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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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体験談2018.4.18


■ 実は「まったく」学校に通わなかったわけではない ■

 今では中学にはほとんど行かなかったと答えている自分ですが、学校に行くことにこだわっていたころは、少しでも通っていたんだとアピールの意味もあって、中学1年の1学期は通っていたと言い張っていました。
 事実ではあるのですが、当時の自分はすでに気持ちの面でだいぶつらかったのかもしれないな、と振り返ることがあります。
 これ以外にも私服で登校したり、テストを受けに行っていたのは前述のとおりですが、他にも、修学旅行には参加しました。
 修学旅行に参加するためには、前日の直前指導に参加しないと、旅行に行けませんでした(荷物を開封させられ、華美な服装をしないかまでチェックされました!)。その日用があって1日学校にいなかった担任に代わり、進路指導の担当教員が教室内を仕切っていたこともあってか、無理やり教室に入れられ、周囲の好奇のまなざしに晒されたことは、つらかった思い出として残っていますが。
 その帰り道。かつて同じクラスだった数名の生徒から声をかけられました。
「学校来てないって聞いてたけど、なんだ、元気そうじゃん」
 いや、特に病気で学校に来てなかったわけではなく、でも実際に「学校に来ていないこと以外は」何もおかしくないわけで――。自分でもよくわかりませんでした。
「でさ、来ないあいだ、何してたの?」
 好奇心からか、数名の生徒たちは自分に次々と質問をしてきます。平日の昼間は学校に来ることが当たり前であった彼らからしてみたら、当然の質問かもしれません。
「そうだな――」
 しばらく考えて自分が言ったこと。今でもはっきりと覚えています。
「人生について考えていた」
 一瞬の沈黙のあと、大爆笑が起こりました。
「人生って! 何それ!」
 人生について考えていた、というのは、実はちょっとかっこつけて言った部分はあるのですが、ああ、やっぱりこういう反応をされるんだなと思いました。
 そこまで深く人生について考えていたかどうかは別として、実際に学校に行き続けていたならば考えなかっただろうことを考えていたことは、事実です。学校に行かないでいたからこそ見えた、学校という場のおかしさ。「いじめのような身の危険を感じても、学校に行かなければいけないのか?」と考えられたことは、自分にとってはひとつの大きなきっかけでした。
 反対に、学校に行かないことで思うように勉強が進んでいないこと。授業という形で一方的にではあるけれど、学校という場ではいやでも5~6時間の勉強ができる。これは学校だからこそのよさなのではないかと考えたりもしました。
 他にも、自分が学校に行かなくなったことで起こった、親戚との関係。いちばんわかってほしい存在の親にも理解してもらえないつらさ。自分はどうすれば最善の道を通ってこれたんだろう、と考えたらキリがなくて、何の答えも出せないままでいること。
 学校に行くか行かないか。たったそれだけで、本当に様々なことがやってきて、そのつど悩み、もどかしくなり、考えていたように思います。だけに、ずっと学校が生活の中心だった彼らの対応は、納得できるものでもありました。「学校という枠から外れてみて」考えることが、恐らくないんだろうなと。日常の中に溶け込み、染み付いている、学校という枠。自分もその枠の中にいたのですから、否定も何もするつもりはありません。
 ですが、学校という枠から外れるか、そうでないかで、いい意味か悪い意味かは別として、大きな差を感じずにはいられませんでした。
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体験談2018.4.11

