■ 最後に ■
学校に行かなかった過去を悔いていたって仕方ないなと思います。ですが、自分が学校に行かなかったことは事実。そしてその過去は消せません。他にも親から言われた傷ついた一言や暴力。これも、相手が忘れたりしていようが、自分にとってつらかったと感じたことは、時々思い出さずにはいられません。
思い出してつらくもなりますが、そのときに思いきり泣くもよし、何とかごまかすもよし、忘れはしなくても、うまく整理して自分の記憶の適切なところに置いておけるようになれればな、と思います。
学校に行かなかった経験から、いろんなことが見えてきました。じゃあ今の自分は、「学校に行かなくてよかった」と言えるかというと、決してそうではありません。学校に行けばよかったなと思うこともあるし、ここは学校に行かなくてよかったと思う部分だと感じることもあるし、よい・悪いだけで決めたくないと思っています。
そういった意味で、自分としてはいつもこう言っています。
不登校は終わっていない。ずっと付き合っていくものだ。
■ やっとつかんだもの ■
他にもいますが、この3名に特にお世話になった(Cさんには今でもお世話になっています)ので、ここにあげました。
実はBさん、Cさんについては、両親とも「直接あいさつをしたい」と言ってきました。
「あれこれ手配してくださったり、貴重な休みなどを割いてくださったんだろうから、ご迷惑をおかけしましたって、お茶菓子のひとつでも持っていかないと」
と。
その気もちは大事ですし、Bさん、Cさんに対して失礼かとも思ったのですが、両親の申し出は、あえて断ることにしました。せっかく自分としてのテリトリーをもつことができたのに、両親が介入してくることで、そのテリトリーがバランスを失ってしまうのではないかと思ったからです。
とはいえ、そう直接言ったって両親が退かないのはわかっていたので、相手が忙しいなどの理由をつけて、引っ越すその日まで、また引っ越してからも、両親とBさん、Cさんを接触させないようにしました。引っ越すと宣言してから引っ越す日までを短くしたのも、この理由からです。
ひとり暮らししてみて、ですか? 確かにいろいろと大変だなと思う部分はあります。何もかもが自分の責任になること。寝坊するのも、食材を切らしてしまうのも、振込みを忘れて手数料を取られるのも。しかしこういった「全部自分の不注意」が、いい意味で緊張感をもたらしている気がします。親元にいたら、支払期限をすぎたら手数料を取られることも気づかぬままだったでしょうし、食費を安く、でもそれなりのものを食べたいので、スーパーの安売りの時間を狙ってみたり。それら「当たり前」のことがすべて新鮮で、大変だとは思いつつ、実際にはそう大変だとは思っていない気がします。
何と言ってもうれしいのは、両親に監視されているかもしれない、という緊張感がないこと。引っ越し荷物の運び込みが終わり、一通りの家具を組み立てて真っ先に開封したダンボールは、「イラストを描くための道具」でした。中学に行かないあいだ、描きたくても描けなかった絵。それを今、思いきり描くことができます。キッチンと部屋を仕切るドアを開けておく・おかないも、自分の自由です。
そしてやっと、親との距離が適正になった気がします。
実家とは完全に縁を切ったわけではないので、最低でも2年に1回ぐらいは帰るようにはしています。そのときに、
「生活は大丈夫か? 大変じゃないか? ○○はどうなんだ?」
と心配されるのが、少々苦痛なことがあります。これらを聞かれたあとに必ず、
「困ったときにはちゃんと言えよ」
と言ってくるからです。
その言葉は、今ではなく、もっと前にほしかった。今何も困っていないときに言われたって。本当に困っているときには何も言ってくれなかったくせに。何度も何度も、そう思っています。
Bさんにも、いろいろと相談をしました。パートの傍ら、不登校関係のイベントに参加したときに出会ったBさんも、親子関係などの調整役を日ごろからしていた人でした。Bさんは遠方で生活をしていたため、直接会った回数自体は少ないですが、ひとり暮らしを始めるときに、物件周辺の情報を実際に歩いて見てくれたり、Bさんの知人を通じて仕事を紹介してくれたり、ひとり暮らしに必要なことの手筈をいろいろと整えてくれた人です。
■ お世話になっている人 ――Cさん ■
現在もお世話になり続けているCさんは、親元を離れてひとり暮らしを始めたばかりの自分を夕飯に誘ってくれたり、何かと「生活は大丈夫か?」など気を使ってくれている、仕事先の人です。今でも本当にお世話になりっぱなしです。
Bさんの知人だけあって、教育関係のイベントに興味のある自分のことを理解してくれています。いえ、それは他の同僚にもなんですが。イベントは基本的に土曜日に入ることが多いので、仕事の休みにイベント、となるのですが、どうしても平日休む必要があるときには、「他の人に迷惑をかけない範囲で、必ずしっかり調整してから休むように」と、当たり前のことだとは思いますが、毎度言ってくれています。
