いなわけじゃありません!
学校のほうがいいことだってあるし、そうでないこともあるかもしれないし、これはあくまで自分の思い出から思ったことであって・・・
次は学校の「いい思い出」をつづれたら・・・。




子どもが学校に行かなくなり、「さて、どうしよう」と困ったり悩まれたとき。皆さんはどこに相談されるでしょうか。
 
検索サイトに「子ども」「不登校」「大阪」など、いろいろとキーワードを入れて探してみると瞬時に探し出してくれますが、その中でも民間の代表的なものとして、「親の会」と呼ばれるものがあります。
 
親の会ではどんなことをしているかというと、会によってその内容はさまざまですが、近況報告や、初めて参加された方がどういった経緯で親の会に来たか、から始まり、各参加される方たちが「自分にもそんなことあったな~」とか「こんなふうにしたら、変わったよ」など、経験を語り合う時間。
時々、講師をまねいて(ミニ)講演会や学習会を開催したりも、しているかもしれません。アドバイスもあるかもしれませんが、ベースは「経験したこと」の「共有」。

今でこそ、インターネットで学校に行けない・行かない経験は、調べて閲覧でき、以前のように「学校に行け(か)ないなんて、きっとうちだけだ・・・」と「孤立しやすさ」の面では、今は少し減ってきているように思いますが、そんな時代でも、「あえて会という場」に出て語ることによって、文字だけでは伝わらない、言葉尻や表情などの微妙なニュアンスまで伝わりやすいように思います。
 
また、「文字にする」ことでも多少はできますが、「言葉にして口から発する」ことで、自分が今こう思ったり感じたり、不安だったりうれしかったり・・・が、より強く感じられ、自分自身を瞬時に客観視できる・・・ような気が、私はします。
 
ここにあげた親の会の様子は、ほんの一例ですが、場所によっては実際に学校に行け(か)ない立場だった方が参加されていることもあります。親側が思うことのみではなく、子どもからの視点での声を聞けるのは、とても貴重です!!
 
「お互いの傷をなめ合っているだけ」
「自分のいやだった記憶を思い出してつらかった」
「『そんなこともあったわ~』と笑われたことが、『今の自分は笑えないのに』という思いと重なり、しんどくなった」
などの声が聞かれることも、事実としてありますが、「自分以外の同じような悩みをもつ方に会えてよかった」という声があるのも事実。気になる場合は、事前に問い合わせてみたり、実際に一度足を運んでみるなどしてみても、いいかもしれません。
 
 
 
さて、私も先日久しぶりに、ある親の会に参加しました。久しぶりの参加だったので、駅から会場までが少し遠く感じられたのですが、帰りは同じ道を通ったにも関わらず、道のりが短く感じられました。
親の会に参加した帰り道は、不思議とすっきりしたような気もちになります。
 
すっきりしたら、お腹がすきました。
ちょっとボリューミィなものでも食べて帰ろうかしら♪
 
 

毎週水曜日に学校に行かなかった経験を連載中ですが、同じ体験談でも、今日はちょっとちがった体験談。ですので、カテゴリ「思うこと」でアップします。


寄せられた内容を見て思ったのですが、身近な存在からの「いじめ」は、あえてカテゴリ分けするとしたら、虐待となるのでしょうか。こんな例もあるんだということを知ってほしいとの訴えから、ブログに掲載いたします。



< 家族内でのいじめ >


いじめは、よく学校、会社で、友人関係の中で(たとえばママ友)起こると思われていますが、実はもっと身近な家族の中でもいじめが起こるのではないかと、私は思います。
私は、かつて学校に行かない経験をしました。家族のことが関係してきますので、当時の家族構成をお話ししますと、両親と、同性のきょうだいが下に2人。私は学校に行かなかった時代がありますが、きょうだいは2人も幼稚園や小学校、中学校をほぼ休むことなく通っていました。

