フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
Posting of comments like the following will be declined:
・Comments other than Japanese.
・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
【あのとき学校に行かないと将来がないよ、と言った人へ】
私は小学校で学校に行きにくくなり、中学校は数日行っただけで完全に行かなくなった。
学校に行きづらくて休むようになったころ、学校の先生が家に来て、「学校に来て勉強しないと、将来生きて行くのに困るよ」と、毎日学校に来るように言ったことを覚えている。数日行っては休み、また数日行っては休み、そうしてだんだん行く日のほうが減り、休む日のほうが多くなった。
中学生になったら学校に行けるようになるよね、と言ってくれた親戚もいた。その親戚も、中学生になっても学校に行けるようになるどころか完全に行かなくなった私に、「学校に行かなくてどうするの。お友達はみんなつらくてもがんばっているのに。つらいのを我慢してがんばるから、将来幸せになれるんだよ」
私には、もう我慢の限界だった。小学校の教室の中で当たり前にクラスメイトを罵倒する担任教師。忘れ物が多かったら、「忘」という字を崩して罵倒されるのが毎度の常。
「こんなに忘れ物をするあなたは、心が亡いのね」(「忘」を崩した関係上、誤字はわざと)
その罵倒が自分に向けられたものでなくても、見ている私はつらくてたまらなかった。いざ自分も忘れ物をしたら、クラスメイトの前でああやって罵倒される。そう思ったらとてもじゃないけれど忘れ物なんてできなかった。まず家に帰ったら明日の時間割をそろえ、寝る前にも確認し、翌朝起きたら着替える前にランドセルの中を確認し、また出かける直前に確認し、4回確認しても忘れ物をしてしまったときには、本当に怖くて怖くてたまらなかった。夜寝る前になると、「また明日学校だなぁ」と嫌な気持ちになり、朝は朝で、家を出るギリギリまで「学校行きたくないなぁ」と思って、わずかな時間でケガをしないか、体調を崩さないか、期待をしていた。
そうしているうちに、朝起きても頭が痛かったり、本当に体のどこかがおかしい日が増えた。体調がよくないことを親に言って、親から学校を休むことを電話で伝えてもらうと、不思議と体調のよくなかったのが落ち着いた。家では元気なので次の日には学校に行くつもりで準備をすると、また翌朝には体調がおかしくなる。連絡をするとよくなる。また翌朝には体調がおかしくなる・・・ この繰り返し。
私の父が「登校拒否」という言葉を知っていて、私の状態は登校拒否ではないか、と気がついたようだった。気がついてくれたのはよかったのだが、私が学校に行きたくないがために、仮病を使っていると思い込んでいた。父は登校拒否のことを、学校に行きたくないがために仮病を使って休もうとすること、と誤解していた。
「学校に行かなくてどうするんだ。お父さんだって会社で嫌なことがあっても我慢している。今のうちからつらいことから逃げていて、大きくなったらどうするんだ」
私としてもがんばってみた。がんばって行って、でも具合は悪いまま。そして休む。休むと体調はよくなる・・・
「学校に行かないなんて、あんたをそんなにわがままに育てた覚えはないんだけど」
母からも言われた。
中学生になっても、教室に入ると小学校のときの光景がよみがえってきた。後ろの席だったので、みんなが前を向いている姿勢が、小学校のときの一人が罵倒されている中で「俺は(私は)関係ないし」と赤の他人を装っているような感じと重なって見えた。中学校が怖くなった。
今だから、何となく嫌だったことを整理して語ることができるが、学校に行かなくなったころは、どうして自分が行きたくないのか理由がよくわかっていなかった。学校に行こうとはするけれど、それでも体は行きたくないと言う。自分が思うことと体が別々の行動をしているということを、家族も親戚も誰もわかってくれなかった。同じような体験をした人は私の周りにはいなくて、私だけがおかしくなってしまったんだと悲しくなった。
