■ 休むための場所・居場所 ■
通信制高校に在学していたので、「学校に行っていない」と問われたら「そうだ」と答えるし、かといって「学校に行っている」と問われても「そうだ」と答える、こんな曖昧な状況にあった自分は、義務教育修了後もずっとB所に通い続けていました。適応指導教室が義務教育年齢限定だったのに対し、B所は特に年齢の制限はありません。それでも早くて15歳の高校入学時、遅くても22歳ぐらいをメドに抜ける、という人が多く、別に高校生年齢の自分が所属していてもおかしいことはありませんでした。
このころは予定が重なることが多くて合宿に参加できることがほとんどなく、基本的に毎月の例会のみだったのですが、それでも毎月1回手づくりでつくられる会報誌が楽しみでしたし、それを自分がつくることもあって見てもらえるという楽しみもあったし、もちろんみんなに会えるということも、楽しみでした。
B所で他愛もないことをしていた、と書きましたが、いつもそうではありません。進路の話をしたときのように真面目に語り合うこともあるし、こちらが見ている限り、いつも難しそうな話をしているな、という印象の人もいました。スタッフにも参加者にもとにかくいろんな人がいて、本当におもしろい場所でした。
あるとき、堅苦しく難しい感じではなかったけれど、B所について話し合う機会がありました。
「そもそも、それぞれにとってB所ってどんな場所なの?」
あるスタッフが問いかけました。順番に問われるというより、自発的にランダムに答えていく感じでした。答えても答えなくてもいい場だったので、「何か言わなきゃ」というプレッシャーもなかったです。
「――休み場所」
自分はぽつりと、何気なく思ったことを口にしました。
実際自分は、高校で勧められた資格試験の日とB所の開催日が重なっていても、試験が終わり次第B所に行くということもあって、頭を酷使して疲れているはずなのに、それでも行きたいと思う気持ちがありました。
では、どうして疲れているはずなのに、それでも行きたい・来たいと思っているのだろうと考えていて、何気なく口をついて出た言葉でした。今思ってみると、自分を自分として受け入れてもらえたこと、学校に行けない自分をものすごく否定的に見ていたけれど、学校に行けないとか行っているとか関係なく付き合ってくれたこと。繰り返しになっているかもしれませんが、何の先入観やフィルタなどなしに人と人としての付き合いがそこにはあったんだと、それが自分にとっては何よりも居心地の良さを感じられる場所だったんだと思います。中学のときは家も学校も両方とも、高校に入ってからも家が引き続きいづらい場所だった自分にとっては、家でもない学校でもない第三者でありながら同じ境遇をもつ者が集まる場所が、何よりの息抜きの場所だったのです。
高校の卒業が決まったことと大学進学が決まったことで、自分としてはひとつの区切りかなと思って、親にも相談することなく、B所をやめることにしました。やめはしましたが、それで引き止められるわけでもありませんでした。
「自分で決めたことなら、応援する」
あとで個人的に会った元スタッフの人に言われた言葉が、忘れられません。親に何かを相談しても、言ったことに対して「考え方が甘い」「具体的じゃない。いつから、費用は、先方の約束はとったのか、○○市だといっても、その先どうやって行くんだ」などの否定を矢継ぎ早に浴びせられ、気がついたら親の思うとおりの意見にすりかえられていたり、アドバイスを求めたわけでもないのに逆にアドバイスされた経験ばかりだった自分にとっては、まっすぐに言ったことを受け止めてもらえることが、本当にありがたかったです。
今は当時の現役スタッフの人たちとまったく連絡を取らなくなってしまったので、B所がどうなったかを知る術がありません。自分が卒業するより前に卒業したスタッフの人とは、一部連絡を取り合っています。パソコンでB所のことを検索をしたらホームページなどを持っているのかもしれませんが、今がどうなっているのかを知ることが逆に怖くて、調べたいけれど調べたくないところです。
ひとつだけ言えることは、このB所がなかったら、自分自身は学校に行くことにとらわれ続けてどこまでも自分を追い詰めていたと思います。学校に行かなくて自分を追い詰めなかったわけではないけれど、極端なところまで行かなかったのは、B所のように自分を一人の人として扱ってくれた場所や人と出会えたことが大きいと思います。学校に行かない間は自己否定の気持ちがものすごく強く、高校のあいだも、中途半端な状態ではあることをやはり自己否定に使っていた時期もありました。もっと自己否定を重ねていたら、自分の存在そのものをなくしていたところでしょう。けれど、自身を自己否定の感情で完全に満たすことなくいられたのは、マイナスを埋めるだけのプラスもあったからで、そのプラスとなる部分が、B所だったような気がします。
それでも自己否定の感情を完全に埋めることはできなかったとは思いますが、自己否定をマイナスと考えてみて、マイナス100の状態をマイナス50か40ぐらいにする場所が、B所だったように思います。
B所ではどうやってプラスを獲得したかというと、実は自分でも明確にはわかっていません。あえて言うなら自分をひとりの人として認めてくれたことになるのでしょうが、何か特別な手法をしてもらったわけでもないです。ですが、こういった「日常的なこと」こそ、自己感情を肯定的にも否定的にもしうるではないかと思うのです。
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