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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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以前ラヴニールでは、月に1度ですが、「土曜説明会」として、土曜にもオープンしている日がありました。文字どおり、ラヴニールがどんなところかの説明のみの日でしたが、しばらくお休みしていました。

その、土曜説明会。このたび復活します!

見学に行きたいけれど、平日はお仕事で時間を取りづらいという方。ぜひ、この機会をご利用ください。

まずは「こんな場所がある」と知っておきたい保護者の方。
お子さんと一緒に家族みんなで見学してみたい!
お子さんが「こういう場所に行きたい!」と言っている方・・・

フリースクールがどんな場か知りたい! という方・・・

大歓迎です! ぜひ一度、見学にいらしてください。
復活にあたり、以前と時間の設定が異なりますが、ご了承ください。

土曜説明実施日:

原則、月に1~2回。第2、第4土曜日。午前10時から12時ごろまで。
行事などの都合によって月2回予定が1回になる可能性がありますが、最低毎月1回実施はキープしたいと考えています。

その代わり、土曜日も活動する分、月~金のうち1日、お休みをいただきます。
こちらは、週によって変動します。

さっそく、6月23日より、土曜説明日を再開したいと思います。


これまでどおり平日の活動時間中も、随時ご見学いただけます。
資料の確認・準備をする都合がありますので、平日・土曜どちらの見学を希望される場合でも、事前にお電話、またはメールにて見学の希望をお知らせいただきますよう、お願いいたします。
 
 



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■ 本当に自分で決められなかったんです! ■


 ここまで書いて、本当に何も自分で決められなかったのか? と思われる方もいるかもしれませんが、本当です。


 それを裏付けることができるかわかりませんが、大学在学中、ある資格を取りたくて、そのた めに勉強会が設けられていました。先輩から直接教わることができるし、学生が勝手に集まってやっている勉強会だけど、学年関係なく混じって勉強しあえるということで楽しみにしているものがありました。

 その勉強会は、1日の授業がひととおり終わってから設定されていました。大学は5時間目まであると、夕方の6時ぐらいにはなるので、それから。終わると夜の8時や9時という時間になるとの話でした。もともとこの勉強会とはちょっとそれた科目を中心に履修していましたが、こちらの勉強会もおもしろそうだということで顔を出すようになっていました。

 2年生のあいだ、1年間参加していたでしょうか。卒業までずっと参加したかったのですが、ある日、父から言われたひとことで、勉強会への参加をやめることにしました。

「そういえば、○○の資格は取ったのか?」

 ○○とは、ある有名な資格でした。もともとやりたかったことにはとても関係のある資格です。手がぴたりと止まりました。それを父が見たかどうかは知りませんが、

「○○の資格を取るために大学行ってんだろ? 取らずに卒業する訳がないよな?」

 その資格を取得するため「だけ」に大学に行きたいと思ったわけではなく、そもそも大学だって本音を言うなら「周りの期待にこたえなきゃいけないんだ」と思っていたからで、もう少しじっくり考えてから行ったってよかったなと、今では後悔しているぐらいです。ですが父から、

「お前は大学に遊びに行っているのか? こんなに遅く帰ってきて。勉強会? それが何の関係があるんだ」

と言われた瞬間、資格とはあまり関連のない勉強会は、ただ遊んでいるだけだ、と言われたような気がしたのです。

 

 たったこの1回のできごとで、勉強会への参加をとりやめることにしたのです。

 自分で自分の考えがあるなら、それを言えばいいじゃないか。とおっしゃる方もいると思います。でも言えなかったのです。

 なぜなら。何度か書いている気がしますが、相談しても、親はまず否定から入りました。

「そんなのはムリに決まっている」

 何か作品に対しても、

「もっとこうすればいいんだ」

 と、最初は必ずケチをつけられる。

 賛同するにしろ否定するにしろ、一度、

「え? アルバイトしたい?」

 とワンクッションあるだけでも気持ちの部分ではちがう気がするぐらい、まず第一声が、間髪入れずの否定だったのです。作品についても、自分の思うとおりでやめると、必ずもっとこうしたらいいとケチをつけられ、(作品が絵だとして)筆を勝手に手にとって自分の作品を直しだすぐらいです。

 こうして、どうせ自分は何を言ったって受け入れてもらえないんだという気もちは、どんどん強く深くなっていき、重ねて「これを言ったらまた否定される」という気もちもあって、とにかく否定されないためには、自分が傷つかないためには、自分で決めないで人に決めてもらうのがいいんだと、いつの間にか学習していました。