せめて家にいる間に教科書や問題集などを開いて勉強ができればよかったのだが、学校のものを見ると、家にいても体調がおかしくなることが、時々ながらあった。
つらいことを我慢できない自分は将来のつらいことも我慢できないし、勉強もできない自分は将来困るに決まっている。もう自分は生きている価値がないんじゃないか。何度もそう思った。
親はそのうち、学校に行かなくなった自分に対して何も言わなくなった。時々、学校に行く気はないのか尋ねられたことがあって、そのときには「放っておいてくれ」って思うくせに、何も言われなければ「どうせ私には何の希望も期待もないもんね」とウラを勘繰り、何でも否定に捉えていた。
今、学校に行かなくなったころから約20年、将来がないと言われてきた私は、つらいことから逃げた私は、しぶとくもまだ生きている。気がつけば生まれてから学校に行かなくなるころまでよりも、学校に行かなくなったころから今までのほうが、年数が長くなった。あのとき私にいろいろ言ってくれた人たちには、将来がないだなんて嘘をよくも言ってくれたね、と思っている。
でも、それも仕方ないとも思っている。学校に行かない経験をもつ人やその親って、学校に行っている人からしたら少数。日常の中では巡り会える割合がそれだけ減るということだから、同じような経験をした人と経験を語り合えていたなら、もっとちがったかもしれない。私の時代は、まだインターネットなるものが当たり前ではないころだから、情報を知るには人づてで知るか、新聞の告知欄などを見るのがもっとも有効なころ。今みたいに片手で簡単に情報を得ることができなかった。
とは言っても、その嘘に振り回され、苦しめられたことは事実。親も、親戚も、学校の先生も。嘘で振り回すのは、決して他人ばかりじゃない。もしかしたら自分も振り回しているかもしれない。自戒の意味でも言うけれど、世間の常識という見えない概念にとらわれ、常識や概念ばかりを見て、個を嘘で傷つけたことは、私の中でずっと傷として残っている。時々、そうやって自分のことを傷つけた人の前で笑っていることが、ふとつらくなる。
今私が言いたいことは、「嘘じゃなくて本当のことを、真実を伝えてほしかった」ということです。
私は小学校で学校に行きにくくなり、中学校は数日行っただけで完全に行かなくなった。
学校に行きづらくて休むようになったころ、学校の先生が家に来て、「学校に来て勉強しないと、将来生きて行くのに困るよ」と、毎日学校に来るように言ったことを覚えている。数日行っては休み、また数日行っては休み、そうしてだんだん行く日のほうが減り、休む日のほうが多くなった。
中学生になったら学校に行けるようになるよね、と言ってくれた親戚もいた。その親戚も、中学生になっても学校に行けるようになるどころか完全に行かなくなった私に、「学校に行かなくてどうするの。お友達はみんなつらくてもがんばっているのに。つらいのを我慢してがんばるから、将来幸せになれるんだよ」
私には、もう我慢の限界だった。小学校の教室の中で当たり前にクラスメイトを罵倒する担任教師。忘れ物が多かったら、「忘」という字を崩して罵倒されるのが毎度の常。
「こんなに忘れ物をするあなたは、心が亡いのね」(「忘」を崩した関係上、誤字はわざと)
その罵倒が自分に向けられたものでなくても、見ている私はつらくてたまらなかった。いざ自分も忘れ物をしたら、クラスメイトの前でああやって罵倒される。そう思ったらとてもじゃないけれど忘れ物なんてできなかった。まず家に帰ったら明日の時間割をそろえ、寝る前にも確認し、翌朝起きたら着替える前にランドセルの中を確認し、また出かける直前に確認し、4回確認しても忘れ物をしてしまったときには、本当に怖くて怖くてたまらなかった。夜寝る前になると、「また明日学校だなぁ」と嫌な気持ちになり、朝は朝で、家を出るギリギリまで「学校行きたくないなぁ」と思って、わずかな時間でケガをしないか、体調を崩さないか、期待をしていた。
そうしているうちに、朝起きても頭が痛かったり、本当に体のどこかがおかしい日が増えた。体調がよくないことを親に言って、親から学校を休むことを電話で伝えてもらうと、不思議と体調のよくなかったのが落ち着いた。家では元気なので次の日には学校に行くつもりで準備をすると、また翌朝には体調がおかしくなる。連絡をするとよくなる。また翌朝には体調がおかしくなる・・・ この繰り返し。