 
もう少し言うと、私のきょうだいは皆見た目が異なり、3人で歩いていても「友人同士ですか?」と尋ねられ、「きょうだいです」と答えると、「・・・では、こちらとこちらが?」と、考えた末に下のきょうだい2人がきょうだいで、私は一緒に来た友人だろうか? と思われるぐらい、似ていません。
私も背がさほど高くなく、それでいて体重は多め、いわゆるぽっちゃり体型。きょうだいは私よりも背が高かったり、私よりも背は低いけれど細身だったり。
 
私自身がそんな体型だったこともあって、私自身はよく、きょうだいからからかいを受けました。
 
坂道などでは
「ほら○○(私のこと。以後も)、早く転がりなよ。歩くより転がったほうがスピードついて速いんじゃない? それだけ丸いんだし」
 
またあるときは、テレビにブタが映し出され、
「あ、○○の友達だ!」
アニメのブタのキャラクターには、
「ほら、○○、テレビ出てる」
このキャラクターというのは、うさぎのミッフィーで有名なディック・ブルーナのシリーズに、「ブタのポピー」というのがいるのですが、
 
「ポピー ポピー ブタのポピー かわいいポピッピー」
 
という歌詞の歌がありました。ポピーが出てくると、きょうだいは
「ほら、テレビ出てるよ」
といったあとでこの歌に合わせて
 
「ポピーポピー ブタのポピー ブースなポピッピー」
 
と、笑いながら私を見て、2人で替え歌を歌うのです。
  
★ ブタやポピーが悪いとか、そういうことを言いたいわけではありません。私をからかうネタとして使われていた、という認識でお願いいたします。
 
ぽっちゃりしていることをからかわれ、やめてよ、とは言えませんでした。
 
なぜなら、
「じゃあ、もっとダイエットすれば~? なってみたら? こんな体型に」
と返ってくるのがわかっていたからです。
同じものを同じぐらい、いや、きょうだいのほうが多かったかもしれません。食べているのに、私は食べたら食べただけ太る体質、身内は食べても太らない体質。ゆえに、「痩せ型」といわれる体型。それが自慢で、時々自身がやせていて、着たいと思ったらどんな服でも着られる、サイズに困らないことを鼻にかけていると思われるシーンがある身内でした。
 
さらに私が何も言えずにいると、
「どうせムリだよね~。学校行ってないんだもん」
と返されることまでわかっていたため、さらに何も言えなくなっていました。
ダイエット自体は、家でもできたかもしれません。学校に行けないことと体型のこととは何の関連もないにも関わらず、「学校に行けない自分はダメな自分だ」とずっと思っていた私には、学校に行っていないあんたが痩せられるわけがない、と言われているような気がして、でも学校に行っていないことは事実で、何も反論ができなかったのです。
 
 
 
そのころからかなりの年月が経過し、今では私やきょうだいにも家族と呼べる存在ができました。最近、帰省したときのこと。
 
「そういえば○○、今ではきれいに痩せたね」
「あのときの『ポチャこ』じゃなくなったんだね」
 
両親としては何気なく言ったつもりだったでしょう。
しかし、私としては両親が想像していないぐらい傷つき、ずっと引きずっていたことでした。
私自身もずっと傷だったと気がつかなくて、何気なく言われて思い出したのが、正確なところですが。
 
ずっと身内から、しかも自分よりも年齢が下の者からからかわれ、嫌な気持ちになり、さらに重ねると、こういったからかいなどは週のうちでも何度もあったのですが、それを知っていたはずの身内の誰もが止めなかったのです。
替え歌を歌うなどして主にからかっていた、きょうだい1。それを見聞きして笑っていた、きょうだい2。知っていたはずなのに「やめなさい」と止めなかった、両親。
 
