フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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普段の通り道、いくつかツバメの巣があるのですが、そこからちょこんと頭を出している、数羽のヒナ。そのときは急いでいたのでしばらく眺めることはできませんでしたが、そこは、その隣にももう一つ、巣があるところ。そちらの巣は、からっぽ。
からっぽだけど、巣からあまり離れないところを、一生懸命ぐるぐる飛んでいるツバメ。ああ、ちょうど巣立ちのころなのかな? と、歩きながら。
すると、私の歩幅で20歩ぐらい前の地面に、何だか黒い立体的なものが。何だろう? 近づいてみると、地面にとまっているツバメ!
うわぁ、危ないよ! ここは人通りもそこそこあるし、運搬のトラックだって通るんだし!
と思っていると、たどたどしくも飛び上がってどうにか轢かれない・ぶつからない場所まで移動していましたが・・・。
こうやって、できなかったことができるようになって少しずつ成長していくんですよね・・・。
と、文字にすると悠長なこと言っていますが、今年もツバメにヒヤヒヤさせられました(汗)。
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小学3年生になると、それまでの「生活」から科目がわかれて「理科」「社会」になります。
もうこうなって、何年? 私はまだ1年生から理科・社会だった世代。なので生活ってどういう科目なんだろう? というのがとても気になっていました。教科書を見せてもらって、なるほど! 「自分の身の回り」の自然、施設、時にはそれを校外に出て探検・観察してみよう、という科目なのね! と。
確かに今思えば、「自分の身の回り」って範囲は広く考えればどこまでも広げることはできるのでしょうけど、それを理科、社会で区切るほどあったかな? という思いもあります。
そこから小学3年生で自分たちが住む町や自治体のこと、4年生で日本全国に広がり、5年生で日本の工業や商業などにつながっていくのね、と今さらわかって、ああ、こういう流れでつながると、社会ってやっぱり面白い科目だったんだなぁと。中の人、昔はどっちつかずでしたが、今では社会大好きだし、昔もなんだかんだ好きだったんだろうな・・・。
そんなことを言ってたら、どこか旅行に行きたくなりました。なかなかそんな時間は取れなさそうなところが悲しいですが、そういえば、「旅行好きはだいたい地理好き」なんて言われるような、ないような・・・?
フリースクール「ラヴニール」の玄関内側に、こんなものが貼ってあります。
「玄関を閉めるときは、静かに」
フリースクール「ラヴニール」は、住宅街の中にあります。また玄関のドアは、ある程度開けるとストッパーが働くけれど、そうでなければ手を離したら勝手に閉まる式・・・大きな音がします。
これを、口で
「近所迷惑になっちゃうから、ドアは静かに閉めてね」
と、最後のふりかえりのときに言ったことがあるのですが、それでも直らず、なら、どうしたらいいだろう? ということで浮かんだ案が、「誰でもわかるようにすること」でした。
そこで出た案が、冒頭の文を紙に書き、割と目立つ色で塗り、該当する場所(この例の場合は、玄関)に貼る、ということでした。
貼ったところ、前ほど「バタン!」と閉まることは減りましたが、それでもまだ、「静かに」には少し遠い。手を離すのが遠ければ遠いほど、閉まるまでの勢いがついて大きな音がするのだから、もっと近くで離してほしいなと思っても、なかなか「静かに」にはならない。
そうこうしているうちに、ドアの開け閉めについて気になっていた人は卒業されたので利用しなくなり、あまり気にならなくなったのですが、久しぶりに玄関の注意書きを見返してみて、ふと気になったところが。
うん、たぶん口で言っても伝わらなかったんだっけ
「静かに閉めてね」を共通ルールにするために、目で見える形にしてアピールしたんだっけ
口で言っても伝わらないのなら、目に訴える! このときやっていたんだなぁ・・・
でも、もうひとつ気になる点が。
「静かに閉めてね」の部分。文字通り受け止める特性がある方なら、どう思うでしょう?
「静かに」って、どういうのが「静かに」なんだろう?
自分がしゃべらずにいたら、それは「静か」だよな?
