フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
Posting of comments like the following will be declined:
・Comments other than Japanese.
・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
もうずいぶん前の話ですが、自分の都合で大阪に引っ越すことを、親に言ったとき。その時言われたことに、ものすごくイライラしたことがありました。
「大阪の人は、みんな○○だから」
こいつ、大阪の何を知ってそう言っているんだと、さすがにこいつとは言わなかったものの、
「何を知っていて、そう言えるの?」
と反論しました。
「ごめんごめん、いや、話に聞く人と実際に会った人が、大阪のイメージそのままだったからさ。みんなそんな感じかと思って、アハハ」
アハハじゃないだろ、大阪府民に謝れよ。てか、大阪のイメージって何だよ。
私も交友関係は広いほうではないし、そのときは大阪について何を知っているかと問われて答えられることは限られていましたが(今でも何を知っているのかと問われて、答えられる自信がありません)、親が「ただの先入観で」「ということは何の『事実』も知らずに」、それが「大阪のすべてである」かのように答えることに対して、怒りを通り越してあきれてしまいました。
かつて、フリースクールは学校を敵視している、なんて言われていました。
元より私は、学校がいいと思う部分もあるし、でもかつて学校に行かなかったときがある身としては、学校じゃない場所でも出会いはあったし、学校では知れないこともあったしと、「どちらも良し悪しあるなぁ」といったところだったので(そりゃ、学校に行けなかった時代は「学校なんて!」と思っていたときもありましたが)、敵視しているわけじゃないんだけど、と思っていました。
最初から決められているものを、決められた枠組みにそってこなすことが、実は私は好きです。自分で何をしようか、時間はどう分配しようかなど、あれこれ考える手間が省けるので。学校だと、時間割が決まっているし、1日の、1年の中でどれだけ何をこなさなきゃいけないかが決まっているので、これは学校のとても素晴らしいシステムだと思っています。
なので私は、事あるごとに、「学校を敵視しているわけじゃなくて、学校は学校でいいところがありますし」とお話ししていて、団体の紹介動画にも、この文言を含めています。
学校には学校で、フリースクールにはフリースクールでいいところ、そうでないところがある。それは、恐らくどちらも同じ。そして、「子どものために何かできることはないか」と、子どもを念頭に置いているのも、恐らく同じ。
・・・じゃあ、何で対立するんだろう? 同じ方向を向いているのであれば、お互いのメリットを生かして協力しあえばいいのに。
実際、フリースクールでは、このような動きが以前から「当たり前のように」ありました。ラヴニールも加盟している「ふりー! すくーりんぐ」が、その一例です。とにかく、「対立している」「敵視している」と言われることが、私には不思議でたまりませんでした。
「どうせ学校なんて信用できない、とでも思ってるんでしょ」
「不登校に対する常識がないとでも、思ってるんでしょ」
「そんな中身も知らないところに、学校現場に携わるものが簡単に紹介できるわけがないじゃない。そもそもフリースクールを紹介する時点で、学校現場にいるものとしては、失格じゃない?」
などの声を、又聞きではありますが聞くたび、
「え~、そんなこと思ってないのに。なんでそう言われるんだろ」
と思ったこともあります。
学校なんて信用できない。少なくとも私は、フリースクールに携わるようになってからは、そう思ったことはないです。
学校に行けない・行かないことに対する常識も知らない。・・・うん、確かにそう思ったことはあります。でも裏を返せばそれって、フリースクール仲間の狭い世界では当たり前でも、世間ではそうでないということ。仲間内での当たり前が、それ以外でも通用するとは限らない。
ならば、知らないからって馬鹿にするのは違うし、しているつもりもない(もし、オーラ的に何か出ていて馬鹿にしていると感じられたことがある方がいたら、ごめんなさい)
中身も知らないところに・・・、ならば、知ってください。恐らく多くのフリースクールは見学させてくれますよ? とは思うけれど、先生ごめんなさい、そんな余裕もないぐらい、本当はお忙しいですよね。と、ほんの2週間だけ「教員」に触れたことのある者より。
これらの声に対して思う私の声は、向きを逆にして考えたら、私たちも相手を知らないということでもあるなと。
私たちは、いったい学校の何を知っているの? 自分たちで通ってきた、学校の児童・生徒だった立場では知っているけれど、学校って通う側だけの側面じゃないでしょ? もっと学校の全体としてみたときに、いったい何を知っているんだろう?
