フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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I-Siteなんばにて開催された、第4回おるたねカフェに参加してまいりました。
第1~3回もあったのですが、第4回に、まさかのこの方をお呼びする!? やってくれるっ! と、早い段階から申し込みをしたことを覚えています。
苫野一徳さんと、吉田敦彦さんの対談があるとなっては、こりゃ、行かなきゃ!
苫野さんが著書の中で述べていることは、私の頭の中で、「そうそう!」と、ストンと落ちるものが多く、ことあるごとに引用できるようにと付箋を貼って印をつけているのですが、今回、講演のときには、2つの著書を持参。

最終的にサインをしてもらう、とかは考えていませんでしたが、この2冊の本は、私に常に、「何のために勉強をするのか」という指針を与えてくれています。
だから今回も、「自分自身が考えている学びについて、さらに深めたり改めて疑問に感じるところが得られたら」という気もちで参加。他、質問の機会があれば、今苫野さんが設立準備に携わっている「軽井沢風越学園」について、なぜ軽井沢の地で? などたずねることができたら、と。
結論を先に言うと、風越学園をなぜ軽井沢に?との疑問は講演の中で答えていたので、直接質問の機会はなかったけれど、おおむね著書にあることを話していたなぁという印象。
哲学というと、えっ、思いきり難しそうやん・・・、となりそうだけど、正しい答えというのはなく、「誰もが納得できる答えにどれだけ近づけるか」。その意味で、私は、苫野さんの勉強に対する考え方として「<自由>になるため」(苫野 2014a)には、ものすごく納得できるし、講演中に、何度も「<自由の相互承認>の感度を育む」(苫野 2014b)と言っていたことが、印象的でした。
物事の考え方においても、「一般化のワナ」「問い方のマジック」(いずれも、苫野 2014a)といった、著書で見かけた言葉が出てきたり、上記の「自由の相互承認の感度を育む」についても、あっ、これも読んだ記憶があるぞ? と、わくわくしながらの講演でした。
私なりに、なぜ勉強するのかと問われたら、苫野さんの「<自由>になるため」に、個人的な経験を補足をして、「様々な知識をもっていたら、あれやこれと結びつけて多方面から考えることができるし、いろんな人と交流もできるだろうし、これって、固定的な考え方じゃなくて、もっと自由に広く考えられるってことでしょ?」と、答えるかな。
さて、皆さんは、なぜ勉強をしますか?
そして、なんで勉強しなきゃいけないのかと問われたら、どう答えますか?
引用文献:
苫野一徳 2014 「勉強するのは何のため?」日本評論社 p.15-36、p.73-75
苫野一徳 2014 「教育の力」 講談社現代新書 p.54
第1~3回もあったのですが、第4回に、まさかのこの方をお呼びする!? やってくれるっ! と、早い段階から申し込みをしたことを覚えています。
苫野一徳さんと、吉田敦彦さんの対談があるとなっては、こりゃ、行かなきゃ!
苫野さんが著書の中で述べていることは、私の頭の中で、「そうそう!」と、ストンと落ちるものが多く、ことあるごとに引用できるようにと付箋を貼って印をつけているのですが、今回、講演のときには、2つの著書を持参。


最終的にサインをしてもらう、とかは考えていませんでしたが、この2冊の本は、私に常に、「何のために勉強をするのか」という指針を与えてくれています。
だから今回も、「自分自身が考えている学びについて、さらに深めたり改めて疑問に感じるところが得られたら」という気もちで参加。他、質問の機会があれば、今苫野さんが設立準備に携わっている「軽井沢風越学園」について、なぜ軽井沢の地で? などたずねることができたら、と。
結論を先に言うと、風越学園をなぜ軽井沢に?との疑問は講演の中で答えていたので、直接質問の機会はなかったけれど、おおむね著書にあることを話していたなぁという印象。
哲学というと、えっ、思いきり難しそうやん・・・、となりそうだけど、正しい答えというのはなく、「誰もが納得できる答えにどれだけ近づけるか」。その意味で、私は、苫野さんの勉強に対する考え方として「<自由>になるため」(苫野 2014a)には、ものすごく納得できるし、講演中に、何度も「<自由の相互承認>の感度を育む」(苫野 2014b)と言っていたことが、印象的でした。
物事の考え方においても、「一般化のワナ」「問い方のマジック」(いずれも、苫野 2014a)といった、著書で見かけた言葉が出てきたり、上記の「自由の相互承認の感度を育む」についても、あっ、これも読んだ記憶があるぞ? と、わくわくしながらの講演でした。
私なりに、なぜ勉強するのかと問われたら、苫野さんの「<自由>になるため」に、個人的な経験を補足をして、「様々な知識をもっていたら、あれやこれと結びつけて多方面から考えることができるし、いろんな人と交流もできるだろうし、これって、固定的な考え方じゃなくて、もっと自由に広く考えられるってことでしょ?」と、答えるかな。
さて、皆さんは、なぜ勉強をしますか?