■ 金輪際話すものか! ■


 2月の頭になると、母が尋ねてきました。

「またアルバイトするんでしょ?」

 大学は、学部や授業によっては1月から2月にかけてテストを実施したあとでも集中講義があったり、レポートを提出するよう言われるところもありましたが、自分は該当するものがありませんでした。したがって、まったくのフリーでした。

「アルバイト?」

 たずね返すと、

「ほら、学童保育」

 自分としてはあんなところではアルバイトをするつもりはありませんでした。

「え? しないよ」

 と答えると、突然、

「しないって、誰がそんなこと決めたの」

 と、母。

「夏にあれだけがんばったんだから、今度もするんでしょ?」

 あんなにつらかった場所にもう一度戻るとか、考えたくもありませんでした。

「しないよ、あんなところでなんか」

 8月末で雇用期間が終了したときに、特に両親には何も言いませんでした。学生ではなく主婦の人で、他の学童保育の常勤スタッフに空き枠があって滑り込んだ人ならいましたが、自分としては大学優先にしたかったので、期間満了につき、雇用終了となっていました。

 それを、説明しなかった自分も悪いといえば悪いのですが、

「何で勝手にやめるの!」

 と、アルバイトを親の許可なくやめたと勘違いされました。


 それからしばらく、一方的に質問をされました。いつやめたのか、あんなにいい場所だったのに、どうしてやめたのか。やめた訳じゃない、と何度も言いかけては、次の質問にかき消されて、こちらの弁明の機会はまったくなし。

「行かないなんて、やめるのと一緒じゃないの」

 昔、年賀状が集中する年末年始限定で郵便局でアルバイトをしたことがある、と言っていた母の発言とはとても思えませんでした(あれだって、期間限定雇用ですよね?)。


 そのうち、

「何度も同じことを繰り返さない!」

「いいから、こっちが尋ねていることについて答えなさい!」

とまで言われる始末。どの口が言うんだよ、と思いました。

「何であんなにいいところをやめるわけ? 何の理由があって? あんなにいいところでも働けないんじゃ、他のどこに行ったって働けないから」


 「あんなにいいところ」って誰が決めたんだと、怒りがこみ上げてきました。お母さんはあの場がどれだけひどい場所だったか、知りもしないくせに! 実際を見てもいない場所のことをひたすら「いい場所」としか言わないことと、そんな理由も知らずに自分だけが悪いかのように言い、問題を自分だけに閉じ込めようとする母に対して、さすがの自分も強く反論しました。


「『あんなにいいところ』って、何をもっていいところだって言えるの? 実際、いいところだっていうのを見たわけ? ――もういいよ! そっちがこっちの言い分を聞いてくれないんなら、こっちだって、アルバイトについては金輪際何も言わないから!」

と、言うだけ言って勝手に椅子から立ち上がり、部屋に入りました。部屋のドアは、もちろん強く音を立てて閉めました。



 この話には、少々時があきますが、後日談があります。この件があってから数年後。たまたま母が知り合った方が、この学童保育に通っていたお子さんの保護者の方と知り合いだったそうです。

「そういえばあのときアルバイトしていた学童保育。評判悪かったんだってね~」

 これを突然思い出したかのように言われたことで、また怒りがこみ上げてきました。

「今になって、何言ってんの? あのときはちっとも言い分聞いてくれなかったくせに、今になって同情するようなこと言われて、気を許すとでも思って?」

 補足すると、数年の間、最初にアルバイトしていた学童保育については、本当に何も話しませんでした。もう、「どうせこの人たちは話したって聞いてくれないし」がかなりの奥底にまで染みついていて、話してもこちらが疲れるだけだから、と、話すこと自体諦めていました。




毎週水曜日に学校に行かなかった経験を連載中ですが、同じ体験談でも、今日はちょっとちがった体験談。ですので、カテゴリ「思うこと」でアップします。


寄せられた内容を見て思ったのですが、身近な存在からの「いじめ」は、あえてカテゴリ分けするとしたら、虐待となるのでしょうか。こんな例もあるんだということを知ってほしいとの訴えから、ブログに掲載いたします。



< 家族内でのいじめ >


いじめは、よく学校、会社で、友人関係の中で(たとえばママ友)起こると思われていますが、実はもっと身近な家族の中でもいじめが起こるのではないかと、私は思います。
私は、かつて学校に行かない経験をしました。家族のことが関係してきますので、当時の家族構成をお話ししますと、両親と、同性のきょうだいが下に2人。私は学校に行かなかった時代がありますが、きょうだいは2人も幼稚園や小学校、中学校をほぼ休むことなく通っていました。