■ 自分の将来 ■

 それならば、どこに進学するのがいいのだろうと悩んでいると、
「定時制高校とかは抵抗あるの?」
と、B所の参加者に尋ねられました。
「定時制高校?」
 高校と名前がつく限り高校なのでしょうが、頭に余計なものがついています。
「夜間高校って言ったらわかるかな。夜間じゃなくて昼間のところもあるけれど、昼間は数が少なくて倍率も高いから、自信がないなら夜間高校とかもいいかもよ?その学校を辞めた子は、結局定時制高校に行っているんだけど、その子が行っている学校は会社勤めしている年上の人もいるし、会社を定年退職して来てる人もいるし、いろんな人がいて楽しいって」
 夜間となると学校が終わると何時なんだろう?と思ったら、行く気になれませんでした。そのころは夜8時に一人で外を出歩くのも怖いぐらいでした。人目が怖いとかではなく、単に夜で怖かっただけです。
「うーん、夜かぁ。怖いしなぁ」
と言うと、
「定時制じゃなくて、通信制っていう方法もあるよ?」
と、他の子が教えてくれました。基本的に自分で勉強するのが大変だけれど、一定の課題と、たまに学校に通うのと、あとはテストがあって、基本的にこの3つをこなすことで単位を取得していく高校だと教えてもらいました。
 定時制高校でもなく専門学校でもなく、今までまったく知らなかった高校のスタイルでした。
 学校に行くことはいやではないので、あまり学校に行かないというのはどうかとも思うけど、夜に外に出る必要がなく、過度な校則にさらされることもないのなら、ひとつ手段かなと思いました。
 結局、通信制高校を選びました。はっきり言ってしまうと、「勉強ができない」自分でも入れる場所なら、という思いがあり、入ったあとでがんばる、という気持ちでした。専門学校でもない定時制高校でもない未知のシステムの学校に、父は「学校に行くことから逃げている」「そんなことで勉強したと言えるのか」と言いましたが、学校にまったく行かないわけではないことを伝えたうえで何とか通しました。
 祖父母には、「高校に行くのに勉強しなくて大丈夫か?」「いとこの○○は1日何時間も勉強して――」と何度も尋ねられましたが、合格したときには大喜びされました。自分としては流れの中で適当に決めた、とも言えるので、何でそんなに大げさに喜ばれるのだろうと、このときは不思議でした。この不思議な気持ちの正体には、後に大学進学を決めたときに、父方の親戚の態度で気づくのですが――。

 高校に入ったら、とにかく勉強がしたいということでした。高校に行けたのだから、大学に進学する目標も閉ざされたわけではありません。自分がなりたい職業への道は消えたと思っていたのに、まだ可能性が残っていました。自分がなりたいと思っていた職業は、いわゆる「頭のいい人がなる」ものだったので、これから死に物狂いで遅れた勉強を取り戻していけば、まだ自分の夢をかなえられるかもしれないぞ、という期待でいっぱいでした。
体験談2018.4.4


■ 逆に信頼できなかった人 ■

 進路指導担当をしていた教師については、信頼できませんでした。前述の、制服を着てくるように言うなど次々と課題を出してきた教師です。テストを受けに学校に行った際に、卒業後の進路について、こちらの希望を聞くかどうかで、専門学校の資料を広げてきました。
 自分としては専門学校ではなく、普通高校に行きたいのです。将来就きたい職業のためには商業や福祉、情報などの専門学校ではなく、高校じゃないと意味がないのです(と、当時は思っていました)。多くの専門学校の資料には、進学よりも就職に力を入れている感じがして、これじゃ自分の将来の目標をかなえられないと思いました。
 自分としての希望を伝えきれていなかったので、改めて自分の希望を伝えてみました。
「今のお前の成績じゃ普通高校なんて無理だ」
 副担任はそう言って専門学校以外を勧めようとしませんでした。通知表上の成績がよくなかったことを言うにしても、担任と副担任ではずいぶんと言い方がちがいます。
 仕方なく仮決めということにして適当にひとつA校を選びました。専門学校ですが自宅から比較的近くて通うのに不便しなさそうだったから、というのと、学校に行かなかった人をこれまでに何人も受け入れている親切な学校、理由でした。
 今思うと、「学校に行かなかった人を何人も受け入れている『親切な』」という時点で、ああ、学校に行かない人を問題児扱いしているわけね、と言えるのですが、当時は学校に行かないことが何よりの負い目だったので、特に気になりませんでした。

