忍者ブログ
フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
[18]  [19]  [20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27
 Children are people.
 2011年2月に開催された、第3回日本フリースクール大会(JDEC)にて、パット・モンゴメリーさんの発言の中の一節。通訳がついてはいたけれど、この一文は通訳を介さなくても聞き取れた。
  
パット・モンゴメリー
 どんな学びの場でも大事にしている6つのことがある、とお話しされた中の一番目が冒頭の、Children are people. だった。この文をパットさんは2回言ったことを覚えている。
 私は、それだけ大事にしていることだから、2回言う(強調する)よ、と受け止めた。
 6つのうちの一番目、という点からも、それだけ大事なんだろう、と。と同時に、私が過去に働いていた場所のことを、ちょっと思い出したりもして。
 「当事者から学ぶ」というのは、あくまで自分の感覚になってしまうけれども、なんとなく感じていて。学校に行けない・行かないということに対して家族内でさえ誤解があったし、外部で言われていることに「そうじゃないのに!」と思ったこともあるし、結果たどり着いた答えが、「その立場でないとわからないんだ!」ということだった。
  
 前回のこととも重なるけれど、推測でならいくらでも語ることができる。じゃあ実際はどうなの? は、実際に体験した立場や、その中に身を置いている人でないとわからないんだ、と。
 
 であれば、今の子ども事情は、大人が見た子どもではなく、「子ども自身から」教えてもらうのがスジじゃないか。
 
 そう思ったら、相手が子どもと呼ばれる人でも、こちらが学ぶことはたくさんある。子どもか大人かって、単に生きた年数・経験の数の違いじゃないか。であるなら、同じ人であることには変わりないじゃん! と。
 よぉし、子どもからたくさん学ぶんだ! と意気込んで、子どもと関わるある場で働いてみたら、子どもを思いきり威圧するような場で、かえって私がしんどくなり。
 
 「私の感覚はちがったんだろうか」と、揺らいでいたときに、別の子どもと関わる場で働き、今度は子どものことを一人の人として本当に大切にしようとしている場で、今度は「私が思っていることはたぶん間違っていなかった」と、小さな自信になり。
 その後、パットさんの冒頭の言葉を耳にして、確信に変わり。
 今、言ったことが日常的にできているかというと、そこは大いに自信のないところだけど(汗)、相手がどの立場であれ、一人の人として接するということは、これからも大切にしていきたい(できていなかったら、ぜひ教えてください!!)
 
 
 ・・・と思っていたら。
 こんな記事があって、う~ん、なんとも。いつの時代の話?
 
「バカヤロー」放課後児童クラブ責任者、威圧発言繰り返す 豊田 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20211105/k00/00m/040/142000c 
 
 この人に、パットさんの言葉を伝えられるなら、どう響くんだろうか・・・
 そしてこの記事を見て、「子どもの権利条約」について考えてみたい、と、改めて考えた。
 
 ずっと、○○してみたい、で終わってるな、子どもの権利条約。何となくこういうもの、という程度ならわかるけれど、今こそしっかりやってね、というお達しなのかもしれない。
 
 
PR
もうずいぶん前の話ですが、自分の都合で大阪に引っ越すことを、親に言ったとき。その時言われたことに、ものすごくイライラしたことがありました。

「大阪の人は、みんな○○だから」

 こいつ、大阪の何を知ってそう言っているんだと、さすがにこいつとは言わなかったものの、
「何を知っていて、そう言えるの?」
と反論しました。

「ごめんごめん、いや、話に聞く人と実際に会った人が、大阪のイメージそのままだったからさ。みんなそんな感じかと思って、アハハ」

 アハハじゃないだろ、大阪府民に謝れよ。てか、大阪のイメージって何だよ。

 私も交友関係は広いほうではないし、そのときは大阪について何を知っているかと問われて答えられることは限られていましたが(今でも何を知っているのかと問われて、答えられる自信がありません)、親が「ただの先入観で」「ということは何の『事実』も知らずに」、それが「大阪のすべてである」かのように答えることに対して、怒りを通り越してあきれてしまいました。