他の同僚の方も、教育関係ではないけれど、何らかのジャンルに興味があって、それが平日だと、仕事をちゃんと調整して、そのうえで休んで参加しています。仕事を休んで自分磨きをすることが、許されている仕事先なので、そしてそれで迷惑をかける・かけられるが「お互い様」という感じなので、とてもいやすいです。
Aさんには、いろいろと相談をしました。パート先での休憩中、その後定時退社にも関わらず「時間延長になったから」と親にはうそをついて、Aさんとお茶したり。もともと適切な親子関係について興味をもっていた人で、過去に相談にのっていたこともあるとのことで、自分もよく相談にのってもらいました。
「私がヒロさんになったつもりで色々言うから、親御さんになったつもりで、私に返してみて」
Aさんが言うのは、○○したいという要望。それを、自分の親ならどう言うかを思い出しながら、Aさんに言ってみました。
「今のロールプレイを通じて思ったのは、何でも否定から入るんだな、って」
「あと、すべて親御さんの考えを言われるだけで、私の考えを言わせてもらえなかった」
この2点を指摘されたことは、今でもよく覚えています。
このAさんが、「ヒロさんは、ひとり暮らしすべきよ。そのほうが親御さんとの関係が適切に取れると思う」と言った人です。ところが自分としては現実問題(生活していけるのか、など)が立ちはだかり、現実的にひとり暮らしをすることが考えにくくもありました。
ですが、自分のことを親身になって考えてくれた、心理面で本当にお世話になった人です。
親との関係については、どれだけの人に相談したかわかりません。
過去にさかのぼればB所のスタッフだった人たち、パートの合間にたまたま行った不登校関係のイベントで知り合った方たち――。特に後者については、母も直接その人たちから話を聞いてほしいとどれだけ思ったかわかりません。しかし、母にとっては自分が学校に行くようになったことで「もう不登校は終わった過去のこと」。ニュースなどで不登校の話題が報じられると「学校に行けなくなるのって、何らか精神的に弱い、おかしい子よね」と言い出すぐらいだったので、自分とはもう無関係だから、と考えていたように思います。なので、参加してみたら? と声をかけることもありませんでした。
何かあっても相談できず、でも相談しなければいけないとなって相談するのはいつも期限ギリギリ。何でもっと早く相談しなかったと言われて、「だって、いつも傷つくから」と返したって、「誰がいつ傷つけたなんて言うの」と返ってくるのがわかっていたので、黙っているしかありませんでした。
「いつも相談するのはギリギリ!」
と、毎度言われていました。
相談するだけで気力を相当使い、その気力消費のほとんどが無駄に終わることが何回もあれば、相談なんてしたくなくなります。それでもちゃんと言わなきゃと思ってやっと口を開けた、ここにどれだけの勇気を割いているか――。
大学は何とか卒業し、その後は紆余曲折ありましたが、今は親元を離れています。親元を離れる宣言をしたときには、やはり否定・問い詰めの嵐でした。しかし、そのときには前例がありました。自分の弟が、家での束縛される生活に対して反旗を翻し、突然家を出ていったのです。専門学校に進学して国家資格を取り、その資格に関する仕事をしていましたが、帰りが遅くなることを親にとがめられ、しかし新人の自分(弟)が先に帰るわけにはいかない。そのしがらみにはさまれ、どれだけ理由を言ってもひたすら早く帰ってこいとしか言わず、ひどければ着信履歴すべてが親、それも残った履歴はすべて短時間のあいだ。メールで「早く帰りなさい」の連続受信。弟が、「こっちだって仕事の関係なのに、どうしたらいいんだろう」と相談してきたことを覚えています。そして親に対して、文字どおり「こんな家なんて出ていく!」と宣言し、社員寮に引っ越していきました(後で聞いたら、自分たちには突然に見えても、影ではこっそり手続きを進めていたそうです)。
そんな弟のことがうらまやしくもありましたが、弟が前例をつくってくれたおかげで、「自分もその気になればこの家を出られるぞ」と思いました。弟のように突然飛び出すということまではしなくても、誰かに迷惑はかけるけれど、誰かを頼って家を出る口実をつくれば、この家から解放される、という期待が見えてきました。
大学を卒業してから親元を離れるまで、実際には数年かかっていますが、ひとり暮らしができるとわかったときには、本当にうれしかったです。不安も多少は感じましたが、それよりもやっと、この家から、この監獄から解放されるぞ、と。
ひとり暮らしをすると宣言したときも、親はやはり否定から入ってきました。しかし、出会った周りの人のおかげで、手はずをある程度整えた上での宣言だったので、親も許可することしかできませんでした。物件探しや仕事探しなどひとり暮らし後の生活のこと、こちらでしている仕事をやめる手続きなど――。そのとき、主導権は完全に自分にあり、親は黙って物件契約の書類に判を押すことぐらいしかできませんでした。
あまり勝ち・負けで判断したくはありませんが、このときばかりは、やっと親より上に行くことができた! と、うれしくなりました。
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