フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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・Comments other than Japanese.
・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
< あとがきにかえて >
フリースクール「ラヴニール」を始めたのが2010年4月だから、活動自体はかれこれ8年目ということになる。
その間、もったいなくも「ただ何となく」フリースクールをしてきた、そんな気もちがあります。本音を言うと。
だから、8年目にもなるのに、何もかもが宙ぶらりん、中途半端だなと思い始めたのが、最近。
何度も尻をたたかれて、やっとのことで本気になったというか、いや、まだ世間全般から見れば本気じゃないのだろうけど、これでもすこ~しは、「フリースクールをしているんだ!」と、胸を張って言えるようになった・・・、かな。
あっ、「やっとかよ!?」というツッコミは、なしでお願いします。
< 何で伝わらないんだろう? >
当初フリースクールを始めた理由が、「学校に行っている・行っていない関係なく、一人の人として受け入れてもらえたことで、その場が居心地よく感じられたから。だから、自分も居心地のいい場所をつくりたい」だった。
ただそれだけの、思いだけは強く、されど概念はぼんやりし状態で始めたフリースクール。
自分「のみ」の思い「だけ」が強いことは、今でも否定しない。というか、今でも「自分『のみ』の思い『だけ』が」という状態であることも、否定しない。
こんな、自分よがりの状態でも手伝ってくれた、これまでにかかわってくださった皆さま。
見学にいらした人、わずかながらでも在籍した人、その保護者の方、ボランティアスタッフ・・・。
独りよがりな場所に、よくぞついてきてくださいました、という思いでいっぱいです。
その一方で、「何でこう、人に伝わらないんだろう?」と、もやもやした気もちも抱えていた。
私の思いはこれだけ強いのに、その思いはどうして伝わらないんだろう?
どうして思うように、スタッフや利用する子ども・その保護者の方に、つながらないんだろう?
<自分でも「フリースクール『ラヴニール』」を理解していなかった>
開設当初は、あれもしたい、これもしたいと思っていたはず。こんな空気にしたい、こんな場所にしたい、あんな場所に出かけたい・・・、etc.
その、自分の頭の中で描いていた「○○したい」を、どれだけ実行できただろう。
ん? ・・・自分の頭の中?
自分の頭の中って、他の人に見えるのだろうか?
答えはもちろん、「No」。どんな心理テストをしたって、物理的に病院でMRIやら開頭手術を受けたって、その人の思考までは見えるわけがない。
のに私は、その他人から見えないものを、「わかってよ!」と思っていたのだ。
そらそうだ、伝わるわけがないじゃん。
そこで、フリースクールとは何だろうか? ということを形にしてみたのが、「フリースクールって何なん?」という連載だったのです。
ふう、やっとここまでたどり着いた。
見えないものを見える化してみて初めて、「そういや、こんなこともしたなぁ。あのときは・・・」「そうそう、この仕事を手伝ってもらえると、ものすごく助かるんだ」といったあたりが見えてきた。
今まで、「じゃあ、ラヴニールの強みは何ですか?」と尋ねられて、「えっと・・・、学校に行けなかった経験だけは豊富に有してます!」としか言えなかった。
実は「強み」に関してはまだまだ見えていなくて(ここも、「まだなのかよ!?」というツッコミはナシで)、いや、強みさえなかった団体だと、やっとのことで整理ができて。
見える化することは、自分にとってもものすご~く有用なんだってことが、やっとのことで理解できた。
<なぜ、フリースクールをしているんだろう?>
そのうえで、原点に立ち返る機会があった。
ものすごく極端な話をすると、世間一般的な誤解として、「学校に行かないなら、せめてフリースクールぐらい行って」というのがあった。今ももしかしてあるのかな?