 かつて、フリースクールは学校を敵視している、なんて言われていました。
 元より私は、学校がいいと思う部分もあるし、でもかつて学校に行かなかったときがある身としては、学校じゃない場所でも出会いはあったし、学校では知れないこともあったしと、「どちらも良し悪しあるなぁ」といったところだったので(そりゃ、学校に行けなかった時代は「学校なんて!」と思っていたときもありましたが)、敵視しているわけじゃないんだけど、と思っていました。

 最初から決められているものを、決められた枠組みにそってこなすことが、実は私は好きです。自分で何をしようか、時間はどう分配しようかなど、あれこれ考える手間が省けるので。学校だと、時間割が決まっているし、1日の、1年の中でどれだけ何をこなさなきゃいけないかが決まっているので、これは学校のとても素晴らしいシステムだと思っています。

 なので私は、事あるごとに、「学校を敵視しているわけじゃなくて、学校は学校でいいところがありますし」とお話ししていて、団体の紹介動画にも、この文言を含めています。

 学校には学校で、フリースクールにはフリースクールでいいところ、そうでないところがある。それは、恐らくどちらも同じ。そして、「子どものために何かできることはないか」と、子どもを念頭に置いているのも、恐らく同じ。
 ・・・じゃあ、何で対立するんだろう? 同じ方向を向いているのであれば、お互いのメリットを生かして協力しあえばいいのに。

 実際、フリースクールでは、このような動きが以前から「当たり前のように」ありました。ラヴニールも加盟している「ふりー! すくーりんぐ」が、その一例です。とにかく、「対立している」「敵視している」と言われることが、私には不思議でたまりませんでした。

「どうせ学校なんて信用できない、とでも思ってるんでしょ」
「不登校に対する常識がないとでも、思ってるんでしょ」
「そんな中身も知らないところに、学校現場に携わるものが簡単に紹介できるわけがないじゃない。そもそもフリースクールを紹介する時点で、学校現場にいるものとしては、失格じゃない?」

などの声を、又聞きではありますが聞くたび、

「え~、そんなこと思ってないのに。なんでそう言われるんだろ」

と思ったこともあります。

 学校なんて信用できない。少なくとも私は、フリースクールに携わるようになってからは、そう思ったことはないです。

 学校に行けない・行かないことに対する常識も知らない。・・・うん、確かにそう思ったことはあります。でも裏を返せばそれって、フリースクール仲間の狭い世界では当たり前でも、世間ではそうでないということ。仲間内での当たり前が、それ以外でも通用するとは限らない。

 ならば、知らないからって馬鹿にするのは違うし、しているつもりもない(もし、オーラ的に何か出ていて馬鹿にしていると感じられたことがある方がいたら、ごめんなさい)

 中身も知らないところに・・・、ならば、知ってください。恐らく多くのフリースクールは見学させてくれますよ? とは思うけれど、先生ごめんなさい、そんな余裕もないぐらい、本当はお忙しいですよね。と、ほんの2週間だけ「教員」に触れたことのある者より。

 これらの声に対して思う私の声は、向きを逆にして考えたら、私たちも相手を知らないということでもあるなと。
 私たちは、いったい学校の何を知っているの? 自分たちで通ってきた、学校の児童・生徒だった立場では知っているけれど、学校って通う側だけの側面じゃないでしょ? もっと学校の全体としてみたときに、いったい何を知っているんだろう?
(「学校で働いていた経験ありますよ~」というフリースクールのスタッフさんもいたりしますが、ごめんなさい、ここでは除いています)

 そう、お互いが、お互いのことを知らないのに、知らないままにして勝手に相手を敵認定していないか?
 これって、冒頭の私が親に言われてイラッとした状況と、同じではないか?
 ならば、相手を知ること、実際を知ることこそ、大事なんじゃないか?