そして、なんで勉強しなきゃいけないのかと問われたら、どう答えますか?
引用文献:
苫野一徳 2014 「勉強するのは何のため?」日本評論社 p.15-36、p.73-75
苫野一徳 2014 「教育の力」 講談社現代新書 p.54
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■ 放っておいてくれ・1 ■
途中で、父に見つかってしまいました。
帰ると早速、問い詰めが待っていました。弟はちょうど入れちがいぐらいで小学校に行ったあとでした。
「なんで家出なんかしたのか、言いなさい」
黙っていました。しかしこのまま黙秘させてくれそうにもありません。
「言いなさいって言っているでしょ」
自分としては、机の上にメモを残していたはずです。「こうするしかなかった」と。
「――こうするしか、なかった」
目を合わせるのが怖くて、下を向いて言ったように覚えています。
「ちゃんとこっちを見ろ!人の顔も見れんのか!」
父に怒鳴られたって、見たくても見れません。
「『こうするしかなかった』じゃないでしょ!それじゃ理由がわからない」
そう母に言われたって、こっちだって何がなんだかよくわかっていないのです。死ぬことが頭をよぎったとは言い出せませんでした。他の理由も思い当たらなかったし、思い当たったところでつくったウソになる。そのウソを、自分の地位や名誉を守るために使ったとしても、どうせ自分の意見は親の都合のいいように解釈され、捻じ曲げられるんじゃないかという不安。そして結局、自分が悪かったことになる。
自分として悪かったとわかってはいるのに、改めてこうして「自分が悪かった」と強制的に認めさせられることで、さらに自分を追い詰める気持ちが膨らんだようにも思います。誰かが自分のことをわかってくれるんじゃないかという淡い期待が、家に連れ戻されたことで、この時点では消えていました。
そのとき電話が鳴りました。親のどちらかが離れるわけだし、追及の怒声は電話越しに聞こえてしまうだろうということから、ここで一旦止まりました。つかの間の安心でした。
母が出て、すぐ父にかわりました。父の話し方からして、数日前から出かけていて不在だった祖父母だとわかりました(父は、祖父母と話すときには、明らかに口調が変わるのです)。
父が受話器を置いて席に戻ると、尋問が再開されました。
「今電話で、おばあちゃんが帰ってくるって言っている」
「帰ってくるの明日じゃなかった?」
さすがに母もびっくりした様子ではありました。父はそれに取り合わず、
「それも、本当は今日も夜まで用事が入っているけど、それを途中までにして帰ってくるって言っている。――お前は、これがどういうことかわかっているのか?」
その前に、祖母に伝わっていたことに驚きました。自分が家出をしたのは今朝。連れ戻されてから今まで、そんなに時間は経っていないのに(あとでわかったことですが、自分がいないとわかってすぐに、祖父母が宿泊していた親戚の家に連絡をしていたようです)。
自分として何も言えず、黙っていました。黙ってはいたけれど、両親が反省の言葉を言わせたいことは気づいていました。
「わかってるか、って聞いてるでしょ?お父さんだって今日、あんたのために会社休んで」
お前のしたことは、周りのみんなを巻き込んで迷惑をかけているんだぞ?それをわかっているのか?と言いたかったのでしょう。自分としても迷惑をかけたということはわかっています。それでも今、答えることができないのです。自分として他人に迷惑をかけるとわかっていても、それでも、まずは家を出ることしか考えられなかったのです。繰り返しになりますが、こうするしかなかったのです。ですが、自分なりに出した唯一の答えはすでに親に否定されてしまっているため、同じことを繰り返せません。
どのぐらい尋問が続いたかは時計を見ていないので覚えていませんが、やっと解放されました。解放されたというより、これ以上何も言わない自分に対して、親もあきらめた様子でした。
冬の寒いときならば、ぶらぶら30分ぐらいなら平気で歩きます! 今川です。
ラヴニールがある昭和町から阿倍野・天王寺は、余裕中の余裕です♪
そんなこともあり、「ちょっと余裕のあるヒマなとき」は、子連れでぶらぶらお散歩をしていたりもしますが、今日は、ラヴニールがある昭和町界隈のミリョクを、お伝えできたらなと思います。
と言っても、ラヴニールが昭和町に移転して、まだ10ヶ月弱。語るには日数的にぜ~んぜん足りてないことは、わかっております。
が、にわかファンだとしても、この町、とてもおもしろい。
北は地下鉄谷町線「文の里」から、東はJR阪和線「南田辺」(東にあるけど「南田辺」です)、西は阪堺線「東天下茶屋」、ラヴニール最寄り駅ではないけれど、地下鉄御堂筋線西田辺(南にあるけど(以下略))。このエリアには、本当におもしろいスポットが集まっているんです。
ええいっ、にわかファンだっていいじゃんっ! にわかファンなりにアピール!