学校に行かないなら、「フリースクール『ぐらい』」って・・・。あのですね・・・。
いや、「フリースクールもずいぶんと低くみられたもんだぜっ、へっ!」というわけではなく。
ひとりとして同じ人がいないなら、本来、ひとりひとりの人生もちがうはず。
当然、思考もちがうはず。その思考にいたるまでの学びも、ちがうはず。
どこでどう考え、何を感じ、何に影響を受け、何に傷つけられてきたかって、みんな異なるのが、本来は自然なはず。
こう考えるならば、ある程度の年齢になったら、と、一律に決まっているのはいいのだろうか。
皆が同じように一律に、というのが「当たり前」になっているあまり、ここから外れてしまったら、「みんなと一緒にできないことがおかしい」となるのは、本来不自然なはず。
ならば、もうひとつの道を考えるのは自然、とも言えるけれど、「メインストリーム」か、でなければ「もうひとつの道」か、という二択も、ちがう気がする。
言ったでしょ? ひとりとして同じ人がいないのなら、人生も、思考も、そこに至るまでの学びもちがうはずだ、って。ということは、選択肢が2つしか選べないのもちがう、って。
フリースクールの代表としてこんなことを言うのはちがうな、と思いながらも、思い切って言ってしまうけれども、「誰もが、自分がもっとも安心できる場所で、自分が選んだ学びをできること」が、本来はいちばんいいと思っていて。
この前提をもちながら、じゃあ、なんでフリースクールをやっているのか? と言うと。
多くある学びの場の中から、「家でもなく、学校でもない場所で、同じかもしくは違う年齢の人、友達なのかそうじゃないのか、よくわからない人とともに過ごす場所」を選びたい人は、多くはないかもしれない。
それでも、そのわずかな人にとってはこういうあいまいな、わけのわからん場所が安心できるというのなら、それだけで、フリースクールの存在意義としては達成されているんだと思う。
かつての私が、そうだったように。
あ、ここにつながったか!
うん、最終的には、何だかんだで自分が体験してきたことから得られる感覚が、いちばん近いのかもしれない。
「フリースクールって何なん?」を始めるにあたって予告として起こした内容と重複している部分もある、今回の記事。連載としては、ここらで一旦終わります。
次からは、新たな連載をスタートするので、皆さん、乞うご期待あれです。
何らかの形でお知らせするとは思いますが、この連載と同じように毎週月曜日とは限りません。
週に2回の掲載になるかもしれないし、曜日が変わるかもしれないし・・・。
とにかく、次の連載が始まったときには、またよろしくお願いいたします。
なお、質問がありましたら、いつでもお寄せください。そのときには、「フリースクールって何なん? 番外編」を、掲載するかもしれません☆
フリースクール「ラヴニール」を始めたのが2010年4月だから、活動自体はかれこれ8年目ということになる。
その間、もったいなくも「ただ何となく」フリースクールをしてきた、そんな気もちがあります。本音を言うと。
だから、8年目にもなるのに、何もかもが宙ぶらりん、中途半端だなと思い始めたのが、最近。
何度も尻をたたかれて、やっとのことで本気になったというか、いや、まだ世間全般から見れば本気じゃないのだろうけど、これでもすこ~しは、「フリースクールをしているんだ!」と、胸を張って言えるようになった・・・、かな。
あっ、「やっとかよ!?」というツッコミは、なしでお願いします。
< 何で伝わらないんだろう? >
当初フリースクールを始めた理由が、「学校に行っている・行っていない関係なく、一人の人として受け入れてもらえたことで、その場が居心地よく感じられたから。だから、自分も居心地のいい場所をつくりたい」だった。
ただそれだけの、思いだけは強く、されど概念はぼんやりし状態で始めたフリースクール。
自分「のみ」の思い「だけ」が強いことは、今でも否定しない。というか、今でも「自分『のみ』の思い『だけ』が」という状態であることも、否定しない。
こんな、自分よがりの状態でも手伝ってくれた、これまでにかかわってくださった皆さま。
見学にいらした人、わずかながらでも在籍した人、その保護者の方、ボランティアスタッフ・・・。
独りよがりな場所に、よくぞついてきてくださいました、という思いでいっぱいです。
その一方で、「何でこう、人に伝わらないんだろう?」と、もやもやした気もちも抱えていた。
私の思いはこれだけ強いのに、その思いはどうして伝わらないんだろう?
どうして思うように、スタッフや利用する子ども・その保護者の方に、つながらないんだろう?
<自分でも「フリースクール『ラヴニール』」を理解していなかった>
開設当初は、あれもしたい、これもしたいと思っていたはず。こんな空気にしたい、こんな場所にしたい、あんな場所に出かけたい・・・、etc.
その、自分の頭の中で描いていた「○○したい」を、どれだけ実行できただろう。
ん? ・・・自分の頭の中?
