自分は、部屋の片付けや掃除が苦手です。きれい好きの方からしたら納得ができないかもしれませんが、物が少なくすっきりしているよりも、何となく雑然と散らかっているのが落ち着くんです。どうにも我慢できない!となったときに、1日、2日かけて片付けることが、年に何度かぐらい。日ごろからちゃんと元の場所に戻すなど簡単な片づけを繰り返していればそう散らかることはないはずなのに、きれいな状態がいつまでもつか、と賭け事の対象になってもおかしくないぐらい、足の踏み場がなくなるぐらいにまで、すぐ散らかってしまいます。
ある日外出先から帰ってくると、何だか部屋がすっきりしていました。その前日、自分なりに片付けたので、すっきりしていてもおかしくはないのですが、自分がやったよりもさらにすっきりしている気がしました。
犯人はすぐにわかりました。
前日にやった片づけも、母から何度も何度も言われた挙句にやっと遂行したものでした。それで何とか片づけはしたので、言うことは守った気持ちになっていました。それでも手を入れてくるとしたら、散々片づけろと言っていた母以外に思い当たりませんでした。日中に在宅だったかどうかも、決定づける要素のひとつで、このとき弟は専門学校に通っており、土日や休日でない限りは不在がちでした。父は日中は仕事に出ています。
まず、自分の部屋に勝手に立ち入られたことに言葉にできないショックを受けました。自分のいないあいだにあちこち探りまわられたのではないかと不安が襲ってきました(自分も後に同じようなことを母に対してはしているので、文句は言えないのですが)。あわてて机の引き出しを開けてみましたが、引き出しの中は大丈夫。ですが、机の上のものは動かした形跡がありました。
床に、中学生のころに着ていたような服がゴミ袋に入って2袋分。まだ最近まで着ていたような服も含まれています。クローゼットの中を覗かれたことになります。
クローゼットなどは、普通隠しておきたいものなどを入れていたりもします(一応言っておくと、自分の場合隠しておきたいものは特になかったので、その意味では勝手に開けられても「雑然としているよ」ぐらいだったのですが)。そのような秘密性の強い場所にも勝手に立ち入られたことで、さらにショックでした。
リビングに行くと、母がいました。
「部屋――」
と口を開くと、
「ああ、片づけておいたから。きれいになったでしょ?あんたのためを思ってやっておいたから」
との言葉が返ってきて、さらに悲しくなりました。
まだ「してあげたんだから、せめてお礼ぐらいは言ってほしい」と言わなかった分だけマシですが、「あんたのためを思って」が自分を傷つける要素になっているとは、母は気づいていなかったでしょう。当の自分は、自分なりには片づけたのに、自分としては親の言いつけを守ったのに、(それなりとはいえ)片づけたという事実や努力を否定され、言いつけを守れなかったことに対する自己否定を突きつけられたような気持ちになり、自分のいいようにではなく、親のいいようにされたことに、むなしさを感じました。
親の思うとおりでないと、自分は生きていられないんだと、強く感じた瞬間です。親から逃れないと自分自身でいられなくなると思うのと同時に、親の言いつけを守れなかった自分を責めました。
この時点で大学4年生、20歳を越えています。それでも「親の言うことを聞かなければいけない」と思っていたのです。20歳を越えてもですよ?法律上は成人、ひとりの大人ですよ?この部分より前に書いたように、少しは反抗することも覚えてはいたけれど、それでもまだ「親の言うこと」のほうが絶大だったのです。
あらゆることを、親が決めていました。大学の間は、友人たちと夕飯を食べて帰ってきたこともありません。大学までが遠かったので、というのもありますが、
「今日は友達と食べてくるから」
と言おうものなら、
「何を言ってるの。せっかく夕飯の献立考えたんだから、帰ってきなさい」
と返ってきて、それを律儀に守っていたのです。友人同士での旅行や、友達の家に泊めてもらうことも、したことがありません。大学卒業時の卒業旅行にも、自分で費用をまかなうことができず、また、「子どもだけで旅行なんて、何かあったらどうするの」と親からの反対にもあい、行けませんでした(繰り返しになりますが、子どもと言っても、20歳越えていますが――)。
さすがに友人たちの前で「親が言うから帰る」とは言えず、言い訳を適当にごまかしていましたが、うちはうち、よそはよそと割り切ろうとしても、次第に自分の家はどこかおかしいのではないかと感じるようになりました。
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