(「学校で働いていた経験ありますよ~」というフリースクールのスタッフさんもいたりしますが、ごめんなさい、ここでは除いています)
そう、お互いが、お互いのことを知らないのに、知らないままにして勝手に相手を敵認定していないか?
これって、冒頭の私が親に言われてイラッとした状況と、同じではないか?
ならば、相手を知ること、実際を知ることこそ、大事なんじゃないか?
この1年ぐらいですが、私たち民間のフリースクール仲間同士だけでなく、公的な立場で不登校に携わる方たちと懇談する機会が、ちょっと増えました。そのときに思うことは、
・私たちが思う以上に、この人たち(公的な立場で不登校に携わる方たち)も手探りで、でも一生懸命どうにかしようとしているということ。
・そしてそれは、学校という枠のみにとらわれず、多角的に考えようとしていること。
・先方も一生懸命私たちを知ろうとしている。ならば、私たちも先方のがんばりをもっと知ることが、子どもとその周囲の環境を整えることにつながるんじゃないか。
・こうしてお互いに存在を知り合うことが、子どもの最善の利益につながるんじゃないだろうか。
ならば、余計に「どうせ学校は」「どうせ行政は」なんて思っている場合じゃない。もっともっと、フリースクールとしても、官民問わずこんな場所や制度があるんだと知っていかなければ。同時に、「私たちもこんなふうにがんばっています!」と、声をあげていかなきゃ。
相手のことがほんの少しわかって、なぁんだ、同じ方向を向いていたんですねってわかったら、何だか楽しくなってきました。
その渦中にいる人だけが大事。そう思ってきました。
渦中だけじゃなくて、その周囲も均していく。周囲が足並みをそろえる。同じ方向を向く。そのためには、どうすればいいか?
考えれば考えるほど深くて、そして、ワクワクするなぁ。
「大阪の人は、みんな○○だから」
こいつ、大阪の何を知ってそう言っているんだと、さすがにこいつとは言わなかったものの、
「何を知っていて、そう言えるの?」
と反論しました。
「ごめんごめん、いや、話に聞く人と実際に会った人が、大阪のイメージそのままだったからさ。みんなそんな感じかと思って、アハハ」
アハハじゃないだろ、大阪府民に謝れよ。てか、大阪のイメージって何だよ。
私も交友関係は広いほうではないし、そのときは大阪について何を知っているかと問われて答えられることは限られていましたが(今でも何を知っているのかと問われて、答えられる自信がありません)、親が「ただの先入観で」「ということは何の『事実』も知らずに」、それが「大阪のすべてである」かのように答えることに対して、怒りを通り越してあきれてしまいました。
かつて、フリースクールは学校を敵視している、なんて言われていました。
元より私は、学校がいいと思う部分もあるし、でもかつて学校に行かなかったときがある身としては、学校じゃない場所でも出会いはあったし、学校では知れないこともあったしと、「どちらも良し悪しあるなぁ」といったところだったので(そりゃ、学校に行けなかった時代は「学校なんて!」と思っていたときもありましたが)、敵視しているわけじゃないんだけど、と思っていました。
最初から決められているものを、決められた枠組みにそってこなすことが、実は私は好きです。自分で何をしようか、時間はどう分配しようかなど、あれこれ考える手間が省けるので。学校だと、時間割が決まっているし、1日の、1年の中でどれだけ何をこなさなきゃいけないかが決まっているので、これは学校のとても素晴らしいシステムだと思っています。
なので私は、事あるごとに、「学校を敵視しているわけじゃなくて、学校は学校でいいところがありますし」とお話ししていて、団体の紹介動画にも、この文言を含めています。
学校には学校で、フリースクールにはフリースクールでいいところ、そうでないところがある。それは、恐らくどちらも同じ。そして、「子どものために何かできることはないか」と、子どもを念頭に置いているのも、恐らく同じ。
・・・じゃあ、何で対立するんだろう? 同じ方向を向いているのであれば、お互いのメリットを生かして協力しあえばいいのに。
