フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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中の人、気がついたら少し鉄道に詳しいようで、さらに旅行も好きなんです。
小さいころは、帰省が旅行でした。割と最近まで、おじ・おばぐらいまでの親戚の範囲だと、誰も住む都道府県が重なったことがないんです。
だから必然と、「おじいちゃんち」に行くなら鉄道利用、もしくは車で高速道路利用で時間単位の移動。それを、夏休み中双方のおじいちゃんのところに行けば、それだけで自然と2カ所旅行ということになりました(2カ所も旅行かあ・・・。費用面が・・・。時代だなぁ・・・)
おかげで、都心の複雑なのはわかりませんが、地方の高速道路がわかったり、鉄道も特急の名前を聞いてどのあたり、ぐらいは答えられたりします。
この前、用があって、神戸電鉄(通称、神鉄(しんてつ))に乗ってきました。何となく事前情報で、神鉄といえば、新開地駅を出発して数駅で、ものすごい急坂になるところがあるよ! とのことだったので、意識していると・・・
うおっ! 私が乗ったのってケーブルカーだったっけ?
ケーブルカーって、急な山の斜面にそって登ったり、おりたりするあれです。箱根や立山アルペンルートのものが有名。一般的な私鉄なのに、ケーブルカー仕様になっているわけでもないのに、そう思わせるぐらいの急坂。
・・・それもそう。しばらく進んだ先の駅は、「鵯越(ひよどりごえ)」。歴史好きさんならわかるかもしれません、ここ、源平合戦のうちのひとつ「一の谷の戦い」で、源義経の軍が、平家の陣の後ろから攻めるという奇襲をかけたところ。平家の陣は、「まさかこんな急な坂を下りて攻撃はしてこないだろう」とでも思ったのでしょうか。でもそのぐらいの急な坂ではあった、ということ・・・
ああ、納得。
その後有馬口で乗り換えて、向かったのは有馬温泉。温泉に入りに行ったわけではなく、ただ周辺をぶらぶらするだけで帰ってきたのですが、こちらも、豊臣秀吉が愛でたと言われている温泉。だいぶ山? 自然がいっぱい? のところだけど、こんなところに温泉なんてあるの? と思っていると、キレイに整えられた街並みが。
もうね、交通費かけた甲斐があったなぁ・・・
普段私が利用するのは、地下鉄だったりJRだったりですが、いつもより少し足をのばしてみたら、こんなミリョク的なところがあったんだなぁと、疲れはまったく感じることなく感動しました。
もし皆さんも余裕があったら、こんな「プチ旅行」、いいかもしれませんよ♪
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普段の通り道、いくつかツバメの巣があるのですが、そこからちょこんと頭を出している、数羽のヒナ。そのときは急いでいたのでしばらく眺めることはできませんでしたが、そこは、その隣にももう一つ、巣があるところ。そちらの巣は、からっぽ。
からっぽだけど、巣からあまり離れないところを、一生懸命ぐるぐる飛んでいるツバメ。ああ、ちょうど巣立ちのころなのかな? と、歩きながら。
すると、私の歩幅で20歩ぐらい前の地面に、何だか黒い立体的なものが。何だろう? 近づいてみると、地面にとまっているツバメ!
うわぁ、危ないよ! ここは人通りもそこそこあるし、運搬のトラックだって通るんだし!
