フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
Posting of comments like the following will be declined:
・Comments other than Japanese.
・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
私、旅行が好きなんです。
気がつけば好きだったという感じで、というのも、3親等ぐらいまでの誰も同じ都道府県に住んでいない時期が長く、今やっと、同じ都道府県に住んでいる同士がぽつりぽつりと出だしたぐらい。それでも、私と同じ関西在住というのは、誰もいません(過去に住んでいたから何となく土地勘はあるよ、という親戚はいますが)。
そんな感じだから、夏や冬に帰省といえば、必ず「旅行」がついてきたから。おじいちゃんやおばあちゃんの家まで車でちょっと、もっといいのは歩いていける距離というのがうらやましかったこともあるぐらい。私たち一家といえば、乗りたい日の切符発売日には切符を手配。父(車を運転できたのは父のみ)も父で予定を調整し、電車でも車でもどちらでも行けるようにしておいたり。車で行くときも、いくつもルートがあってきょうだいゲンカになったり。
電車にしろ車にしろ、1日がかりなのが当たり前。
そんなものなので、帰省と旅行は毎度セットでした。気がつけば旅行がついてきていた。そんな感じでしょうか。
だから、今でもあちこち行くのは好きです。好きだけど、いつも帰省にセットの旅行だったから、誰かプランニングしてくれる人必須なのは、今でもです(泣) ここさえクリアしちゃえば、あとはもう、カメラ片手にあちこち。
それもあって、鉄道系Youtuberさんの動画が大好きなんです!
あれ? 私にとっては当たり前のことだったけど、そ、そうか、あれは他県の人から見たら当たり前じゃないのか、と、新たな発見にもなるし、知っているところが取り上げられるとちょっとうれしかったり。
そこから関連して、難読地名も大好き。これも、「え? 当たり前に読んでたけど・・・、確かに難読だね」と、言われて気がついたり。
車窓の美しい景色が好きだったり。「きれい」じゃなくて、「美しい」んですよ。この違い、伝われ!
新幹線から見たきれいな富士山もよかったですが、私があげるのは、山陽本線の、どこだったかな。の、海ギリギリを走るあたり(調べました。たぶん、南岩国から柳井港ぐらいまで)。年末の青春18きっぷの旅で博多まで行くときで、小春日和のおだやかな日差しが、まだまだゴールが見えない不安をかき消してくれたなぁ・・・
海ギリギリ、というとおり、車内から外を見る分には、「海の上に線路通してるん?」ぐらい、本当にギリギリなんです! 海好きにはたまらないポイントかと。
好きなことは好き! と、思いきり言いまくろう! そしてフリースクール「ラヴニール」には、この好きなものについて、「そんなの好きなんかよ?」なんて言いません~。
お互いの好きは好き! でも、もしかしたら、他の人は別のことが好きかもしれないね。
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メモ用ノートの端っこに、タイトルのような殴り書きを見つけました。
何かの講演の合間にでも書いたのかな・・・。そのとき思ったことと、今思っていること。実は変わっていないんだなと、ふと、手を止めて見入ってしまいました。・・・あまりに殴り書きすぎて、判読不明な部分もありましたが(笑)
なんとなく思い出しながら、がんばって文章にしてみたいと思います。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
シュタイナー、フレネ、モンテッソーリ、イエナプラン・・・
どれも、特徴があったり、大事にしているものがあったり、そしてそれはどれもすばらしいと思う。もちろん、日本の学校で行われている教育も。すばらしいし、どれにもよくない点だってある、と思う。
「ラヴニールでは、どんな教育をされていますか?」
とたずねられて、はて? と悩んでしまう。
こういうとき、なんて答えたらいいんだろう? というのも、フリースクール「ラヴニール」では、明確に「○○教育です」という枠組みを、もっていないから。
そして、「○○教育です」と語ってしまうと、その枠の中で固定化されてしまう。そんな気がするから。
ラヴニールでは、「学びは決まった枠にとらわれない」「知りたいと思ったことが、学びの始まり」という思いがあるから。
結果的に、それが○○教育だよ、ということはあるかもしれないけれども。
「知りたいと思ったことが、学びの始まり」というように、「○○をしよう」とこちらから提示するより、「あなたは何をしたいの?」を、大事にしたいから。