どうしてあのとき、止めてくれなかったの。親なら、身内なら、何で守ってくれなかったの。
 
 
相手がどうであれ自身がいじめだと感じるなら、それはいじめだと言う人がいます。
さすがにそれは大げさだろうと思い、とりあえず明確にされている定義に沿ってみたところ、一方的に身体的なものはなかったにせよ、心理的には傷つけられ、それを今でも苦痛であると感じていること。
「四層構造」の中に、このときの登場人物がすべて当てはまること。
 
こういった定義に沿えば、私がいじめを受けていた、と、自己弁護的になりますが、言えるのではないかと思います。
がしかし、定義にもあるように、背景は、内外の文言こそあれど「学校」がベース。家庭の中でのこういった状況は、いじめであると言えるはずなのに、いじめと言えないようです。
 
 
参考サイト:
 
 
 
家族内の問題だから、解決は家族内でして。
皆さんはそう思うでしょうか。
しかしその家族内での関係がこのようにいびつな状態で、どうやって家族内で解決すればよかったというのでしょうか。
  
 
皆さんには、知ってほしいです。
いじめは、学校や社会などの外の世界のみで起こるものではない。
もっと身近な、家庭内でも起こりうるということを。



皆さん、小学校、中学校などで「学級会」があったかと思います。クラスのことや、校内委員会からクラスごとに話し合ってほしいと依頼があったことを話し合う場のことです。

 
あれ、好きだった人、いますか?
 
私はどうにも苦手でした。普段の授業中も積極的に発言をするほうではなかったけれど(週1~2回ぐらいはしていたような気はするけど)、学級会となると本当に黙っていました。
 
あるとき、クラスのスローガンを考えようということになり、いろんな意見を出すよう、司会の子が発言を促しました。
それでも、出た意見は2、3。ほかに意見はないかと尋ねても、誰からも手はあがらない。
 
そのうち司会が、適当に他の子を当て始めます。このとき当てられる子というのはだいたい決まっていて、言葉は悪いですが、いわゆる「勉強も運動もできない子」が、そのターゲットになっていました。
 
私も、実はよく、この当てられる中に入っていました。
「まだ考え中です」といういいわけが通用しないほど、もう時間は経っていたので、仕方なく、その場で適当に思いついた言葉を言いました。
 
ところが、これが案外ウケがよく、その後の意見は、皆、「○○さん(私)の意見に賛成です」。
あれ? もしかして私の意見がスローガンになるかな? そう思い始めた矢先のこと。
 
学級会となるといつもイライラしている(のが、すぐにわかる人でした)担任教師が、口を開きました。
 
「お前らなぁ、これ、すべて『目標』にあっているか?」
 
スローガンの言葉を決める前に、目指したいこと――目標を3つぐらいあげていたのですが、担任は、すべてにダメ出しをし始めました。1の意見は○○が足りない、2の意見は△△が足りない、3は、意味がわからない、などなど・・・
 
結果、クラスの子どもから出た意見は、すべて担任からしたら「アウト」。もちろん、私の意見もです。
 
そしてどうなったかというと、
「どうせお前らじゃ決められないから、俺が決めてやる」
と言わんばかりに、別の言葉を提案してきたのです。
 
あれ? でもこれも、△△を達成していないな・・・と私は思ったのですが・・・。
 
「先生の意見がいいと思います」
みんなこぞって、そう言い始めました。誰も、先生の意見はおかしいです、って言う様子なし。いまどきの言葉で言ったら、「忖度」ですかね。
 
 
自分の意見を出した子どもは、片っ端から否定されて、どう思ったでしょうか。
 
その後のどの学級会でも、なかなか意見が出ずに苦労するというシーンは、続きました。
 
 
・・・今思えば、当然ですよね。だって、いくら意見を言ったって、結局覆されるんだもん。言うだけ言ったって無駄だってわかってりゃ、誰も言わなくなりますよね。
 
なのに、担任は「お前ら意見のひとつも言えないのか」ってて、よく言ってたなぁ・・・。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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