フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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漫画の、とあるシーンが好きで、何度も繰り返し見ちゃうんです。
るろうに剣心の15巻、第百二十六幕「巨人対超人(前編)」のワンシーン。
才槌老人、破軍の不二、比古清十郎のやりとり。
「俺は破軍の不二という男と 話をしたいんだ」
という比古清十郎に対して、
「お前は儂の言う事だけを聞いていればよいんじゃ!」
と、不二に言う才槌老人。それでも構わず、
「だがそろそろお前自身の意志で 『自分の闘い』を選んでみちゃあどうだ」
と不二に進言する、比古清十郎。
かなり端折っていますが、このシーン、大好きなんです。
比古清十郎が、巨体で誰からも恐れられていた不二、そして才槌老人の言うがままになっていた不二のことを、見た目など関係なく「ひとりの存在」として認めているこのシーン。好きなんです。
(アニメでは比古清十郎の声を、ガンダムのシャア・アズナブルやコナンの赤井秀一でおなじみの池田秀一さんがあててらっしゃるので、これがまた、いいんですよぉ、と、余談)
とある先に出かけたとき、その方は親子でいらしていました。
お子さんも学校に行きにくい時期があったとのことで、親の方は学校に行けない・行かないことについて関わろうとする人たちの場にも、親子で一緒に、かなり熱心に参加されています。
「あんな学校なんて行かせないほうがマシ!」
とおっしゃるので、その方にとって学校は「あまり信用できないところ」とのことだったのでしょう。補足しておくと、学校全部についてこう言っているのではなく、実際に見て回られて「あの学校はがんばっていると思う」とおっしゃることもあったので、たまたま、この方のお子さんが行かれていた学校が、親の方にとっては信用できなかった、ということなんだと思います。
ただ、そのときの話し方が、
「○○ちゃんは、あの学校で本当にひどい目にあったの」
「○○ちゃんは、先生に対して不信感をもっていたから」
と、ちょっとひっかかりました。
○○ちゃんが先生に対して不信感をもっていたのも、ひどい目にあったのも、本当なのだろうか? いや、本当にもっていたのかもしれないけれど、それを「本人から」聞いていないので、もしかして親御さんが勝手に推測していませんか? と。
私としては、○○ちゃんがどう思っていたのか、○○ちゃんの言葉で知りたいのに。話せないなら、それはそれで仕方がないけれど、本当のところは○○ちゃんしか知らないのに。なのにどうして、自分の子どものことを、わかったように言うのだろう? と。
似たようなことは、先述の親子とは別の親子の方が出ていたシンポジウムでもありました。
親の方は、
「学校でいじめられたのと、いじめがあったんじゃないかと尋ねても、先生も『知る限りはなかったように見えますが』ということで、信用できなくて。『そんなに自分が傷つく場所なら、やめておきなさい』と言ったんです」
そうよね? と最後に同意を求めて、親の方の発言は終わりましたが、次にお子さんの発言。
「ごめん、それ、嘘。最初はそうだと思ったから、そう言った。本当は、いじめもあったかもしれないけれど、いじめ以外にもたくさんあって、何で行けなくなったかなんて理由はわからない。みんなにも、そう言ってた。でも、親があちこちで『いじめられた』って言い続けていて、撤回したくてもできなかったんだ」
親の方とお子さんとの見解の違いに、「だよね~」と思ったことを覚えています。
当たり前なことだけど、親子であっても、別の人格。思うことも同じとは限らない。だからこそ、本人も含むいろんな人から情報を得ることで、一面的にではなく、多角的に、立体的に物事を見る必要がある、と、個人的には学んだシンポジウムでした。
私も、別のフリースクールや同業同士の集まりに出かけた先などで、「あれ? 今日○○さんは?」と尋ねてしまうことがあります。
でもこれって、「数人セットで見ている」ということ。ひとりの人として見てないってことだよなぁと、改めて気がつき、反省中です。
るろうに剣心の15巻、第百二十六幕「巨人対超人(前編)」のワンシーン。
才槌老人、破軍の不二、比古清十郎のやりとり。
「俺は破軍の不二という男と 話をしたいんだ」
という比古清十郎に対して、
「お前は儂の言う事だけを聞いていればよいんじゃ!」
と、不二に言う才槌老人。それでも構わず、
「だがそろそろお前自身の意志で 『自分の闘い』を選んでみちゃあどうだ」
と不二に進言する、比古清十郎。
かなり端折っていますが、このシーン、大好きなんです。
比古清十郎が、巨体で誰からも恐れられていた不二、そして才槌老人の言うがままになっていた不二のことを、見た目など関係なく「ひとりの存在」として認めているこのシーン。好きなんです。
(アニメでは比古清十郎の声を、ガンダムのシャア・アズナブルやコナンの赤井秀一でおなじみの池田秀一さんがあててらっしゃるので、これがまた、いいんですよぉ、と、余談)
とある先に出かけたとき、その方は親子でいらしていました。
お子さんも学校に行きにくい時期があったとのことで、親の方は学校に行けない・行かないことについて関わろうとする人たちの場にも、親子で一緒に、かなり熱心に参加されています。
「あんな学校なんて行かせないほうがマシ!」
とおっしゃるので、その方にとって学校は「あまり信用できないところ」とのことだったのでしょう。補足しておくと、学校全部についてこう言っているのではなく、実際に見て回られて「あの学校はがんばっていると思う」とおっしゃることもあったので、たまたま、この方のお子さんが行かれていた学校が、親の方にとっては信用できなかった、ということなんだと思います。
ただ、そのときの話し方が、
「○○ちゃんは、あの学校で本当にひどい目にあったの」
「○○ちゃんは、先生に対して不信感をもっていたから」
と、ちょっとひっかかりました。
○○ちゃんが先生に対して不信感をもっていたのも、ひどい目にあったのも、本当なのだろうか? いや、本当にもっていたのかもしれないけれど、それを「本人から」聞いていないので、もしかして親御さんが勝手に推測していませんか? と。
私としては、○○ちゃんがどう思っていたのか、○○ちゃんの言葉で知りたいのに。話せないなら、それはそれで仕方がないけれど、本当のところは○○ちゃんしか知らないのに。なのにどうして、自分の子どものことを、わかったように言うのだろう? と。
似たようなことは、先述の親子とは別の親子の方が出ていたシンポジウムでもありました。
親の方は、
「学校でいじめられたのと、いじめがあったんじゃないかと尋ねても、先生も『知る限りはなかったように見えますが』ということで、信用できなくて。『そんなに自分が傷つく場所なら、やめておきなさい』と言ったんです」
そうよね? と最後に同意を求めて、親の方の発言は終わりましたが、次にお子さんの発言。
「ごめん、それ、嘘。最初はそうだと思ったから、そう言った。本当は、いじめもあったかもしれないけれど、いじめ以外にもたくさんあって、何で行けなくなったかなんて理由はわからない。みんなにも、そう言ってた。でも、親があちこちで『いじめられた』って言い続けていて、撤回したくてもできなかったんだ」
親の方とお子さんとの見解の違いに、「だよね~」と思ったことを覚えています。
当たり前なことだけど、親子であっても、別の人格。思うことも同じとは限らない。だからこそ、本人も含むいろんな人から情報を得ることで、一面的にではなく、多角的に、立体的に物事を見る必要がある、と、個人的には学んだシンポジウムでした。
私も、別のフリースクールや同業同士の集まりに出かけた先などで、「あれ? 今日○○さんは?」と尋ねてしまうことがあります。
でもこれって、「数人セットで見ている」ということ。ひとりの人として見てないってことだよなぁと、改めて気がつき、反省中です。
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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