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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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体験談2017.9.13

■ 行きたくないと何度も感じるのに、それでも ■


 小学生になり、雪の多い地域でしたので冬になると通うのは大変でしたが、6年間大病をすることなく通いました。一方で、大きかれ小さかれ、何かの問題を起こしていました。問題を起こすといっても軽微であったり巻き込まれたものもありますが、ここでは小学校高学年のころについて書きます。

 小学校5年の担任が、当時で30歳台前半という年齢の割には体育会系の古いタイプでした。男勝りな女の先生でしたが、言葉遣いも荒く、音楽のパートを男女別にする、子ども同士の揉めごとの際には片方だけの言い分を一方的に聞いて、もう一方には弁明の機会を与えずに問い詰める、脅して押さえつけるやり方、など。
 小学校に入っても運動神経の鈍かった自分は、再び格好のターゲットとなってしまいます。跳び箱が飛べないと、みんなの前での個別指導。がんばれ!という声が、どれだけ恥ずかしかったか。縄跳びが飛べないと、
「ふざけるのもいい加減にしろ」
 こちらだってふざけて早くひっかかっているわけじゃありません。算数の問題が解けなかったり、自分の想定とはずれた答えをする子には、
「何度も言っているだろ!お前は脳みそが腐ってるのか?」
「お前の答えはおかしい。そんな解き方はこの世の中にはない」
といった個人を否定する言葉がどんどん飛び出る人でした。後で知ったことですが、これでもある教科の指導にはそこそこ定評があったようで、ある報告会の発表者にこの教師の名前を見つけ、配布された資料が掲載されていたので見てみましたが、あいつがこんなえらそうなことを言う立場にいるのか?と気持ち悪くなったことを覚えています。
 そのようなピリピリした空気の中で学級委員になってしまいました。運動神経は悪かったけれど勉強がそこそこはできていたのと、1クラスあたりの児童の人数が少なく、誰かしらが何かの役につかないといけない状態でした。学級委員になったのは小学5年の後期でしたから、もっともタイミングが悪い時期でした。このころは次の学年に向けて、学校全体のリーダーとしての自覚を否応にも植えつけられるからです。ですので、何かにつけて
「それでこの学校の最高学年になるつもりなのか!」
と怒鳴られました。担任にとって何か都合の悪いことが起こると、それもすべて学級委員の責任。「忘れ物が多いとはどういうことだ!学級委員!」
「そう言われても自分にもわかりません」
と言えればよかったのですが、そこまで言う勇気などありません。教師の言うことは絶対という空気、教室中には不穏な空気が漂い、渋々学級委員が前に出て忘れ物をした子どもに反省を促し、ではどうすれば忘れ物がなくなるかを話し合います。話し合ったところで結局は個人が気をつけるという結果に落ち着くのですが、それが担任の意に沿わなければ1時間目の授業をつぶしてでも反省会は継続される。忘れ物をした子どもだけでなく、たとえ忘れ物をしていなくても学級委員も同じように責められ続けるのです。そして1時間目が終わると、
「ほら見ろ、お前らのせいでせっかくの1時間目がつぶれた」
と、どこまでも子どもに責任を転嫁し責め続けられました。
 問われたことに対して、相手にとって最適な答えとなるように、逆上させないように、火に油を注がないように答えるために、常に担任の顔色を伺っていました。言葉だけでなく、態度だけでなく、表情だけでなく、もう体中から怒りのオーラをばらまくような人でしたから。

 この担任は前任校でも高学年を受けもっていたことが自慢でした。いつも
「前の学校では5年生や6年生はこんなにみっともない子はいなかった」
が口癖でした。高学年に慣れていることと正しい指導ができるかどうかは別物であると理解したのは、このころでした。
 気がついたら、何度となく保健室に足を運んでいました。特に理由があったわけではないんですが、「自分は具合が悪いんだ」と頭で一生懸命思い込んで、1日の中で1回は、休み時間に保健室に行き、熱をはかっていました。でも数字上は平熱、休むなどの措置はなく、何もなく教室に戻されました。

 今思うと、クラスの中にいることがつらく感じ始めていたのかもしれません。小学校は基本的に全部の教科を一人の教師が教えるため、出張や休みなどでない限り、1日の中で必ず担任の顔を見るわけです。その当時は自覚していなかったけど、何となく学校に行くのがいやだな、という感じがあったのかもしれません。
 自分にとって小学校、特に高学年に入ってからは、幼稚園のときのように自分を肯定されることなく、常に評価のまなざしに晒され、担任の顔色をうかがう過剰な気づかいの場だったのではないかと振り返るのです。そうして学校に行きたくないと思いながらも、学校に行きたくないと思う自分を認めたくない部分がありました。
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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