 この1年ぐらいですが、私たち民間のフリースクール仲間同士だけでなく、公的な立場で不登校に携わる方たちと懇談する機会が、ちょっと増えました。そのときに思うことは、

・私たちが思う以上に、この人たち(公的な立場で不登校に携わる方たち)も手探りで、でも一生懸命どうにかしようとしているということ。
・そしてそれは、学校という枠のみにとらわれず、多角的に考えようとしていること。
・先方も一生懸命私たちを知ろうとしている。ならば、私たちも先方のがんばりをもっと知ることが、子どもとその周囲の環境を整えることにつながるんじゃないか。
・こうしてお互いに存在を知り合うことが、子どもの最善の利益につながるんじゃないだろうか。

 ならば、余計に「どうせ学校は」「どうせ行政は」なんて思っている場合じゃない。もっともっと、フリースクールとしても、官民問わずこんな場所や制度があるんだと知っていかなければ。同時に、「私たちもこんなふうにがんばっています!」と、声をあげていかなきゃ。

 相手のことがほんの少しわかって、なぁんだ、同じ方向を向いていたんですねってわかったら、何だか楽しくなってきました。
 その渦中にいる人だけが大事。そう思ってきました。
 渦中だけじゃなくて、その周囲も均していく。周囲が足並みをそろえる。同じ方向を向く。そのためには、どうすればいいか?

 考えれば考えるほど深くて、そして、ワクワクするなぁ。


主に急な予定変更などに利用しているtwitterにて、スタッフが備忘録的につぶやいたものに、ちょっと付け足して。

記録って、大事なんです。
これは、フリースクールの業務に関することだけでなく、日々の中でも大事。

記録といっても、がむしゃらに1日の行動のすべてを記録するのは大変なので、日々の中の「この部分」だけに限定するなど、何でもいいです。
たとえば、その日考えたことや気づき。体調。こんなことに怒った、こんなことで癒された、など、な~んでも。

そうして記録し続けたら、そこに少しずつ、成長が見えてくる。進めたのなら、それをもっと継続していく。もし退行したなら、どうしてだろう? と振り返り、ぶつかった困難に弾き返されたのなら、どうすればその困難を小さくすることができるのか? 小さくしたうえで困難は突破するのか? それとも付き合い続けるのか?
そういう、次の目標が、見えてくる。

そもそも、記録をし続けるのが難しいなぁという人。えらそうに言っているけれど、私も大の苦手です(笑) 日記をつけよう! と思って、続いたためしがない(数ページ埋まったノートがたまっただけ)。
何も、わかりやすく、目に付きやすいものじゃなくてもいいんです。
この投稿記事を読んでいる方なら、ぜ~ったいに毎日していることが、あるはずです。本当に、些細なこと、「こんな目標だったらみんなに笑われるわ」というようなものでもいいんです。
とにかく、「続ける」「記録する」。

続けられてるな~、と思ったら、今度はそこに、オプションを加えてみる。
そのオプションは、自分で自分が納得したものを加える。

毎日起きることを続けられているのなら、オプションは「毎日同じ時間ぐらいに布団に入る」なんて、いかがでしょう?
毎日たくさん字を書くことを続けているのなら、オプションは「昨日よりも間違えた字を少なくする」なんて、いかがでしょう?

こうすることで、「成長」していける。

自分で加えたオプションが、どうもうまくいきそうにないなら、そのときにはオプションを変えちゃえばいい。

できたことに対しては、プラスの感情の言葉がけを。
うまくいかないことに対しては、どうしたらうまくいくかの言葉がけを。
「そんなのムリに決まってるのに」「次は○○しない」など、マイナスの言葉はかけないように。

数学は、マイナス × マイナスってプラスになるけれど、気もちは、マイナス同士をいくらかけたってマイナスのままなんだから。

今、何ができているか。やれているなら、それに対してのプラスの言葉がけ。
できないやれないよりも、「今できていること」に、どう取り組んでいくか。そこに、プラスの意識を持っていくことで、取り組み方も変わっていくから。

記録は、自分の成長も残る。
こんな言葉がけがうれしかった、こんなときに調子がよくなかった。
こんなことをしたら、困難との付き合い方がわかった・・・など、これからの自分も見通せる。

だから、記録って本当に大事!!