 
もう少し言うと、私のきょうだいは皆見た目が異なり、3人で歩いていても「友人同士ですか?」と尋ねられ、「きょうだいです」と答えると、「・・・では、こちらとこちらが?」と、考えた末に下のきょうだい2人がきょうだいで、私は一緒に来た友人だろうか? と思われるぐらい、似ていません。
私も背がさほど高くなく、それでいて体重は多め、いわゆるぽっちゃり体型。きょうだいは私よりも背が高かったり、私よりも背は低いけれど細身だったり。
 
私自身がそんな体型だったこともあって、私自身はよく、きょうだいからからかいを受けました。
 
坂道などでは
「ほら○○(私のこと。以後も)、早く転がりなよ。歩くより転がったほうがスピードついて速いんじゃない? それだけ丸いんだし」
 
またあるときは、テレビにブタが映し出され、
「あ、○○の友達だ!」
アニメのブタのキャラクターには、
「ほら、○○、テレビ出てる」
このキャラクターというのは、うさぎのミッフィーで有名なディック・ブルーナのシリーズに、「ブタのポピー」というのがいるのですが、
 
「ポピー ポピー ブタのポピー かわいいポピッピー」
 
という歌詞の歌がありました。ポピーが出てくると、きょうだいは
「ほら、テレビ出てるよ」
といったあとでこの歌に合わせて
 
「ポピーポピー ブタのポピー ブースなポピッピー」
 
と、笑いながら私を見て、2人で替え歌を歌うのです。
  
★ ブタやポピーが悪いとか、そういうことを言いたいわけではありません。私をからかうネタとして使われていた、という認識でお願いいたします。
 
ぽっちゃりしていることをからかわれ、やめてよ、とは言えませんでした。
 
なぜなら、
「じゃあ、もっとダイエットすれば~? なってみたら? こんな体型に」
と返ってくるのがわかっていたからです。
同じものを同じぐらい、いや、きょうだいのほうが多かったかもしれません。食べているのに、私は食べたら食べただけ太る体質、身内は食べても太らない体質。ゆえに、「痩せ型」といわれる体型。それが自慢で、時々自身がやせていて、着たいと思ったらどんな服でも着られる、サイズに困らないことを鼻にかけていると思われるシーンがある身内でした。
 
さらに私が何も言えずにいると、
「どうせムリだよね~。学校行ってないんだもん」
と返されることまでわかっていたため、さらに何も言えなくなっていました。
ダイエット自体は、家でもできたかもしれません。学校に行けないことと体型のこととは何の関連もないにも関わらず、「学校に行けない自分はダメな自分だ」とずっと思っていた私には、学校に行っていないあんたが痩せられるわけがない、と言われているような気がして、でも学校に行っていないことは事実で、何も反論ができなかったのです。
 
 
 
そのころからかなりの年月が経過し、今では私やきょうだいにも家族と呼べる存在ができました。最近、帰省したときのこと。
 
「そういえば○○、今ではきれいに痩せたね」
「あのときの『ポチャこ』じゃなくなったんだね」
 
両親としては何気なく言ったつもりだったでしょう。
しかし、私としては両親が想像していないぐらい傷つき、ずっと引きずっていたことでした。
私自身もずっと傷だったと気がつかなくて、何気なく言われて思い出したのが、正確なところですが。
 
ずっと身内から、しかも自分よりも年齢が下の者からからかわれ、嫌な気持ちになり、さらに重ねると、こういったからかいなどは週のうちでも何度もあったのですが、それを知っていたはずの身内の誰もが止めなかったのです。
替え歌を歌うなどして主にからかっていた、きょうだい1。それを見聞きして笑っていた、きょうだい2。知っていたはずなのに「やめなさい」と止めなかった、両親。
 
どうしてあのとき、止めてくれなかったの。親なら、身内なら、何で守ってくれなかったの。
 
 
相手がどうであれ自身がいじめだと感じるなら、それはいじめだと言う人がいます。
さすがにそれは大げさだろうと思い、とりあえず明確にされている定義に沿ってみたところ、一方的に身体的なものはなかったにせよ、心理的には傷つけられ、それを今でも苦痛であると感じていること。
「四層構造」の中に、このときの登場人物がすべて当てはまること。
 
こういった定義に沿えば、私がいじめを受けていた、と、自己弁護的になりますが、言えるのではないかと思います。
がしかし、定義にもあるように、背景は、内外の文言こそあれど「学校」がベース。家庭の中でのこういった状況は、いじめであると言えるはずなのに、いじめと言えないようです。
 
 
参考サイト:
 
 
 
家族内の問題だから、解決は家族内でして。
皆さんはそう思うでしょうか。
しかしその家族内での関係がこのようにいびつな状態で、どうやって家族内で解決すればよかったというのでしょうか。
  