実際、フリースクールでは、このような動きが以前から「当たり前のように」ありました。ラヴニールも加盟している「ふりー! すくーりんぐ」が、その一例です。とにかく、「対立している」「敵視している」と言われることが、私には不思議でたまりませんでした。
「どうせ学校なんて信用できない、とでも思ってるんでしょ」
「不登校に対する常識がないとでも、思ってるんでしょ」
「そんな中身も知らないところに、学校現場に携わるものが簡単に紹介できるわけがないじゃない。そもそもフリースクールを紹介する時点で、学校現場にいるものとしては、失格じゃない?」
などの声を、又聞きではありますが聞くたび、
「え~、そんなこと思ってないのに。なんでそう言われるんだろ」
と思ったこともあります。
学校なんて信用できない。少なくとも私は、フリースクールに携わるようになってからは、そう思ったことはないです。
学校に行けない・行かないことに対する常識も知らない。・・・うん、確かにそう思ったことはあります。でも裏を返せばそれって、フリースクール仲間の狭い世界では当たり前でも、世間ではそうでないということ。仲間内での当たり前が、それ以外でも通用するとは限らない。
ならば、知らないからって馬鹿にするのは違うし、しているつもりもない(もし、オーラ的に何か出ていて馬鹿にしていると感じられたことがある方がいたら、ごめんなさい)
中身も知らないところに・・・、ならば、知ってください。恐らく多くのフリースクールは見学させてくれますよ? とは思うけれど、先生ごめんなさい、そんな余裕もないぐらい、本当はお忙しいですよね。と、ほんの2週間だけ「教員」に触れたことのある者より。
これらの声に対して思う私の声は、向きを逆にして考えたら、私たちも相手を知らないということでもあるなと。
私たちは、いったい学校の何を知っているの? 自分たちで通ってきた、学校の児童・生徒だった立場では知っているけれど、学校って通う側だけの側面じゃないでしょ? もっと学校の全体としてみたときに、いったい何を知っているんだろう?
(「学校で働いていた経験ありますよ~」というフリースクールのスタッフさんもいたりしますが、ごめんなさい、ここでは除いています)
そう、お互いが、お互いのことを知らないのに、知らないままにして勝手に相手を敵認定していないか?
これって、冒頭の私が親に言われてイラッとした状況と、同じではないか?
ならば、相手を知ること、実際を知ることこそ、大事なんじゃないか?
この1年ぐらいですが、私たち民間のフリースクール仲間同士だけでなく、公的な立場で不登校に携わる方たちと懇談する機会が、ちょっと増えました。そのときに思うことは、
・私たちが思う以上に、この人たち(公的な立場で不登校に携わる方たち)も手探りで、でも一生懸命どうにかしようとしているということ。
・そしてそれは、学校という枠のみにとらわれず、多角的に考えようとしていること。
・先方も一生懸命私たちを知ろうとしている。ならば、私たちも先方のがんばりをもっと知ることが、子どもとその周囲の環境を整えることにつながるんじゃないか。
・こうしてお互いに存在を知り合うことが、子どもの最善の利益につながるんじゃないだろうか。
ならば、余計に「どうせ学校は」「どうせ行政は」なんて思っている場合じゃない。もっともっと、フリースクールとしても、官民問わずこんな場所や制度があるんだと知っていかなければ。同時に、「私たちもこんなふうにがんばっています!」と、声をあげていかなきゃ。
相手のことがほんの少しわかって、なぁんだ、同じ方向を向いていたんですねってわかったら、何だか楽しくなってきました。
その渦中にいる人だけが大事。そう思ってきました。
渦中だけじゃなくて、その周囲も均していく。周囲が足並みをそろえる。同じ方向を向く。そのためには、どうすればいいか?
考えれば考えるほど深くて、そして、ワクワクするなぁ。
PR
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
カテゴリー
最新記事
P R
忍者カウンター