 それからすぐA校の見学に行き、見学者向けにいいことだけを言っているんだろうなとどこかで思いながらも、悪い印象はなかったので、受験を考えてみてもいいかなと思い始めていたころでした。B所の定例会で偶然進路の話になり、数人の参加者とスタッフとで話していました。
「え?A校?やめたほうがいいよ」
 と、2歳上の参加者が、自分が仮決めしたA校について言いました。
「どうして?」
「友達が2人そこに行って、2人とも1学期でやめた。ものすごく校則が厳しかったって。集会などでたった一人でも礼の仕方が中途半端だと何度でもやり直しさせられたり、髪を染めてもいないのに光の加減で茶色く見えただけで教室に入れないとか。ひたすら校歌を大声で歌わされたり、行進、団体行動の練習だって。もちろん乱れていたら、やりなおし。そしてそのあと、生徒同士で犯人探しが始まって、本当にその子ができていなかったかわからないのに、できていなかったと疑われた子2、3人をターゲットにしていじめが始まったって」
 思い当たることがありました。そういえば少し前に、母がしきりに進路のことを聞いてきたことがありました。進学したいとは言ったけれど、どんなところに進学したいとまでは、本当に進学できるのか懐疑的だったこともあって言わないでいました。
 母は時々自分の前で学校の誰かとわかる人と電話で懇談をしていたので、そのときに自分にはわかりにくいように進路について話したのかもしれません。しかし実際の体験談を知ってしまった以上、A校は自分にとっては学校ではなく、ただの強制訓練所のようにしか思えなくなりました。
 パンフレットにはなくて、なおかつ進路指導担当の副担任も知らない真実を知ってしまった以上、その専門学校に進学することだけはやめようと思いました。
体験談2018.3.14