 
皆さんには、知ってほしいです。
いじめは、学校や社会などの外の世界のみで起こるものではない。
もっと身近な、家庭内でも起こりうるということを。



■ 資格が人となりを語る? ■


 学生時代は、はっきり言うと勉強には苦労しましたが、本当にバカがつくぐらい真面目に授業に出席をしていたので、単位がギリギリだったものも含めて、何とか必修科目を再履修することなく卒業することができました。在学中は、念願かなってアルバイトができる! と思ったのですが、通学に時間がかかったのと、単位不足で卒業できなかったことを避けるために3年、4年でもそれなりに授業を入れていたため、平日に思うように時間が取れず、アルバイトができたのは、土日、あるいは長期休みの間だけ。

 そして、

「飲食店? そんな来れる日数少ない子なんて、雇われないよ」

 別の求人を見つけ、そこは土日のみの募集でも、

「そもそも物覚えが悪いんだから、できるわけないじゃない。要領よく、気の利く子じゃないと」

 と、結局否定されて自信をなくし、応募せず。


 今思えば応募するだけしてみればよかったなと思うのですが、高校時代もアルバイトをしたことがない自分にとっては、アルバイトをするというのは未知の世界。未知の世界について知るには先人の――、を、鵜呑みにしていました。


 そのような状況でしたが、親が唯一、二つ返事で許してくれたアルバイトがありました。それが、長期休みの間の学童保育でした。

「こんなの、いいんじゃない? 常勤も一緒に募集してるの見ると、保育士とか幼稚園の先生とか学校の先生とか、何らか資格持ってる人じゃないと応募できないみたいだし。有資格者の人ばかりなんだから、ちゃんとしてるところだし」

 と言われて応募して、まずは夏休み期間のみ採用されました。


 しかし、その学童保育が、とんでもないところでした。毎日のように飛ぶ怒声、罵倒、冗談の範囲をこえた「冗談」。

 怒声は、子ども同士のケンカの声ではなく、学童保育のスタッフが一方的に子どもを怒鳴りつける声。罵倒も同じ。子どもが一生懸命何か言おうとしているのに、

「うるさい! 本当に生意気なんだから!」

と罵倒する。迎えに来た保護者の方には、

「私、子ども嫌いなのよね~」

と笑って言う。こんな対応をするスタッフ全員が、子どもに関する資格を所持している人――。

 自分は子どもの立場ではなかったのですが、何だかその場にいるのがとても苦しくなってきました。一方的に生意気だって決めつけられたり、自分の思うことも言わせてもらえないなんて、どういう気分だろう。「子どもが嫌いだ」なんて堂々と言うスタッフがいる場所に、保護者の方は子どもを預けたいと思うだろうか――。


 何とか8月末までは乗り切りましたが、来年度の応募はしないでおこうと決めました。こんな場所、とてもじゃないけれど自分がおかしくなってしまいそうでした。ちょうどこのころ、大学の授業(教養科目)で「子どもの権利条約」という言葉を知ったことを思い出し、ノートを見返してみました。

「権利を盾にして我がままを許そうというものではなく、『子どもであっても、意見を聞いてもらえたり、意見を言ったり、生きていくうえで大切なことが保障されたもの』」

「18歳になっていない人を子どもとする」

と書いてあり、この条約には、日本も1994年に批准していること。

 批准しているはずなのに、自分は大学の授業で聞くまで、何も知りませんでした。

 それならと、業務が終わったあとの時間を狙って、常勤のスタッフに「子どもの権利条約について知っているか」と、尋ねてみました。

「は? 何それ?」

 繰り返しになりますが、この場の常勤スタッフは、全員、子どもに関する何らかの資格をもった人たちです。全員がこのような反応でした。そのうえで、

「子どもであっても――、というものなんですって」

と、最初の「権利を」から「ではなく、」までをあえて省略してノートの内容を言うと、

「それって、子どもが我がままになるだけじゃない」

 これも、全員が同じ反応。挙句の果てには、

「子どもに我がまま言わせないために、大人が押さえつけなきゃ。大人が強いんだってことを見せつけなきゃ」

 とまで言うスタッフもいて、かなり大幅に譲って「我がままを助長するもの」というところまでは「そういう条約じゃないのに、ああ、やっぱりそんなふうにとらえられちゃうのか」と、ギリギリ許せても、子どもを押さえつけなきゃいけないと言い切る点については、唖然とするしかありませんでした。


 本当にこの人たちは、子どもに関する資格をもった人たちなのでしょうか。資格だけで人を判断していたことに自分としては気づくことができましたが、この現状を知らない親は、こんな場所でも、「いいアルバイト先を見つけられて、よかったね」という認識でしかいませんでした。



プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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