諸事情により今週の予定をアップせず、失礼しております。
来週の予定については、いつもどおり金~日の間でアップいたしますので、何とぞよろしくお願いいたします。


ラヴニールに見学いただいたときにお配りしている資料には、「フリースクールとは?」を、ざっくりと語っている部分があります。
といっても私自身はこういった制度や歴史的な背景はニガテな部類なので、この部分については他フリースクールより許可をいただいて、掲載をしております。
その中に、イギリスのサマーヒルスクールの創設者、A.Sニイルの教育哲学についての記載があります。(Alexander Sutherland Neill、1883年10月17日 - 1973年9月23日) サマーヒルスクールが創設されたのは1920年代とのことなので、日本でいうと大正から昭和へのころにあたります。
引用先のフリースクールのホームページによると、ニイルは、どもは自分が興味のあることを、興味のある時に学んでこそ最もよく伸びる」という思いをもっていたようですが、それを今、まさしく自分の子どもが体現している姿を、日々見届けています。
 
私には就学前の子が2人います。
そのうちの1人が、今、一生懸命、ひらがなやカタカナを覚えようとしています。

最初は、別にそう仕向けたわけではないんですが、でも自然と我が家の環境がそうだったからか、乗り物に興味をもち、乗り物の中でも電車に強く関心を示し、運動の面では両親ともに野球好きだからか野球にも関心を示すようになりました。ときどき、私のダンナ(ここより下、いつも使っている「相方」という表現にします)と本来のルール無視な部分はあるけれど、二人で野球ゴッコをしています。
 
自宅から比較的近いところで様々な電車を見れることもあり、またターミナル駅に行っては電車を目撃していた子は、次には電車の種類に興味をもちました。私も相方も実家が遠方なこともあって、そのときにも普段見かけないような電車に乗る、他にもどうやら知らない電車はあるようだ・・・、と、乗ったこともない新幹線や特急の名前をたくさん覚えるようになりました。
 
続けて、「○○は、△△のじいちゃんちに行くときの電車だよ」なんて言っていたら、△△の部分に該当する地名に興味をもつようになりました。
 
「『こまち』は秋田から天王寺まで来るねん」
と、たまに「ん?」と苦笑いしたくなるような話もありますが、そこはご愛嬌。
 
野球の面でも、プロ野球のチームが北から南まで12あり、それぞれのチームがどこにあるか、という切り口から地名を覚えていました(場所と名前が一致しないことのほうが多かったですが)。
 
さらには、背番号から選手の名前を覚え、背番号を尋ねたら選手名を答えられるように(逆も同)。それまでに数字がある程度は読めるようにはなっていましたが、2桁の数字を正確に理解できるようになったのは、背番号が大きいかなと思います(子どもが言うときは、たまに1の位と10の位が逆転したりしてますが)。
 
そこから、今度は各選手の名前を書き始めるようになりました。
ひらがなを「読む」ことは、数字から少し遅れてできるようになっていましたが、書くほうについては結び目や全体が逆向き(鏡文字)になっていたりして、かわいいなぁ、なんて思いながら特に直さずに見ていました。
 
先日、
「おかーさーん、みてー」

と言うので、お絵かきボードを見てみたら、同じ保育園に通う子の名前を書いていました!
仮にそのお子さんの名前を「はるか」ちゃんだとして、私としては「は」も「る」も「か」も教えたことがないのに、増して「は」のように結びがある字は逆向きにぐるっと結んでいたのに、正確に書けています!
 
え~~~!! いつの間にひらがな覚えたの?

と尋ねたら、最初はえへへ♪ と照れていましたが、そこからすぐ、絵本の表紙裏にあった50音表を見ていたことが判明。ひととおり読めるので、自分で探し出して書いたそうです! 外国人選手の名前も、カタカナはまだ全部読めるかどうか怪しいけれど、一生懸命50音表から探し出して、書いています。
 
今の彼の姿は、まさしく「興味をもって学んでいる」姿だと、そして興味をもち楽しく吸収していることで、もっとどんどんその対象を広げようとしている、そんな姿。
ニイルの唱える哲学ほぼそのままを、目の前で見ているわけです。
そこには、「算数だからこういうふうに学ばなきゃいけないよ」「国語だからね・・・」と言わず、本当に自分の好きなことからどんどん世界を広げていっている、それには教科という垣根はないんだなと痛感しています。



話題はそれますが。
あわせて、最近では野球も相変わらず好きですが、相方が好きなこともあって、アメフトにも興味を持ち出した子。こちらも、野球同様本来のルール無視ではありますが、一生懸命相方とぶつかりあいながら、マネをして遊んでいます。