■ もう一人、信頼できた人 ■

 前述でB所のスタッフが信頼できたと書きましたが、実はもう一人、信頼してもいいかな、と思えた人がいました。それが、中学2、3年のときの担任でした。わずかに通った中学1年のあいだにおもしろい先生だといううわさは聞いていて、実際そのとおりでした。おもしろいというより、変わった人という言い方が近いかもしれません。家庭訪問のときの印象が、ひょろりと背が高く、のそっと歩きふらっと現れ、ぼそぼそっとしゃべる、そんな人でした。
 3年生になると、高校進学を意識せざるを得なくなり(高校へはみんなが行くものなのだろうと思っていました)、時々学校に行くようになりました。私服で行って職員室の人目に触れないところにいたり、別室だったり。あれほどいやだった学校なのに、進学のためと思うとつらくはありましたが、何とか敷地内に入れました。
 休み時間になると、ほんの10分ほどですが、別の教師が顔を見にきました。担任は主要教科の受け持ちだったので、授業時間中にあいている時間というのはあまりありませんでした。たまに会えると、
「何だお前、来てたのか?じゃ、俺がわざわざ家まで出向く必要はないな」
 と、顔を合わせるたびに言う人でした。担任の言うことがずっと変わらなかった一方で、よく声をかけてくれた別の教師は、何度か回数を重ねるうちに何となく様子が変わってきました。
「どうしたお前、ここはどこだかわかってんのか?制服着てこい」
「ここでおとなしくしてるぐらいなら、クラスのみんなと授業を受けたらどうだ?」
 とまどっていると、
「学校まで来れるんだから、制服ぐらい着てこれるだろ」
「ここまで来ておいて授業も受けずに帰るのはもったいない」
 この教師も適応指導教室のスタッフのように、次から次へと課題を出すようになりました。
 それでも高校に進学することにこだわっていたので、何とか学校には出向くのですが、やはり制服は着ないまま。次第に学校に足が向かなくなりました。
 くどいようですが、それでもまだまだ高校に進学することへのこだわりは捨てられず、別室ながらテストを受けました(このときに制服を着て行ってました)。これまでの通知表は、評定不能と書かれただけ。せめて内申点というものがあるようにしておかないと、と受けたものの、内容がまったくわからず、選択肢のある問題で運よく答えられたり、たまたま答えがわかったりしたものが数問あった程度。ついた成績は、オール1(まだ絶対評価ではなく相対評価の時代、学年のどれだけの割合に1が、2が、と決まっていた時代です)。これじゃとてもじゃないけれど、高校に進学などできそうもありません。
 通知表を見た自分の表情が明らかに変わったのでしょうか。担任がこう言いました。
「成績悪いな、と思ったか?」
 尋ねられて、素直にうなずきました。
「そりゃ、オール1だもんな。今まで取ったことあるか?」
「――ないです」
「だろうな」
 担任はそう言うと、
「悪いが、学年で何割をどの成績にしなきゃいけないって決まっているんだ。成績は、テストだけじゃなくて普段の授業態度や提出物なども含めて決まる。お前は、テストは受けたけど提出物を出していないのと授業を受けていないのとで、評価が難しいそうだ。テストの点だけで言うと、お前よりも悪いやつはいるんだがな」
 学校に行っていないことがここでも大きく響きました。ですが、ちゃんと中身を説明してもらえたので、自分としては悪いなりに納得できました。
「そして、模擬試験、受けているよな?」
 この模擬試験とは高校入試の模擬試験のことで、自宅受験だったこともありましたが、基本的に指定された場所へ行って受験していました。学校としては斡旋も否定もしないという扱いになっていましたが、それでも模擬試験の成績については何となく学校側が把握していたようです。
「その努力も認めたいところなんだが――、すまんな」
「いえ、テストしか受けていないことは事実だし」
 そう言って自分がうつむいたように見えたのでしょうか。
「落ち込んだか?」
「――いえ。その――、やっぱり学校に行かないと、高校進学は無理なんですよね。無理なら無理って言ってもらったほうが、すっきりするので」
 現実を突きつけられる怖さはあったけれど、この際言うならきっぱり言ってもらったほうがいいかなと思いました。
 担任は、
「無理して学校に来る必要はないんだぞ」
 と、自分の顔をじっと見て言いました。一瞬何を言ったのかと思いました。まさか学校の先生自身が「無理して学校に来る必要はない」と言うとは思いませんでした。あっけにとられてしまい何も言えないでいると、担任が続けて言いました。
「学校に来てつらくなるんなら、無理して来るな。本音を言うと毎日のように顔を見れることがうれしいが、こうしてときどき会ってお前の顔を見れるのなら、まずはそれでいい。学校に来たときのお前は、どこか張り詰めたような顔をしているぞ」
「そ、そんなつもりはないんですけど」
 と言った顔が笑ったように見えたのか、
「そうやって笑っていられれば、それでいい」
 と、自分の心配をよそに言いきる担任に、またまた驚いてしまいました。
 何かを相談するまでに心を通わせるほどではありませんでしたが、この人の言葉があったので気が楽になったことも確かです。でもやっぱりみんなが高校に行くのだから、自分も高校に行かなきゃとどこかで追い込み続けていました。
体験談2018.3.7