(現在は、「記録を楽しむプログラム」のように、「○○をしよう」に該当するものもありますが、この当時はありませんでした。「何をしたらいいかわからない」場合、何かを見つけるひとつになるかと思い、プログラムとして導入した。記録のプログラムにはそんな理由もあります)
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
メモは、だいたいこんな内容でした。
前後のメモから察するに、これは新型ウィルス禍前。ということは、少なくとも2020年より前? 講演などのイベントに積極的に行っていたのはさらにもう少し前だから、2017年か、18年か、それとも19年か。
もっとも現在に近いとして、2019年。それでも、4年前からずっと言っていたんだな、と。
あれ? 最近言い出したことかと思ったら、4年を経てなお同じことを言っていたのか! と、自分でびっくり。思いはしていたけれど、なかなかアウトプットしていなかった、ということでしょうか。
思っていることを言語化するのって、難しいです! 私の場合、さらにそれに時間を要することを自覚しているので、もしかしたらこういった形でブログなどで発信するのは、初めての内容だったかも?(と言いつつ、実は過去にどこかで投稿してないかな、と、期待も)
この前参加したイベントでも、メモこそはできなかったけれど、同じようなことをまた考えていました。ああ、早くしっかりお知らせしたい!!(合間を見て、少しずつまとめていきます!(予定))。
■ 記録を楽しむプログラム 3月の予定 ■
昨日投稿の記事にて、3月のプログラムの予定をお知らせしていなかったので、ここでお知らせします。
中間振り返り 3月13日(月)
月末振り返り 3月24日(金)
春休みを3月最終週にいただく関係で、中間から月末振り返りまでが、短くなっています。
月末振り返りの日に、4月の目標も立てていく予定です。
フリースクール「ラヴニール」の、通信、と言ったり、会報誌と言ったりする、つまりは紙で内容をお知らせしている、「ラヴ・ノート」。
だいたい季節に1回ごとの発行で、最新のものは1月中に原稿を完成させました!
過去には毎回決められた分だけ印刷していましたが、今は資源の無駄を防ぐ目的で、原稿を保存しておき(データとしても、「原稿」の形としても)、必要に応じて必要な部数だけ印刷するようにしています。
見学の際には事前にお知らせください、とお願いをしているのは、こういった事情のためです。通常の説明に使う資料以外に会報誌も、お渡しする資料に含まれています。
この会報誌。こんなところを見るとちょっと見え方が変わるかも? という点を、2つあげておきます。
1、活動の中であったことを、ブログ記事から引用
これは・・・。ある意味編集者の手抜きでもあるのですが(認めちゃった・・・)。
というのも、「○月に何をした」というのが、記憶の中だけだと曖昧なんです。たとえば・・・。「プールに行ったので、あれは暑い日だったから8月にちがいない!」と思っていたら、実は6月でした! とか。時間が経てば経つほど、このあたりの記憶って曖昧になっていきます。
その意味でも、こんな感じだったよと記録に残すためにブログを綴り続けている、というのもあります。したことだけでなく、考えてたこととか。
ブログで公開してることを、改めて紙媒体にする必要ないじゃん! と思うこともありますが、たまたま得た情報が紙のもので、そこからブログにアクセス、という、「誘導」の媒体でもあります。
実際ブログ記事から引用することで、編集はかなり楽になりました。抜ける手は抜く、ということで♪
2、やたらと写真が多いときと、そうでないとき
実は通信の編集でいちばん頭を悩ませるのが、記事ではなく、その後の編集作業。だいたい編集の仕方としては、
・最初に文章を打ち込む
・お知らせ関係の変更点があれば、変更(だいたい固定)
で、最後に
・画像などを入れていく
この流れでやっています。この流れでやっていくのはいいんですが、だいたい写真はこのぐらいかな? と思って入れていくと、最終的に奇数ページで終わる。
奇数ページで終わるのは、非常にマズイ。だって、1ページ白紙ができてしまうことになるので。
その場合は、イラストを入れたり、他にも写真を追加したり。先に打ち込んであった文章がズレるので、修正したり(ズレた結果、タイトルだけがその段の末尾やページ末尾にくる。あるいはタイトルだけになったから改行多めにしてあったのに、不自然な空白が生まれたなど、結構気を揉むんです)。
奇数ページにはみ出た分がほんの少しであれば、文の行間をつめてページ数を少なくすることもありますが、だいたいは増やします。
ので、写真やイラストがやたらと多いな、と思われるときは、ああ、無理やりページを増やしたな、と、笑ってください。
「ラヴ・ノート」は、季節ごとの発行、つまりは3ヶ月に1度の発行で、次は4月です。さて、どんな記事が集まるのでしょうか?? ここまでの2点も合わせて見てみると、何かちがったものが見える・・・、かも??