と思っていると、たどたどしくも飛び上がってどうにか轢かれない・ぶつからない場所まで移動していましたが・・・。
こうやって、できなかったことができるようになって少しずつ成長していくんですよね・・・。
と、文字にすると悠長なこと言っていますが、今年もツバメにヒヤヒヤさせられました(汗)。
小学3年生になると、それまでの「生活」から科目がわかれて「理科」「社会」になります。
もうこうなって、何年? 私はまだ1年生から理科・社会だった世代。なので生活ってどういう科目なんだろう? というのがとても気になっていました。教科書を見せてもらって、なるほど! 「自分の身の回り」の自然、施設、時にはそれを校外に出て探検・観察してみよう、という科目なのね! と。
確かに今思えば、「自分の身の回り」って範囲は広く考えればどこまでも広げることはできるのでしょうけど、それを理科、社会で区切るほどあったかな? という思いもあります。
そこから小学3年生で自分たちが住む町や自治体のこと、4年生で日本全国に広がり、5年生で日本の工業や商業などにつながっていくのね、と今さらわかって、ああ、こういう流れでつながると、社会ってやっぱり面白い科目だったんだなぁと。中の人、昔はどっちつかずでしたが、今では社会大好きだし、昔もなんだかんだ好きだったんだろうな・・・。
そんなことを言ってたら、どこか旅行に行きたくなりました。なかなかそんな時間は取れなさそうなところが悲しいですが、そういえば、「旅行好きはだいたい地理好き」なんて言われるような、ないような・・・?
フリースクール「ラヴニール」の玄関内側に、こんなものが貼ってあります。
「玄関を閉めるときは、静かに」
フリースクール「ラヴニール」は、住宅街の中にあります。また玄関のドアは、ある程度開けるとストッパーが働くけれど、そうでなければ手を離したら勝手に閉まる式・・・大きな音がします。
これを、口で
「近所迷惑になっちゃうから、ドアは静かに閉めてね」
と、最後のふりかえりのときに言ったことがあるのですが、それでも直らず、なら、どうしたらいいだろう? ということで浮かんだ案が、「誰でもわかるようにすること」でした。
そこで出た案が、冒頭の文を紙に書き、割と目立つ色で塗り、該当する場所(この例の場合は、玄関)に貼る、ということでした。
貼ったところ、前ほど「バタン!」と閉まることは減りましたが、それでもまだ、「静かに」には少し遠い。手を離すのが遠ければ遠いほど、閉まるまでの勢いがついて大きな音がするのだから、もっと近くで離してほしいなと思っても、なかなか「静かに」にはならない。
そうこうしているうちに、ドアの開け閉めについて気になっていた人は卒業されたので利用しなくなり、あまり気にならなくなったのですが、久しぶりに玄関の注意書きを見返してみて、ふと気になったところが。
うん、たぶん口で言っても伝わらなかったんだっけ
「静かに閉めてね」を共通ルールにするために、目で見える形にしてアピールしたんだっけ
口で言っても伝わらないのなら、目に訴える! このときやっていたんだなぁ・・・
でも、もうひとつ気になる点が。
「静かに閉めてね」の部分。文字通り受け止める特性がある方なら、どう思うでしょう?
「静かに」って、どういうのが「静かに」なんだろう?
自分がしゃべらずにいたら、それは「静か」だよな?
「静かに」ひとつとっても、実は捉え方っていろいろあるなぁということに、今さら気がつきました。
今なら、どういうふうにこの注意書きを作り直すかな。「静かに」で伝わりにくいなら、どういう言葉でこうしてほしいを伝えるかな。
もし、注意書きが新しいものになっていたら、そのときは「あ、『静かに』に代わる答えが見つかったんだ」と思っていただけたら、幸いです♪
「玄関を閉めるときは、静かに」
フリースクール「ラヴニール」は、住宅街の中にあります。また玄関のドアは、ある程度開けるとストッパーが働くけれど、そうでなければ手を離したら勝手に閉まる式・・・大きな音がします。
これを、口で
「近所迷惑になっちゃうから、ドアは静かに閉めてね」
と、最後のふりかえりのときに言ったことがあるのですが、それでも直らず、なら、どうしたらいいだろう? ということで浮かんだ案が、「誰でもわかるようにすること」でした。
そこで出た案が、冒頭の文を紙に書き、割と目立つ色で塗り、該当する場所(この例の場合は、玄関)に貼る、ということでした。
貼ったところ、前ほど「バタン!」と閉まることは減りましたが、それでもまだ、「静かに」には少し遠い。手を離すのが遠ければ遠いほど、閉まるまでの勢いがついて大きな音がするのだから、もっと近くで離してほしいなと思っても、なかなか「静かに」にはならない。
そうこうしているうちに、ドアの開け閉めについて気になっていた人は卒業されたので利用しなくなり、あまり気にならなくなったのですが、久しぶりに玄関の注意書きを見返してみて、ふと気になったところが。
うん、たぶん口で言っても伝わらなかったんだっけ
「静かに閉めてね」を共通ルールにするために、目で見える形にしてアピールしたんだっけ
口で言っても伝わらないのなら、目に訴える! このときやっていたんだなぁ・・・
でも、もうひとつ気になる点が。
「静かに閉めてね」の部分。文字通り受け止める特性がある方なら、どう思うでしょう?