■ 当事者の視点 ■

 今改めて思うと、なぜB所のスタッフは信頼できて、適応指導教室のスタッフや自分の親に対しては信頼を置けなかったのか、わかる気がします。
 適応指導教室は「学校に行けるようになること」に重きを置いていたので、スタッフも課題をこなすことに対しては一生懸命でした。次の課題がなかなかできない子や前はできた課題ができなくなった子に対しては、
「ほら、前はがんばれたんだから、これもできるでしょ?」
と当たり前のように言い、どうして課題をこなせないのか、こなしにくいのか、こなせなくなったのかを尋ねてくれません。課題をこなすことに一生懸命だったため、何気なく始まった会話ならともかく、こちらから他愛もない話をしてもいいものかどうか、とまどうことがありました。課題とは関係ない話をしたら、適応指導教室のスタッフの手を煩わせることになるのでは、と思えて。
 自分の親も同様に、こちらが相談できたとしても、
「それならさ、こうしてみたら?」
と提案をしてはくれるものの、自分としては問題と感じていない部分についての提案で、問題そのものをすりかえられたような気分になっていました(これは主に父に対して)。そうじゃなくて、と、自分として困っていることをもう一度繰り返すと、
「同じことを繰り返すな」
「くどい」
「こっちは親切に提案してやっているのに」
と言われて終わり。自分として何の解決にもなりませんでした。問題点がちがうということに気づいてほしくて何度も同じようにしていると、
「お前は何度も同じことを繰り返す。そこがいけないところだ」
と言われ、こちらが抱えている問題の本質に気づいてもらえません。
 母が「みんなと一緒」にこだわったのも、推測ではありますが、「みんなと一緒に行動するほうがあれこれ気を揉まずにすむから」だったかもしれません。一人留守番をさせて何かあったら、という気持ちがあったとしたら、何としてでも一緒に行動をさせたほうが、気を揉む要素が減るわけですし、楽です。自分の考えに従わせることができた、という優越感にも浸れるでしょう。とはいえ、こちらだって中学生だったのです。一人で留守番できない年齢でもありません。
 そうでなくても、ちゃんと一緒に行動させたい理由を言ってもらえたなら、こちらだって納得できたかもしれません。
「一人留守番させておいて何かあったらと思うと不安だから」
でもいいのです。ちゃんとした理由もなく自分の考えだけを押し通されようとしたのですから、こちらとしても一度反発心を持ったなら、徹底的に反発するしかありません。

 では、なぜB所のスタッフは信頼できたかというと、親とのかかわりは最初の面談以外は電話越しのみでほとんどなく、意思の確認もすべて自分中心だったことです。毎月の定例会に出席するかどうかは、スタッフから参加確認の電話が家にかかってきましたが、必ず自分の口から、参加するかどうかを答えていました。スタッフが必ず、電話の向こうで自分にかわるように要求したようです。そして立場や肩書き、自分より上の学歴を有する相手には弱く、相手に嫌われぬよう当たり障りなく接する母ですから、相手に逆らうことはしません。
 適応指導教室や両親は視点を学校に行くことや周囲と同調すること、自分の思い通りに向けることに置いていて、それは「個人を周囲にすり合わせる」です。周囲が基準となっているので、基準と反することや自身の思うことに反することがあったらお構いなしに鼓舞するし、批判する。

 一方でB所では自分個人の視点を尊重してくれる。ここでひとつ言っておくと、相手を尊重するとは、相手の言うことを何でも聞くというわけではなく、「相手の意見や考え、思考を大事にすること」だと思います。B所のスタッフは、まだ中学生の自分でも、意見があったならそれを「年下なんだから我慢しろ」などの理由なく一意見として大事にしてくれ、あるときはできるだけかなえられないかと一生懸命になってくれました。その考えに至った背景について丁寧に聞いてくれ、それがかなえられそうになかったり無謀だなというときには、どんな理由でかなえられないかや、無謀だと感じた理由を、自分の意見がおかしいと言うことなく、B所のスタッフ自身の言葉で伝えてくれました。こういったように視点が「個人から個人に合わせる」でした。あくまで基準は個人という視点であり、個人のものであるから視点が別々で当たり前。適応指導教室や両親とは、まったく逆の視点でした。

 また、不思議と、B所のスタッフには、威厳のようなものを感じることがありませんでした。両親、祖父母、適応指導教室のスタッフなどには、その威厳を感じて、相手が何を期待しているのかを読み取って答えなければいけない、と思っていました。選択肢に「わからない」はありませんでした。
 B所のスタッフには、失礼かもしれませんが、そういった威厳はまったくなく、年齢や学歴など、自分よりも上なのに、なんだか対等か、対等に近いぐらいの存在に感じられました。だから何でも話せたし、わからないならわからないとも答えることができたし、親でもないし友人でもない、恩師でもない、でも頼れる人、という、本当に不思議な存在でした。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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