■ 新しい建物と古い家屋が混在しているところ
「昭和町」という町の名前は、その名のとおり、「昭和」が大きく関係しています。
調べたところによると、昭和一桁のころに区画整理が終了して、記念に年号からとってつけられたから、なのだとか。
参照:
http://www.city.osaka.lg.jp/abeno/page/0000001309.html
「昭和の初めにできた、当時のニュータウン」という感じなのでしょうか(^^
なので、ラヴニールのあるあたりは、古い建物も多くあり、古かった建物を新しく建て直した建物もあり、古かった建物を活かしているところもあり、本当におもしろい町です。
たとえば。ラヴニールからのご案内「南田辺編」にある、こんな長屋だったり。

この長屋から5分ほど歩いたら、真下を地下鉄御堂筋線が通っている道路「あびこ筋」に出ます。
地下鉄御堂筋線というと、大阪では、ビジネス街も通るし、繁華街も通るし、北は千里、南は堺といった郊外(ベッドタウン)を結ぶ、個人的には「大動脈」的な感のある線なのですが、そんな線から近いとは思えないでしょ?
■ 「町をあげて」のイベントを開催しているところ
いや、どの町も本当はやっているのかもしれないけれど、昭和町界隈は、そういったイベントを、割とにぎやかにやっているなと思います。
「昭和の日」、4月29日には、「どっぷり昭和町」、
そしてついこの前は、南田辺駅からすぐにある、長池公園で「昭和のまちのバイローカル」
というのをやっていました。
そういえば、ラヴニール近くにも、ちっちゃくてかわいらしい、カフェと雑貨のお店があるなぁ・・・。
■ 大きな公園が近いところ
歩いて10分もかからないぐらいのところには桃が池公園が、もうちょっと時間をかけてもいいなら、上記にも登場した長池公園があります。
ボールを持って遊べるような広場があるので(どちらの公園にも)、そして最近よくある「キャッチボール禁止」との看板も見かけないので(・・・なかった気がする)、とても遊びやすい公園ではないでしょうか♪
他、人の流れもとても多い = 行き来が活発 な感じがします。
探したらおもしろいことをやってる人が、こんなに近くにいるんだ! と見つけるのが楽しいです。
って、それは、ぶらぶら歩きが好きな私だからか?
今度いつか、ラヴニールでも町ぶら、してみます?
ラヴニールがある昭和町から阿倍野・天王寺は、余裕中の余裕です♪
そんなこともあり、「ちょっと余裕のあるヒマなとき」は、子連れでぶらぶらお散歩をしていたりもしますが、今日は、ラヴニールがある昭和町界隈のミリョクを、お伝えできたらなと思います。
と言っても、ラヴニールが昭和町に移転して、まだ10ヶ月弱。語るには日数的にぜ~んぜん足りてないことは、わかっております。
が、にわかファンだとしても、この町、とてもおもしろい。
北は地下鉄谷町線「文の里」から、東はJR阪和線「南田辺」(東にあるけど「南田辺」です)、西は阪堺線「東天下茶屋」、ラヴニール最寄り駅ではないけれど、地下鉄御堂筋線西田辺(南にあるけど(以下略))。このエリアには、本当におもしろいスポットが集まっているんです。
ええいっ、にわかファンだっていいじゃんっ! にわかファンなりにアピール!
■ 新しい建物と古い家屋が混在しているところ
「昭和町」という町の名前は、その名のとおり、「昭和」が大きく関係しています。
調べたところによると、昭和一桁のころに区画整理が終了して、記念に年号からとってつけられたから、なのだとか。
参照:
http://www.city.osaka.lg.jp/abeno/page/0000001309.html
「昭和の初めにできた、当時のニュータウン」という感じなのでしょうか(^^
なので、ラヴニールのあるあたりは、古い建物も多くあり、古かった建物を新しく建て直した建物もあり、古かった建物を活かしているところもあり、本当におもしろい町です。
たとえば。ラヴニールからのご案内「南田辺編」にある、こんな長屋だったり。

この長屋から5分ほど歩いたら、真下を地下鉄御堂筋線が通っている道路「あびこ筋」に出ます。
地下鉄御堂筋線というと、大阪では、ビジネス街も通るし、繁華街も通るし、北は千里、南は堺といった郊外(ベッドタウン)を結ぶ、個人的には「大動脈」的な感のある線なのですが、そんな線から近いとは思えないでしょ?