「おかーさーん、アメフトみたい~」
というので、NFLのハイライトを流していると、試合展開の中で「1st & 10」とあったり、途中で遠くへ飛ばすキックをしているシーンが出てきます。
それについて、興味をもった我が子。

「アメフトは、1回の中で4回攻撃できて、1st & 10 は、『10(ヤード)進みなさい』っていう意味で、進めたら攻撃は続けられる・・・また1stに戻るけど、4回目(4th)まででうまくいかなかったら、攻撃が変わるんだ」

「4回目でもうこれ以上ゴールまで近づけないな、と思ったら、遠くまでボールを蹴って相手チームがすぐタッチダウンできないようにするとか(=パント)、ゴールに向かってキックして点を入れるとか(この場合3点、タッチダウンは6点。その後キックが決まれば+1点、通常プレーで+2点、というのもある)、いろんな方法があるんだよ」

と、私も見ながら説明。
ここに書くと途中説明も入れながらになるため、実際もっと噛み砕いた言い方をしたようにも思いますが、「あっ、私、まったくルールを知らない人相手に説明できるようになった」と気づきました。

私もアメフトは、「ラグビーとどこがちがうの?」という程度にしかわからず、相方がたまたま好きだったのでそれに伴って、どうなったら点が入る、どうなったら攻撃を続けられる、といったあたりならわかります(ラグビーは相変わらずわかってないまま)。
個々のチーム名や選手名、反則、ディフェンスやフォーメーション(サッカーでいう4-4-2とか)まではまだまだわかりきっていませんが、こうして口にしてみる(外に出す=アウトプット)ことで、自分としても理解度がわかったり。
 
人の学びは、私自身の学びにも繋がっています。


このところ、フリースクール「ラヴニール」には、お問い合わせが続けてきています。ありがたい限りです。
市民活動情報誌「COMVO」に、ボランティアさんの募集を掲載いただいたからか、ボランティア希望の方のお問い合わせが特に多くなっています。

そのときに、「週1日しか関われません」とか、「2~3時間ぐらいしか関われません」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、ぜ~んぜん! 気にしていません。
 
「できるときに」「自分ができることを」。ほんの少しでも、そうして関わってくださろうと思っていただく、その気持ちで、本当に充分!うれしいです。

「フリースクールという存在についてできるだけ多くの人に知ってもらいたい」。そんな思いが私にはあります。学校に行くのが何となく当たり前になっている日本の中で、学校以外の場所は、その「何となく当たり前」が当たり前でなくなるときまで、どこか他人事。初めて自分で調べたりして「こういった場所があるなんて知らなかった」という方も、たくさんいらっしゃいます。
 
少しでも関わろうと思ってラヴニールの門、いや、門なんてないので、インターホンをピンポーン♪ としてくださる人おひとりおひとりは、「フリースクールという存在」に気づき、何らかの興味をもったということ。遠巻きに「フリースクール」を見て勝手に判断するのではなくて、もっと身近な存在に、想像ではなくてちゃんと自分の目で、肌で確かめようとしている人・・・

と、判断して、たくさんある中のうちのひとつのフリースクールとして、「ラヴニール」の思いをお伝えしていけたらと思っています。


「学生じゃなきゃいけない?」
「若くないといけない?」

いいえ、そんなことないです!! 年齢制限は、下限は大学生以上と限定していますが、どうぞお気になさらず!

「何か資格や経歴がないといけない?」
 
こちらも、特に必要ありません!! 

「同じときに」「様々な年代の人が」「同じ空間で」過ごすことが、学校以外の場のミリョクだと思っています。「あ、こんな人もいるんだ」と、お互いがお互いを知ることで、それがひとりひとりの学びにつながっていくのであれば、あえて必要スキルとしてあげるならば、

「つくった自分ではなく、常に素の自分でいること」

ぐらいです。

様々な方にお会いできることを楽しみに、見学、お問い合わせ等お待ちしてま~す!





プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
P R
忍者カウンター
Copyright © ラヴニールブログ「未来堂」 All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]