フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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■ 不登校中にしたかったこと ■
以上までが、小さいころから学校に行かなくなり始めるまでの自分です。
小さいころから自分は、どうも集団が苦手だったように思います。みんなと何かを一緒にやることは決して嫌いではないので、集団が苦手という言い方をするとちがうのかなと思いますが、集団の中にいると、体格、運動神経、学習面などで常に自分が劣っている対象として比較されるのではないかと思えて、今でも集団でいる必要のないときには一人や少人数で固まっているほうが好きです。
一人集合時間にわざと遅れて和を乱そうとか、みんなと同じ方向を向いて作業をする必要があるのにわざと一人だけ背中を向けていたとか、そういった苦手さではないので、やはり集団が苦手というのとはちょっとちがうのかなと思うのですが、どう言ったらいいでしょう?
ここまでで少し書きましたが、自分が学校に行かなかった間には、物理的にもひきこもりたかったのに、ひきこもらせてもらえませんでした。弟には部屋のドアを開けておくようなルールは課していないので、自分だけプライベートがあってなかったようなものです。
ひきこもること以外にもやりたかったことがあります。
昼夜逆転の生活をすること
ひきこもることを許してもらえなかったので、誰もが寝静まった静かな夜なら実質一人になれるのではないかと思って、夜には起きていて、日の出ているうちは寝ている生活をしたかったです。日中寝ていれば家族の顔を見る確率が減るのと比例して自分を責めることも減るし、深夜ならドアが開いていても誰かに監視されている確率も減ります。
しかしこちらもひきこもりと同じく、昼夜逆転したくてもさせてもらえませんでした。「みんなと同じようにできないといけない」が、母の信条だったからです。このときには、
「朝はみんなと一緒に起きる。ご飯を食べる。夜はみんなと一緒にご飯を食べて、寝なさい」
これが、部屋のドアを開けておくことと同時に自分に課された条件でした。ですが、自分はこれを少し破っていました。起きる時間は弟が学校へ出かけたあと、と決めて起きていました。弟を見送りに母が外に出たら部屋から出て、母が帰ってきたらリビングにいる、というようにしていました。
実際は、朝ごはんの時間にはちゃんと起きていました。ですが、学校に行けなくなった自分と元気そうに学校に行っている弟が同じ食卓につくと、その後弟が学校に行く支度をする姿を見ることになります。弟は学校に行っているのに自分は行けない――。どうしても自分に劣等感を感じてしまうのです。夕飯のときならともかく、朝からその絶望に襲われるのがいやでした。
どうして朝起きられないのかの理由を、母は一度も聞いてきたことがありません。理由を聞かれないまま、母からは何度となく「みんなと一緒に起きること!」と言われました。それでも言われたことを守らずにいると、最終的に母はこう言いました。
「みんなと同じようにできないことを、協調性がないって言うの。わかってる?みんなと同じようにできないことはおかしいことなの!」
ここでもまた、「饅頭の表面だけ」です。自分には意見や考えを言う権利はないようです。
実は、朝一緒に起きたくない理由を言ったことがあります。
「甘え(学校に行かずにいること)を許しているんだから、そのぐらい我慢しなさい!」
何かにおいて、「みんなと一緒」「学校に行かないのは甘え」ということを言われ、特に学校に行けなくなった最初のころはつらい一方でした。自分でもわかっていて、でもできないことを、どんどん突きつけられました。
マンガを読む、ゲームをする、絵を描く、など
何かに夢中になっている間だけは、あらゆる劣等感から自分を解放できました。基本的には下手くそだけど絵を描いていることが多かったです。夏休みの宿題で使わずに余っていたので、小説家みたいに原稿用紙相手にただひたすら文を書く、ということもやっていました。ただいずれもドアを開けっ放しにしていて誰からも覗かれる状態だったので、人の気配がしたならすぐに隠せるようにしていました。隠すぐらいなら堂々としていなさい、と言われたこともあったけど、好きなことをしていたっていつも否定の評価から入っていたうえ、本当に勉強をしていたとしても、「もっとたくさんがんばりなさい」と言われていて、趣味にしても勉強にしても、どれだけやっても誉めてもらえませんでした。それなら堂々としていろと何度言われようが、隠すほうがマシでした。
「マンガやゲームをしている間は気がまぎれた」
と言う不登校経験をもつ人は多いと思うのですが、自分はそうではなかったです。持っていたマンガの冊数は2冊と少なかったし、マンガ雑誌も弟が言い出して初めて買ってもらえたようなもの。我が家にマンガと呼べるマンガはありませんでした。歴史上の偉人について描かれたマンガはありましたが、そのころ人気のあった作品については、後で中古で入手したり、何かの機会に読んだぐらいです。
ゲームも夕方に1日30分までと決められていました。テレビはリビングに1台だけだったので、約束の30分が近づいてくると時間についてうるさく言われましたし、何しろ弟の
「どうせ昼間もやってるんだろ?学校行ってないくせに、ずるい」
という理解のない言葉が痛かったです。
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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