フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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■ 当事者の視点 ■
今改めて思うと、なぜB所のスタッフは信頼できて、適応指導教室のスタッフや自分の親に対しては信頼を置けなかったのか、わかる気がします。
適応指導教室は「学校に行けるようになること」に重きを置いていたので、スタッフも課題をこなすことに対しては一生懸命でした。次の課題がなかなかできない子や前はできた課題ができなくなった子に対しては、
「ほら、前はがんばれたんだから、これもできるでしょ?」
と当たり前のように言い、どうして課題をこなせないのか、こなしにくいのか、こなせなくなったのかを尋ねてくれません。課題をこなすことに一生懸命だったため、何気なく始まった会話ならともかく、こちらから他愛もない話をしてもいいものかどうか、とまどうことがありました。課題とは関係ない話をしたら、適応指導教室のスタッフの手を煩わせることになるのでは、と思えて。
自分の親も同様に、こちらが相談できたとしても、
「それならさ、こうしてみたら?」
と提案をしてはくれるものの、自分としては問題と感じていない部分についての提案で、問題そのものをすりかえられたような気分になっていました(これは主に父に対して)。そうじゃなくて、と、自分として困っていることをもう一度繰り返すと、
「同じことを繰り返すな」
「くどい」
「こっちは親切に提案してやっているのに」
と言われて終わり。自分として何の解決にもなりませんでした。問題点がちがうということに気づいてほしくて何度も同じようにしていると、
「お前は何度も同じことを繰り返す。そこがいけないところだ」
と言われ、こちらが抱えている問題の本質に気づいてもらえません。
母が「みんなと一緒」にこだわったのも、推測ではありますが、「みんなと一緒に行動するほうがあれこれ気を揉まずにすむから」だったかもしれません。一人留守番をさせて何かあったら、という気持ちがあったとしたら、何としてでも一緒に行動をさせたほうが、気を揉む要素が減るわけですし、楽です。自分の考えに従わせることができた、という優越感にも浸れるでしょう。とはいえ、こちらだって中学生だったのです。一人で留守番できない年齢でもありません。
そうでなくても、ちゃんと一緒に行動させたい理由を言ってもらえたなら、こちらだって納得できたかもしれません。
「一人留守番させておいて何かあったらと思うと不安だから」
でもいいのです。ちゃんとした理由もなく自分の考えだけを押し通されようとしたのですから、こちらとしても一度反発心を持ったなら、徹底的に反発するしかありません。
では、なぜB所のスタッフは信頼できたかというと、親とのかかわりは最初の面談以外は電話越しのみでほとんどなく、意思の確認もすべて自分中心だったことです。毎月の定例会に出席するかどうかは、スタッフから参加確認の電話が家にかかってきましたが、必ず自分の口から、参加するかどうかを答えていました。スタッフが必ず、電話の向こうで自分にかわるように要求したようです。そして立場や肩書き、自分より上の学歴を有する相手には弱く、相手に嫌われぬよう当たり障りなく接する母ですから、相手に逆らうことはしません。
適応指導教室や両親は視点を学校に行くことや周囲と同調すること、自分の思い通りに向けることに置いていて、それは「個人を周囲にすり合わせる」です。周囲が基準となっているので、基準と反することや自身の思うことに反することがあったらお構いなしに鼓舞するし、批判する。
一方でB所では自分個人の視点を尊重してくれる。ここでひとつ言っておくと、相手を尊重するとは、相手の言うことを何でも聞くというわけではなく、「相手の意見や考え、思考を大事にすること」だと思います。B所のスタッフは、まだ中学生の自分でも、意見があったならそれを「年下なんだから我慢しろ」などの理由なく一意見として大事にしてくれ、あるときはできるだけかなえられないかと一生懸命になってくれました。その考えに至った背景について丁寧に聞いてくれ、それがかなえられそうになかったり無謀だなというときには、どんな理由でかなえられないかや、無謀だと感じた理由を、自分の意見がおかしいと言うことなく、B所のスタッフ自身の言葉で伝えてくれました。こういったように視点が「個人から個人に合わせる」でした。あくまで基準は個人という視点であり、個人のものであるから視点が別々で当たり前。適応指導教室や両親とは、まったく逆の視点でした。
また、不思議と、B所のスタッフには、威厳のようなものを感じることがありませんでした。両親、祖父母、適応指導教室のスタッフなどには、その威厳を感じて、相手が何を期待しているのかを読み取って答えなければいけない、と思っていました。選択肢に「わからない」はありませんでした。
B所のスタッフには、失礼かもしれませんが、そういった威厳はまったくなく、年齢や学歴など、自分よりも上なのに、なんだか対等か、対等に近いぐらいの存在に感じられました。だから何でも話せたし、わからないならわからないとも答えることができたし、親でもないし友人でもない、恩師でもない、でも頼れる人、という、本当に不思議な存在でした。
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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