フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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■ 学校がすべてなのだろうか ■
自分が中学生だったときに起こったこととして、このことに触れないわけにはいきません。自分と同じ中学生がいじめを苦にして自殺した、というニュースがありました。その後の会見の様子などは当時のワイドショーなどでも報じられていたので、目にしていました。会見の内容がどうとか学校がウソをついていたとか、そういうことは自分にとってはどうでもいいことで、自分が思ったのは、本当に学校に通う意味があるのか?ということでした。
学校で何を学べるか?と言われたときに、教科の内容について学ぶことができると言われたら、自分はこれを否定するつもりはありません。教科の内容を効率よく学ぶのだったら、学校という手段を選ぶのがいちばんだとは、今でも思っています。
他には何が学べるのか?と言われたときには、自分には疑問が浮かびます。もちろん、勉強よりも部活をしに行っていたという人もいるでしょう。自分はそれを否定するつもりもありません。打ち込めるものがあるのは何よりと思います。ただ自分には、学校の中にこれといった打ち込めるものを見出せなかった。見出すことなく、見出す方法を絶ってしまった。それならもう一度見出しに行かなければという思いにとらわれていたことも事実です。
でも学校の中で、自分自身が傷つけられるようなことが起こっていることも、また事実です。自分ひとりが悪いように扱われたときも、親を含む誰もが自分が傷ついていることをわかってくれませんでした。自分としても自分が傷ついているんだと気づけなかったぐらいです。傷ついたり自分にとって不都合なことを乗り越えてこそ人は強くなれるんだ、とも言うかもしれませんが、強くなりたくても、自分はなれませんでした。
学校がその人にとって危険な場所なら、それを避けるのは悪いことなのかと思いました。ニュースを聞いているうちに自殺した中学生に対して、どうして命の危険を感じるようないじめを受けていたのに、それでも学校に行き続けたんだろうと思いました。
でも自分自身にも思い当たることがありました。学校を一度休んだなら、またそれがいじめやからかいのネタになることがあるのです。
誰かに相談できなかったのかという疑問に対しても、すぐに自分なりに答えが出ました。相談できるまでに心を許せる人なんていなかったのでしょう。自分も今まさしくそのような感じです。自分としては真剣に相談しているつもりなのに、返ってくる答えは、そんな問題はたいしたことじゃない、と軽くあしらわれている感じで、何度も繰り返されるうちに「どうせ相談したって無駄だ」という気持ちになっていくのです。いくら相談した相手が「なんで相談してくれなかったの!」と言っても、こちらとしては「じゃあ何で真剣に相談に乗ってくれなかったの!」という気持ちでした。
いやな思いをした場所から身を引いている自分は、まだマシなのかもしれないと思いました。同時に、同じようにいやな思いをしている場所から逃げ続けている自分がもどかしくも感じました。前者は「これからも学校に行かないこと」で後者は「学校に行くこと」で手っ取り早く解決できると気づき、結局は思考の中心に学校がある、学校にとらわれている自分でした。
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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