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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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会議に参加するため、駅までの道を歩いていたときのこと。
前を歩くのは、親子かな。お父さんらしき男性と、小学校中学年ぐらいの子どもが手をつないで歩いていた。
どうやら、子どもは歩くのがイヤそう。

「ここから○○まで、お店とか見ながら歩いていきや。何がある?」
 男性が問う中に、ガソリンスタンドがあった。
 具体的な数字までは聞き逃したので、この先の数字は適当なんだけど、
「140って、何?」
「あれは、ガソリン1リットル140円って意味」
「140円? 安っ!」
「けどなぁ、車に1リットルだけしか入れないってことはなくて、そうだな・・・、だいたい30リットルぐらいは入れるかな。そうすると、いくらだ?」
「???」

子どもは戸惑っていた。

こちらがゆっくり歩いていたということもあって、距離が開いてしまい、会話の内容が聞きとれなくなったけれど、こういう「学び」って好きだなって思った。

あえて教科で区切ると、

街を歩いていてどんなお店があるか・・・ 社会
ガソリンの値段を計算する・・・ 算数

ひとつの「一定の場所まで歩く」という行動の中に、社会も算数も転がっている。
花が咲いていたり、動物とすれちがっていたなら、「理科」も転がっているだろう。

こういうときは、「あえて」としたとおり、教科を意識して考えるだろうか?
教科という枠ではない、包括的なものが、日常の中にはたくさん転がっている。



「ほら、もう駅まで着いた」
「ほんとだー!」



駅で二人に追いついたときには、こんな声が聞こえてきた。

二人にとっての「学び」の時間は、とても楽しいものだったんだろうな、とほほえましかった。
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一人のお客がありました。

何年前でしょうか、から、「一度見学に行きたいです」と言っていた人です。見学、ではなく、「遊びに行きたい」だったかもしれません。今日、その念願がかないました。

お客さん・・・、Aさんとしましょう。Aさんと私とは、そんなに長い付き合いがあったわけではないのですが、玄関を入ってきた瞬間、「お久しぶりです!」「いや~っ! 久しぶり!」なんて会話ができる感じ。場所はちがえど、一気にAさんと知り合ったころに戻してくれるような感じは、なんだか気もちよく。

あくまで私から見るに、最初は緊張してたかな、と思われるAさんでしたが、そこはだんだん空気がわかってきたのか、トランプなどをしながら(冗談の範囲で)得意気になってみせたり、ゲームを覗き込んでみたり、そんな姿が、「あくまで私から見るに」ほほえましく。

・・・うれしかったんです、Aさんが元気でいたことが。

「元気」の定義は何ぞや、ということは、あえて飛ばしますが、久しぶりに会えた人に対して思うのは、「また会えた!」ということ。
増してそれが、「学校に行けなくて悩んでいた時期」があった人ならば、余計に。

20歳を越えて、「今度一緒に飲みに行きません?」とか言ってくれたり、「今度○○になるんだ」とか言ってくれたり。
あのころは、そうして将来を語ることってできたかなぁ? と振り返ると、ああ、成長してるんだ、と。

別に、誘ってくれなくても、将来の目標を語ってくれなくても、その当時から何も成長してない、って自身が思っているのだとしても、とにかく再会できたことが、何よりの「成長」です。

「学校に行けなくなると、将来がない」と言う人が、以前ほどよりは少なくなったような気はしますが、まだいらっしゃるような気がします。「このままだと、将来が心配で」とおっしゃる方も、いらっしゃいます。

けれど、Aさんは言いました、「いつか、終わるときが来るから」。

この言葉に、頼もしさを感じました。

今まさしく悩んでいる最中で、「そう言われても将来のことなんて考えられない」「本当に終わるの?」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、「学校に行けなかった時代があっても生きられる」。この言葉だけは、何のためらいもなく言えます。



そういった意味で、OB・OGの子だったり、かつて関わった人と会うのは、とても楽しみだし、たくさんの力をもらえます。
Aさん、また遊びに来てくださいな♪

(ラヴニール はやし)
私がこれまで何度か参加させていただいた親の会やシンポジウムなどで、この言葉を聞かないときは正直ないような気がします。

「ずっと夜起きていて、昼間は寝ているんです(いました)」

また、いろんな人とお話させていただくと、

「(夜勤とかじゃないのに)朝寝てて夜に起きてるなんて、それおかしい。そんなたるんだ生活をしてるから学校に行けなくなるんじゃない?」

と言う人も。

最近、あるテレビ番組によると、同じ人間でも朝型・夜型体質があるそうですが、それはここでは度外視しまして・・・。

私の中で、不登校=昼夜逆転と思われている節があるのかなぁ、と首を傾げたくなるときがあるので、ここでズバッと私なりの答えを。

不登校をする(=学校に行けなくなる)と昼夜逆転の生活になる。
答えは、「YESであり、NOである」。

なる人もいれば、ならない人もいます。

・・・なんだ、曖昧じゃないか、って??

ええ、そう、曖昧です。こうとしか言いようがありません。

それよりも大事なのは、「昼夜逆転の生活を送る理由が何かあるのだろう」と思えることだと思います。

私の経験談であり、他の人からも聞かれる声として、

「昼間起きていると、学校に行く子どもの声がして、それがつらかった」
「家族やきょうだいが出かけていく姿を見ると、なんで自分だけこんなになってしまったのだろうと思って、イヤだった」
「夜だったらみんなが寝静まっていて静かで人の声もしないから、自分を責める気もちが薄らいだ」

昼夜逆転の生活をする場合、こんな理由があることが多いようです(もちろん他にもあると思います)
総合すると、「昼間よりも夜のほうが、自分が安心できる」ということではないでしょうか。

もし、昼間のほうが安心できるのだとしたら、昼夜逆転する必要はないはずだと思います。
上記の体験談から考えて、自分の気もちを安定させるために、自分にとって不利益なものを排除しようとする行動のひとつが「昼夜逆転」であると私は考えるので、昼間でも安心して過ごせるならば、不利益なものを排除する必要がないのですから。

というわけで、答えとして出すならば、「YESでありNOである」という曖昧なものしかお答えできません。
要は環境次第でどうとでも変わってしまうよ、ということなので。

ただ、最後にもう一度。
一見問題だと思える行動でも、「この行動には何か理由があるのかな」と思える気もちが大事だと思います。


追記:
この行動が親にとっては困るのだけど、静観していればいいのか? と思う方もいらっしゃることと思います。
ガマンするしかない、とも私は言いません。困っていることは困っている、とちゃんと伝えればいいのですが・・・。
このあたりについては、またいつか。
ラヴニール(以外)でのできごとの他に、(あくまで私が感じている範囲の)世間が抱いている疑問や誤解を解消したくて、つたない文章ですが、カテゴリに「思うこと」を追加しました。

前々からくすぶっているものを一気にまとめたので、表現が足りないところがあり、一層誤解を招くことになるかもしれません。そのときは、コメントなどで質問をしていただけると助かります。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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