■ 本当に自分で決められなかったんです! ■
ここまで書いて、本当に何も自分で決められなかったのか? と思われる方もいるかもしれませんが、本当です。
それを裏付けることができるかわかりませんが、大学在学中、ある資格を取りたくて、そのた めに勉強会が設けられていました。先輩から直接教わることができるし、学生が勝手に集まってやっている勉強会だけど、学年関係なく混じって勉強しあえるということで楽しみにしているものがありました。
その勉強会は、1日の授業がひととおり終わってから設定されていました。大学は5時間目まであると、夕方の6時ぐらいにはなるので、それから。終わると夜の8時や9時という時間になるとの話でした。もともとこの勉強会とはちょっとそれた科目を中心に履修していましたが、こちらの勉強会もおもしろそうだということで顔を出すようになっていました。
2年生のあいだ、1年間参加していたでしょうか。卒業までずっと参加したかったのですが、ある日、父から言われたひとことで、勉強会への参加をやめることにしました。
「そういえば、○○の資格は取ったのか?」
○○とは、ある有名な資格でした。もともとやりたかったことにはとても関係のある資格です。手がぴたりと止まりました。それを父が見たかどうかは知りませんが、
「○○の資格を取るために大学行ってんだろ? 取らずに卒業する訳がないよな?」
その資格を取得するため「だけ」に大学に行きたいと思ったわけではなく、そもそも大学だって本音を言うなら「周りの期待にこたえなきゃいけないんだ」と思っていたからで、もう少しじっくり考えてから行ったってよかったなと、今では後悔しているぐらいです。ですが父から、
「お前は大学に遊びに行っているのか? こんなに遅く帰ってきて。勉強会? それが何の関係があるんだ」
と言われた瞬間、資格とはあまり関連のない勉強会は、ただ遊んでいるだけだ、と言われたような気がしたのです。
たったこの1回のできごとで、勉強会への参加をとりやめることにしたのです。
自分で自分の考えがあるなら、それを言えばいいじゃないか。とおっしゃる方もいると思います。でも言えなかったのです。
なぜなら。何度か書いている気がしますが、相談しても、親はまず否定から入りました。
「そんなのはムリに決まっている」
何か作品に対しても、
「もっとこうすればいいんだ」
と、最初は必ずケチをつけられる。
賛同するにしろ否定するにしろ、一度、
「え? アルバイトしたい?」
とワンクッションあるだけでも気持ちの部分ではちがう気がするぐらい、まず第一声が、間髪入れずの否定だったのです。作品についても、自分の思うとおりでやめると、必ずもっとこうしたらいいとケチをつけられ、(作品が絵だとして)筆を勝手に手にとって自分の作品を直しだすぐらいです。
こうして、どうせ自分は何を言ったって受け入れてもらえないんだという気もちは、どんどん強く深くなっていき、重ねて「これを言ったらまた否定される」という気もちもあって、とにかく否定されないためには、自分が傷つかないためには、自分で決めないで人に決めてもらうのがいいんだと、いつの間にか学習していました。
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