「静かに」ひとつとっても、実は捉え方っていろいろあるなぁということに、今さら気がつきました。
今なら、どういうふうにこの注意書きを作り直すかな。「静かに」で伝わりにくいなら、どういう言葉でこうしてほしいを伝えるかな。
もし、注意書きが新しいものになっていたら、そのときは「あ、『静かに』に代わる答えが見つかったんだ」と思っていただけたら、幸いです♪
「玄関を閉めるときは、静かに」
フリースクール「ラヴニール」は、住宅街の中にあります。また玄関のドアは、ある程度開けるとストッパーが働くけれど、そうでなければ手を離したら勝手に閉まる式・・・大きな音がします。
これを、口で
「近所迷惑になっちゃうから、ドアは静かに閉めてね」
と、最後のふりかえりのときに言ったことがあるのですが、それでも直らず、なら、どうしたらいいだろう? ということで浮かんだ案が、「誰でもわかるようにすること」でした。
そこで出た案が、冒頭の文を紙に書き、割と目立つ色で塗り、該当する場所(この例の場合は、玄関)に貼る、ということでした。
貼ったところ、前ほど「バタン!」と閉まることは減りましたが、それでもまだ、「静かに」には少し遠い。手を離すのが遠ければ遠いほど、閉まるまでの勢いがついて大きな音がするのだから、もっと近くで離してほしいなと思っても、なかなか「静かに」にはならない。
そうこうしているうちに、ドアの開け閉めについて気になっていた人は卒業されたので利用しなくなり、あまり気にならなくなったのですが、久しぶりに玄関の注意書きを見返してみて、ふと気になったところが。
うん、たぶん口で言っても伝わらなかったんだっけ
「静かに閉めてね」を共通ルールにするために、目で見える形にしてアピールしたんだっけ
口で言っても伝わらないのなら、目に訴える! このときやっていたんだなぁ・・・
でも、もうひとつ気になる点が。
「静かに閉めてね」の部分。文字通り受け止める特性がある方なら、どう思うでしょう?
「静かに」って、どういうのが「静かに」なんだろう?
自分がしゃべらずにいたら、それは「静か」だよな?
「静かに」ひとつとっても、実は捉え方っていろいろあるなぁということに、今さら気がつきました。
今なら、どういうふうにこの注意書きを作り直すかな。「静かに」で伝わりにくいなら、どういう言葉でこうしてほしいを伝えるかな。
もし、注意書きが新しいものになっていたら、そのときは「あ、『静かに』に代わる答えが見つかったんだ」と思っていただけたら、幸いです♪
代表から、「大、中、小の使い分けの話をして~」と頼まれましたので、確かこの話ですよね? と思うことを書いていこうと思います。
「マイログ」で目標を立てるときに、「大きいことは小さくしてみる」ことを、ひとつの例として話すことがあります。たとえば前にも例に出ていた、「片づける」ではなく、「〇〇を片づける」と、具体的に絞り込んでみたり。
これは、人に何かを促すときにも使えます。
そうだな・・・。幼稚園などで、「お時間だから片づけるよ」と言っても、なかなかおもちゃを片づけない子がいたとします。改めて、「〇〇くん、ブロックをお片づけして」と指示を出したら、すっとブロックを片づけはじめた、という状況があったとしましょう。これは、「お片づけ」という広い範囲から、「ブロック」に、少し狭くしたら具体的になってわかりやすかったのか、動けた例。
それでも動かない場合・・・、このとき、「ブロック」は、いくつか別の種類のブロックが出ていました。もう少し具体的に、「大きなブロックを片づけて」と伝えてみたり、他にも様々な工夫はあるけれど、
大きい範囲(お片づけ)から、中ぐらいの範囲(ブロック)、小さい範囲(どのブロック)
大→中→小としていくことで、ひとりの子の行動を促すことができますよね。
でも、いつまでもこの「大→中→小」の流ればかりでいいわけでは・・・、ないですよね。この流れは「人の指示あってこそ」の流れ。可能であれば、人の指示なく自主的に、ゆくゆくは主体的に動いてほしいところ。
そのときは、逆に小→中→大が、考える機会を奪わず、いいかもしれません。
大→中→小の流れにもずいぶん慣れてきたころ、今度は質問をしていくことで自主的に動くことを促していくときに、
小 どのブロックをお片づけしたらいい?