「静かに」って、どういうのが「静かに」なんだろう?
自分がしゃべらずにいたら、それは「静か」だよな?
「静かに」ひとつとっても、実は捉え方っていろいろあるなぁということに、今さら気がつきました。
今なら、どういうふうにこの注意書きを作り直すかな。「静かに」で伝わりにくいなら、どういう言葉でこうしてほしいを伝えるかな。
もし、注意書きが新しいものになっていたら、そのときは「あ、『静かに』に代わる答えが見つかったんだ」と思っていただけたら、幸いです♪
代表から、「大、中、小の使い分けの話をして~」と頼まれましたので、確かこの話ですよね? と思うことを書いていこうと思います。
「マイログ」で目標を立てるときに、「大きいことは小さくしてみる」ことを、ひとつの例として話すことがあります。たとえば前にも例に出ていた、「片づける」ではなく、「〇〇を片づける」と、具体的に絞り込んでみたり。
これは、人に何かを促すときにも使えます。
そうだな・・・。幼稚園などで、「お時間だから片づけるよ」と言っても、なかなかおもちゃを片づけない子がいたとします。改めて、「〇〇くん、ブロックをお片づけして」と指示を出したら、すっとブロックを片づけはじめた、という状況があったとしましょう。これは、「お片づけ」という広い範囲から、「ブロック」に、少し狭くしたら具体的になってわかりやすかったのか、動けた例。
それでも動かない場合・・・、このとき、「ブロック」は、いくつか別の種類のブロックが出ていました。もう少し具体的に、「大きなブロックを片づけて」と伝えてみたり、他にも様々な工夫はあるけれど、
大きい範囲(お片づけ)から、中ぐらいの範囲(ブロック)、小さい範囲(どのブロック)
大→中→小としていくことで、ひとりの子の行動を促すことができますよね。
でも、いつまでもこの「大→中→小」の流ればかりでいいわけでは・・・、ないですよね。この流れは「人の指示あってこそ」の流れ。可能であれば、人の指示なく自主的に、ゆくゆくは主体的に動いてほしいところ。
そのときは、逆に小→中→大が、考える機会を奪わず、いいかもしれません。
大→中→小の流れにもずいぶん慣れてきたころ、今度は質問をしていくことで自主的に動くことを促していくときに、
小 どのブロックをお片づけしたらいい?
中 何をお片づけしたらいい?
大 今は何をしたらいい?
・・・ということを、前に代表と話したよな、という覚えがあります。
これを見誤ってしまうと、まだ流れ的には大→中→小と具体的に指示していきたいところなのに、小→中→大の流れで指示をしてしまい、そうすると受け手側としては「曖昧な表現で逆に混乱する」ことになりますよね~、みたいな話をした気が。
うまく、そのタイミングを見極めていかなきゃですね~、って。
・・・こんな感じでしたっけ??
緩急もだし、この大・中・小もだし、人対人になると、本当に考えることがたくさん! だから楽しいし、その場で起こることにこうしたらいいんだ! というマニュアルは、何となくはあっても細部までこれ! というものは存在しない。だから、「どうあがいても必ず人対人になるもの」は、どれだけITなどが発達したとしても、残り続ける部分だ、と言われています。
認知能力と非認知能力、ですね。
さて、フリースクールでできることは、何でしょう? フリースクール「ラヴニール」が大事にしていること。それは、どういった面を伸ばすことにつながるのでしょう??
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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