昨日、
振り返りのときに、「できなかったことは?」と、ここで「~ない(なかった)」という言葉が登場するのだけど、そのときも、「あ~、できなかったぁ!」「できない自分はダメだなぁ」ではなく、「やりたいという気もちがあって、目標を立てたということ」「やりたいという気もちがあったから、達成まではいかなかったけれど、取り組んだということ」。そこまでやろうと(取り組もうと)したことは、十分肯定できると思うんです。
と書いたんですが、これについて。
過去の自分への自己弁護になってしまいますが。
なんとしてでも学校に行けるようにならなきゃ、と思っていた私は、テストのときだけ行けた時期がありました。成績がないとその後進学ができないんじゃないかと思ってのことでした。合計すると、たった7日。このたった7日が、周囲の目は気になるわ、別室受験はできたのだけど保健室という場所がらいろんな生徒が出入りするわ、担任とのやりとりでいろいろあったわ、で、とにかくしんどかったなぁ、と思い出すできごとのひとつです。
そのときに私がよく口にしていたのは、「よくわからないけれど、怖い」。
当時は何かひとつに理由を求めていましたが、今は私が学校に行かなくなった理由は、いくつものものが複合していたんだろうな、と考えています。もしかしたら、当時の私は理由を自分以外に求めたくて(学校に行けないことをとても悪いことだと思っていたので、自分は悪くないと思いたくて)、でも本当はそれひとつだけが理由ではなくて、その乖離に自分では気づいていなくて、結果の「よくわからないけれど」だったのかもしれない、と、今では考えています。
(あ、こんな分析をしたの、今ここが初めてです)
ただ、この「よくわからないけれど、こわい」という気もちを吐き出しても、
「怖いって思うから怖いんだよ。やってみたらたいしたことないんじゃない?」
「怖い怖いって、やりもしないのに立派な言い訳するな」
と、笑いながら返ってくることがほとんど。
そのたびに、「怖いって言ってるじゃん・・・」と、私の気もちを吐き出しているのに、わかってほしいのに! と思っていました。
確かに、やってみたら大したことなかったのかもしれません。ただもうひとつ言うと、この時点での私は、学校に行けるようになるために、ひとつできたら「じゃあ次」、それもできたら「じゃあ次」と、ひとつひとつができるようになるまでにものすごくエネルギーを使っているのに、次から次へとここまでのがんばり・しんどさを誰にも受け止めてもらえずにいました。それにしんどさを感じながらも、テストを受けに行って、周囲の視線に気をつかい、もう限界でした。
それを、たぶん「怖い」という言葉に乗せて・・・、いたんだと思います。
気もちを表現するには足りない言葉だなと思います。が、当時の私は、「ここまでこんなにがんばっているのに。今以上がんばらないといけないってこと?」と悲しくなったことを覚えています。
そこまでどれだけがんばったか。自分で思うのと人が判断するのとは、だいぶ変わると思います。他人から見てがんばりが足りないなと思えることでも、その人にとっては相当ながんばりを要することなのかもしれないな、って。
記録の中に、そういったがんばりも記録していくことで、自分ってこれだけがんばってるじゃん! って、自分で自分を受け入れていく。自分で自分にOKと言う。ここを、大事にしていきたいな、って思います。
振り返りのときに、「できなかったことは?」と、ここで「~ない(なかった)」という言葉が登場するのだけど、そのときも、「あ~、できなかったぁ!」「できない自分はダメだなぁ」ではなく、「やりたいという気もちがあって、目標を立てたということ」「やりたいという気もちがあったから、達成まではいかなかったけれど、取り組んだということ」。そこまでやろうと(取り組もうと)したことは、十分肯定できると思うんです。