自分の頭の中って、他の人に見えるのだろうか?
答えはもちろん、「No」。どんな心理テストをしたって、物理的に病院でMRIやら開頭手術を受けたって、その人の思考までは見えるわけがない。
のに私は、その他人から見えないものを、「わかってよ!」と思っていたのだ。
そらそうだ、伝わるわけがないじゃん。
そこで、フリースクールとは何だろうか? ということを形にしてみたのが、「フリースクールって何なん?」という連載だったのです。
ふう、やっとここまでたどり着いた。
見えないものを見える化してみて初めて、「そういや、こんなこともしたなぁ。あのときは・・・」「そうそう、この仕事を手伝ってもらえると、ものすごく助かるんだ」といったあたりが見えてきた。
今まで、「じゃあ、ラヴニールの強みは何ですか?」と尋ねられて、「えっと・・・、学校に行けなかった経験だけは豊富に有してます!」としか言えなかった。
実は「強み」に関してはまだまだ見えていなくて(ここも、「まだなのかよ!?」というツッコミはナシで)、いや、強みさえなかった団体だと、やっとのことで整理ができて。
見える化することは、自分にとってもものすご~く有用なんだってことが、やっとのことで理解できた。
<なぜ、フリースクールをしているんだろう?>
そのうえで、原点に立ち返る機会があった。
ものすごく極端な話をすると、世間一般的な誤解として、「学校に行かないなら、せめてフリースクールぐらい行って」というのがあった。今ももしかしてあるのかな?
学校に行かないなら、「フリースクール『ぐらい』」って・・・。あのですね・・・。
いや、「フリースクールもずいぶんと低くみられたもんだぜっ、へっ!」というわけではなく。
ひとりとして同じ人がいないなら、本来、ひとりひとりの人生もちがうはず。
当然、思考もちがうはず。その思考にいたるまでの学びも、ちがうはず。
どこでどう考え、何を感じ、何に影響を受け、何に傷つけられてきたかって、みんな異なるのが、本来は自然なはず。
こう考えるならば、ある程度の年齢になったら、と、一律に決まっているのはいいのだろうか。
皆が同じように一律に、というのが「当たり前」になっているあまり、ここから外れてしまったら、「みんなと一緒にできないことがおかしい」となるのは、本来不自然なはず。
ならば、もうひとつの道を考えるのは自然、とも言えるけれど、「メインストリーム」か、でなければ「もうひとつの道」か、という二択も、ちがう気がする。
言ったでしょ? ひとりとして同じ人がいないのなら、人生も、思考も、そこに至るまでの学びもちがうはずだ、って。ということは、選択肢が2つしか選べないのもちがう、って。
フリースクールの代表としてこんなことを言うのはちがうな、と思いながらも、思い切って言ってしまうけれども、「誰もが、自分がもっとも安心できる場所で、自分が選んだ学びをできること」が、本来はいちばんいいと思っていて。
この前提をもちながら、じゃあ、なんでフリースクールをやっているのか? と言うと。
多くある学びの場の中から、「家でもなく、学校でもない場所で、同じかもしくは違う年齢の人、友達なのかそうじゃないのか、よくわからない人とともに過ごす場所」を選びたい人は、多くはないかもしれない。
それでも、そのわずかな人にとってはこういうあいまいな、わけのわからん場所が安心できるというのなら、それだけで、フリースクールの存在意義としては達成されているんだと思う。
かつての私が、そうだったように。
あ、ここにつながったか!
うん、最終的には、何だかんだで自分が体験してきたことから得られる感覚が、いちばん近いのかもしれない。
「フリースクールって何なん?」を始めるにあたって予告として起こした内容と重複している部分もある、今回の記事。連載としては、ここらで一旦終わります。
次からは、新たな連載をスタートするので、皆さん、乞うご期待あれです。
何らかの形でお知らせするとは思いますが、この連載と同じように毎週月曜日とは限りません。
週に2回の掲載になるかもしれないし、曜日が変わるかもしれないし・・・。
とにかく、次の連載が始まったときには、またよろしくお願いいたします。
なお、質問がありましたら、いつでもお寄せください。そのときには、「フリースクールって何なん? 番外編」を、掲載するかもしれません☆
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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