私の父が「登校拒否」という言葉を知っていて、私の状態は登校拒否ではないか、と気がついたようだった。気がついてくれたのはよかったのだが、私が学校に行きたくないがために、仮病を使っていると思い込んでいた。父は登校拒否のことを、学校に行きたくないがために仮病を使って休もうとすること、と誤解していた。
「学校に行かなくてどうするんだ。お父さんだって会社で嫌なことがあっても我慢している。今のうちからつらいことから逃げていて、大きくなったらどうするんだ」
私としてもがんばってみた。がんばって行って、でも具合は悪いまま。そして休む。休むと体調はよくなる・・・
「学校に行かないなんて、あんたをそんなにわがままに育てた覚えはないんだけど」
母からも言われた。
中学生になっても、教室に入ると小学校のときの光景がよみがえってきた。後ろの席だったので、みんなが前を向いている姿勢が、小学校のときの一人が罵倒されている中で「俺は(私は)関係ないし」と赤の他人を装っているような感じと重なって見えた。中学校が怖くなった。
今だから、何となく嫌だったことを整理して語ることができるが、学校に行かなくなったころは、どうして自分が行きたくないのか理由がよくわかっていなかった。学校に行こうとはするけれど、それでも体は行きたくないと言う。自分が思うことと体が別々の行動をしているということを、家族も親戚も誰もわかってくれなかった。同じような体験をした人は私の周りにはいなくて、私だけがおかしくなってしまったんだと悲しくなった。
せめて家にいる間に教科書や問題集などを開いて勉強ができればよかったのだが、学校のものを見ると、家にいても体調がおかしくなることが、時々ながらあった。
つらいことを我慢できない自分は将来のつらいことも我慢できないし、勉強もできない自分は将来困るに決まっている。もう自分は生きている価値がないんじゃないか。何度もそう思った。
親はそのうち、学校に行かなくなった自分に対して何も言わなくなった。時々、学校に行く気はないのか尋ねられたことがあって、そのときには「放っておいてくれ」って思うくせに、何も言われなければ「どうせ私には何の希望も期待もないもんね」とウラを勘繰り、何でも否定に捉えていた。
今、学校に行かなくなったころから約20年、将来がないと言われてきた私は、つらいことから逃げた私は、しぶとくもまだ生きている。気がつけば生まれてから学校に行かなくなるころまでよりも、学校に行かなくなったころから今までのほうが、年数が長くなった。あのとき私にいろいろ言ってくれた人たちには、将来がないだなんて嘘をよくも言ってくれたね、と思っている。
でも、それも仕方ないとも思っている。学校に行かない経験をもつ人やその親って、学校に行っている人からしたら少数。日常の中では巡り会える割合がそれだけ減るということだから、同じような経験をした人と経験を語り合えていたなら、もっとちがったかもしれない。私の時代は、まだインターネットなるものが当たり前ではないころだから、情報を知るには人づてで知るか、新聞の告知欄などを見るのがもっとも有効なころ。今みたいに片手で簡単に情報を得ることができなかった。
とは言っても、その嘘に振り回され、苦しめられたことは事実。親も、親戚も、学校の先生も。嘘で振り回すのは、決して他人ばかりじゃない。もしかしたら自分も振り回しているかもしれない。自戒の意味でも言うけれど、世間の常識という見えない概念にとらわれ、常識や概念ばかりを見て、個を嘘で傷つけたことは、私の中でずっと傷として残っている。時々、そうやって自分のことを傷つけた人の前で笑っていることが、ふとつらくなる。
今私が言いたいことは、「嘘じゃなくて本当のことを、真実を伝えてほしかった」ということです。
PR
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
カテゴリー
最新記事
(11/12)
(11/11)
(11/08)
(11/07)
(11/06)
P R
忍者カウンター