と書いたんですが、これについて。
過去の自分への自己弁護になってしまいますが。
なんとしてでも学校に行けるようにならなきゃ、と思っていた私は、テストのときだけ行けた時期がありました。成績がないとその後進学ができないんじゃないかと思ってのことでした。合計すると、たった7日。このたった7日が、周囲の目は気になるわ、別室受験はできたのだけど保健室という場所がらいろんな生徒が出入りするわ、担任とのやりとりでいろいろあったわ、で、とにかくしんどかったなぁ、と思い出すできごとのひとつです。
そのときに私がよく口にしていたのは、「よくわからないけれど、怖い」。
当時は何かひとつに理由を求めていましたが、今は私が学校に行かなくなった理由は、いくつものものが複合していたんだろうな、と考えています。もしかしたら、当時の私は理由を自分以外に求めたくて(学校に行けないことをとても悪いことだと思っていたので、自分は悪くないと思いたくて)、でも本当はそれひとつだけが理由ではなくて、その乖離に自分では気づいていなくて、結果の「よくわからないけれど」だったのかもしれない、と、今では考えています。
(あ、こんな分析をしたの、今ここが初めてです)
ただ、この「よくわからないけれど、こわい」という気もちを吐き出しても、
「怖いって思うから怖いんだよ。やってみたらたいしたことないんじゃない?」
「怖い怖いって、やりもしないのに立派な言い訳するな」
と、笑いながら返ってくることがほとんど。
そのたびに、「怖いって言ってるじゃん・・・」と、私の気もちを吐き出しているのに、わかってほしいのに! と思っていました。
確かに、やってみたら大したことなかったのかもしれません。ただもうひとつ言うと、この時点での私は、学校に行けるようになるために、ひとつできたら「じゃあ次」、それもできたら「じゃあ次」と、ひとつひとつができるようになるまでにものすごくエネルギーを使っているのに、次から次へとここまでのがんばり・しんどさを誰にも受け止めてもらえずにいました。それにしんどさを感じながらも、テストを受けに行って、周囲の視線に気をつかい、もう限界でした。
それを、たぶん「怖い」という言葉に乗せて・・・、いたんだと思います。
気もちを表現するには足りない言葉だなと思います。が、当時の私は、「ここまでこんなにがんばっているのに。今以上がんばらないといけないってこと?」と悲しくなったことを覚えています。
そこまでどれだけがんばったか。自分で思うのと人が判断するのとは、だいぶ変わると思います。他人から見てがんばりが足りないなと思えることでも、その人にとっては相当ながんばりを要することなのかもしれないな、って。
記録の中に、そういったがんばりも記録していくことで、自分ってこれだけがんばってるじゃん! って、自分で自分を受け入れていく。自分で自分にOKと言う。ここを、大事にしていきたいな、って思います。
フリースクール「ラヴニール」は、活動の中で、1回移転をしています。
2017年の年が明けてすぐに、現在の昭和町に移転しました。
まだ時々、古い活動場所の住所が示されることがあるようですが(こういった古い情報って、どうやったら消えるんだろう?)、旧活動場所で活動をしていたときと、今の場所になってからと、年数がだいたい同じぐらいになりました。
たぶんしばらくのあいだは、今の昭和町から離れる予定はありませんが、以前の場所がどうなっているのか、ちょっと気になりました。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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