■ 「町をあげて」のイベントを開催しているところ
いや、どの町も本当はやっているのかもしれないけれど、昭和町界隈は、そういったイベントを、割とにぎやかにやっているなと思います。
「昭和の日」、4月29日には、「どっぷり昭和町」、
そしてついこの前は、南田辺駅からすぐにある、長池公園で「昭和のまちのバイローカル」
というのをやっていました。
そういえば、ラヴニール近くにも、ちっちゃくてかわいらしい、カフェと雑貨のお店があるなぁ・・・。
■ 大きな公園が近いところ
歩いて10分もかからないぐらいのところには桃が池公園が、もうちょっと時間をかけてもいいなら、上記にも登場した長池公園があります。
ボールを持って遊べるような広場があるので(どちらの公園にも)、そして最近よくある「キャッチボール禁止」との看板も見かけないので(・・・なかった気がする)、とても遊びやすい公園ではないでしょうか♪
他、人の流れもとても多い = 行き来が活発 な感じがします。
探したらおもしろいことをやってる人が、こんなに近くにいるんだ! と見つけるのが楽しいです。
って、それは、ぶらぶら歩きが好きな私だからか?
今度いつか、ラヴニールでも町ぶら、してみます?

■ 自分が悪いことはわかっているけれど ■
ある日の朝、何も持たずに家を出ました。とりあえず外に出て、どこかに行こう。どこか高いビルがいいな。もし高いところから飛び降りたら、飛んでいる間は楽しいかもしれない。下に落ちた瞬間は痛いかもしれないけど、そんなのきっとすぐにわかんなくなるだろうな。
そんなことを考えながら、歩いていたように思います。
今自分に起こっていることは、すべて自分が努力すれば解消することじゃないか、もっとがんばればいいだけじゃないか、と思うと、今の自分はただ目の前の困難から逃げているだけ、自分はただの弱虫だ、と思えてきました。
でも、これ以上どうしたらいいの?何かいい方法があるの?教えてよと自問自答すると、返ってくるのはいつも、「そんなこと言ってるぐらいなら努力すりゃいいじゃん」。その努力がこれ以上無理なのに、自分で出す答えも「努力」なのです。
逃げることは弱いこと、悪いことだと思っても、もうどうすることもできませんでした。
後で振り返ってみて、ここでなぜ死を選びきれなかったんだろうと考えることがあります。
ものすごく単純な理由なのですが、自分なんていないほうがいいと思うくせに、家族を悲しませたくなかったのです。悲しませたくなかったけど今の状況からは逃れたい。その結果、ただひたすらふらふらと、どこかを歩くだけになっていました。家族は悲しむかもしれないけれど、どこかで生きているという希望は残るから、と。
まだどこかで何とかなるかもしれないという希望を、家族(特に母)に対して抱いていたからこそ、死を選びきれなかったのではないかと、今では思います。

■ いじめも続いていた ■
実はいじめもあのまま続いていて、今度は無理に明るく振舞ったがために、相手に退かれ、その明るさが、おかしいと認定される状態となっていました。しかし連休明けの件があるため、クラスメイトも自分とそれなりに付き合っている雰囲気を出していましたし、自分もこれ以上問題を起こすわけにはいかないと、溶け込んでいるふりをしていたためか、いじめが続いていたことは、どうやら担任は気づいていないようでした。ずっと軽微なままで推移していたのも、わかりにくかった理由にあると思います。
学校で本当の自分を出すことができず、苦労していました。しゃべらないでいればいじめられる、ではその逆にすれば解決かというと、またいじめられる。自分として両極端な二択しかないことに意見を言われるのは承知で言いますが、どっちにしてもいじめられるのなら、自分はどうすればいいのだろうと、わけがわからなくなってきました。素の自分でいられないことがつらくて、常に誰か別の人間を生きているような、何かを演じているような気持ちでした。
学校でも何かを演じ、家でも「よい子」を演じなければいけない。本当の自分はいったいどこに行ってしまったのか。いや、本当の自分でいてはいけないんだ。なら、やっぱり自分はいないほうがいいんじゃないかという結論になっていました。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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