中 何をお片づけしたらいい?
大 今は何をしたらいい?
・・・ということを、前に代表と話したよな、という覚えがあります。
これを見誤ってしまうと、まだ流れ的には大→中→小と具体的に指示していきたいところなのに、小→中→大の流れで指示をしてしまい、そうすると受け手側としては「曖昧な表現で逆に混乱する」ことになりますよね~、みたいな話をした気が。
うまく、そのタイミングを見極めていかなきゃですね~、って。
・・・こんな感じでしたっけ??
緩急もだし、この大・中・小もだし、人対人になると、本当に考えることがたくさん! だから楽しいし、その場で起こることにこうしたらいいんだ! というマニュアルは、何となくはあっても細部までこれ! というものは存在しない。だから、「どうあがいても必ず人対人になるもの」は、どれだけITなどが発達したとしても、残り続ける部分だ、と言われています。
認知能力と非認知能力、ですね。
さて、フリースクールでできることは、何でしょう? フリースクール「ラヴニール」が大事にしていること。それは、どういった面を伸ばすことにつながるのでしょう??
一般的に言われている大型連休は、今年は5月6日までだったようです。
というわけで! フリースクール「ラヴニール」も活動再開。ここからは、7月の海の日まで、途中祝日がなく、個人的には「いちばん体力的にしんどい」時期ですが、そこは気力で! 乗り切っていきたいと思います! 梅雨も迎えるでしょうし、うまく乗り切りつつ。
いわゆる「根性論」と呼ばれるものがキライな私。努力すればできるようになる! これ、ホントに苦手です。努力することをあきらめているのではなくて、いくらがんばってみてもできないことって、ありますよね。これまでも何度となく努力してきたけれど、それでもどうにもならなかったので、そろそろちがうことに時間や力を割いたほうがいいのかなと思っているのに、「それは根性が足りないから! 本人の努力が足りないから!」と言われると、ああ、虫唾が、蕁麻疹が・・・。
その一環で、「早寝、早起き」も、実はあまり好きじゃない私。どうしても必要で、朝少し早く起きて、夜は日付が変わる前に寝るようにしていますが、本当は、朝遅く起きて日付が変わってからも起きていたいほう。そして、そのときがいちばん体調がよかったような・・・。
ですが、「あ、これは早寝、早起きって言う理由が納得できるな」ということがひとつありました。
大型連休、夏休みなどの長期休み後に体調を崩しやすい理由として、「どうしても休み中に不規則な生活を送りがちになるから」というものがありました。
遅く起きても、その日は休み。学校に行く必要、仕事に行く必要もない。次の日も休みだから、夜遅くまで起きている・・・という生活を続けてしまうと、いざ、それまでの「朝起きて、学校や仕事に行って・・・」という生活に戻しにくくなるのだそうです。
これ、子どもの学校からの手紙に「規則正しい生活を送りましょう」とあった中に書かれていたこと。
そういえば、前にもどこかで書いたかもしれませんが、脳は「楽しい・うれしい」ことが大好きで、いろいろなことを習慣にしようと思うのなら、その行為を「脳が楽しいと思えるようにすること」が第一歩なのだそう(例えるならダイエットが長く続かない理由のひとつで、ダイエットがしんどいと感じると続かず、楽しいと感じると続く、というと、例としてわかりやすいのではないでしょうか)。そして、その楽しいと思ったことを回数続けることで、習慣として定着していくのだそうです。
一旦「夜更かしや遅起きを楽しい」と思ってしまうと、楽しいほうに傾くのは早いけれど、今度は逆に楽しいほうを知ってしまったがゆえに「早起きがしんどいな」と思ったなら、「夜更かしや遅起きが楽しい」と一旦思ってしまった脳を、もういちど前のリズムに戻そうとするのは・・・、きっと大変。
学校からの手紙なので、学校での生活がある前提での内容になっていますが、なるほど一理あるなぁと思って読みました(完全賛同ではなく、「ふむふむ、なるほど」ぐらいです)。
無理にそうしなさい、とは言わないし、もちろん一分一秒もズレてはいけないとも言いませんが、「規則正しい生活」、やってみてもいいのかもしれないですね。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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