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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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体験談2017.10.18

■ 孤立した要因 ■

 今でこそ親同士が集ったり、そうでなくてもスマートフォンやパソコンなどで情報を集めやすくなっていますが、自分のときはまだそういったものが整っていないころの話です。
 母も学校説明などに行くぐらいには外に出てはいましたが、基本的に誰とも当たり障りなく接し、自分の意見を夫を含む他人に通そうとすることもほとんどなく、言われるのはいつも
「グチや文句をまったく言わない人」
 誰とも付き合う反面、近所に友人と呼べるような深い付き合いの人も、自分から見ていて少なかったように思います。よく言えば誰とも付き合う、悪く言えば本心が見えず何を考えているかわからない性格。
 自ら情報を収集するなどのことはなく、したがって規定などではなく内部で伝統的に言われていることは、知らなかったのだと思います。自分としても収集できればよかったのですが、何しろ大半は別の中学に行く小学校でしたので、話題の主な部分はもうひとつのB中学校がほとんど、自分が進学したA中学については話題にのぼることはほとんどありません。
 このことと重なりますが、母は他地域から嫁いできたため、地域の情報というのも知りません。祖父母には
「おじいちゃんやおばあちゃんの世代とは、事情がちがう」
との理由から、自ら尋ねることもしなかったようです。
 それなら父はと言いますと、父はそういった話題には完全に疎くて母まかせでした。文字通りの会社人間で、子どもをつれて遊びには行ってくれたのでまったく家庭の中にかかわらなかったわけではないですが、母には
「パートなんかするな、家にいればいい」
 車の免許についても
「女がそんなものを取らなくていい」
と言う人でした。進学などについて母にほとんどまかせきりにしていたくせに、なぜか高校の名前などはよく知っていて、
「お前はどこの高校に行くんだ?C校か?D校か?それともE校か?」
と尋ねては弟を悩ませていました。なぜ悩んでいたかというと、3校ともいわゆる昔から伝統のあるトップクラスのレベルにある高校で、そんな高校名をいとも簡単に口にしていました。
「お父さんは高校については何もわからない」
と自分で、しかも笑いながら言っていたとおり、高校のレベルは時代でも変動するでしょうし、本当に知らなかったのかもしれませんが、
「あれは絶対にわかって言っている」
と弟がよくグチを言っていたことを思い出します(高校だけでなく、大学も同様でした)。いわゆる名前の通った会社に勤めていた父ですので、父にとっては名前が多くの人に認知されていることが価値感を大きく占めるものでした。
 母が外に出なかったから情報を得られなかったのではないかと言いましたが、もしかするとその逆で、
「本当は母は外に出たかったのだけど、出させてもらえなかった面もあったのではないか」
とも思います。
 親戚もみな遠方で地域の事情がまったく異なるので、一意見として参考にはなっても、地域特有の生きた情報を入手する際にはかなりのマイナス点だったでしょう。

 もうひとつ情報がなかった要素として、自分が第一子であることもあるでしょう。もしこれで自分が弟の立場だったら、
「あのときはあんな感じだったから」
と、対策を立てやすかったのではないかと思います。
 こうなると、生かせる情報のない中で親は自分にどういう対応をしたか。これについては、少し後で語ります。
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体験談2017.10.11

■ クラスの中で孤立する ■

 中学は、地元の公立中学へ行きました。小学校の学区が2つの中学にまたがっていて、多くの同級生が行くB中学ではない、もうひとつのA中学に行くことになりました。中学としてはこちらのほうが規模は大きくて、学年8クラス。もう少し増えたら9クラスになるぐらいでした。

 入学したその日は新しい生活になじんでいけるか不安だと思うのですが、自分の場合、さらに不安に追い討ちをかけるようなことがありました。
 同じ学校だった子がクラスにいない。周りはみな、中学に入学した途端に実際に知っているのかどうかの教師の話を始める。制服のサイズが規定に合っていればいいわけでなく、少し大きめでなければいけない、など。制服については校則でそうなっていたわけではなく、中学の中で伝統的に言われていたことで、これに反しているから校則違反、というよりは、「先輩からいじめの的にされる」という実態のない脅しのもとでのことでした。
 自分はクラスの中で浮いた存在になってしまいました。周囲は別の小学校から来た同士でかたまっていて、自分に入る余地はありません。前の席の子に声をかけるのにも、前の席の子は隣の席の子と同じ小学校だったらしく、よく話していて声をかける余裕がありません。

 そうして浮いていった自分は、次第にこんな印象で語られるようになりました。
「あの子、何もしゃべらない」
 これだけで腫れ物とか変わったもの扱い。消しゴムを貸してもらおうと勇気を振り絞って声をかけたら、くすくす笑って放り投げるように渡されました。さすがにこのときにはおかしいと感じましたが、日を重ねるごとに少しずつエスカレート。周囲の話題についていけず、何とかやっとついていけたと思った話題に対して発言すると、一瞬にして周りが退いていくのがわかりました。
 登校するときも学区の端から一人で通学。下校するときも一人。どんどん自分が取り残されていくような状態でした。
ご報告が遅れましたが・・・

今年度、フリースクール「ラヴニール」は、ニッセイ財団より助成をいただきました! 一連の報告が終了してからの投稿となったのは、何かの不備で備品が購入できなかった! などの事態が、起こるとも起こらないとも・・・、ええ、ビビリなんですよ、わたしゃこう見えて。

と、代表がほざいておりますが、いただいた助成金により、主に教材、楽器の購入をすることができました!

ニッセイ助成2017.10.10 ニッセイ助成2017.10.10_2

ニッセイ助成2017.10.10_3

教材を含めて購入した備品はこれだけではなく、まだまだたくさん! 全部掲載したら、画像だけで膨大になってしまうので、一部抜粋しての掲載が、くやしい・・・。

特に教材に関しては、現在のカリキュラムに沿ったものを買えたことが、本当に大きい!
(今までは、他フリースクールさんからいただいた、少々古いものだったんです・・・)
画像のオレンジ・水色・みどり、赤のものは中学生向けの教材(問題集)です。要点がよくまとめられているので、もう一度学びなおすのにも使えちゃうもの。どうやら塾などで人気の教材?だそうです(知らなかった!)
要点を見ながら問題を解いてみましたが、確かにわかりやすい! 自学自習にうってつけの教材となっております。

あらためまして、助成いただいたニッセイ財団関係者の皆さまに、深く御礼申し上げます。
体験談2017.10.4


■ NOと言えなかった、いい子な自分 ■


 自分は担任だけでなく、いつも親や周囲の顔色も気にする子どもでした。学校に行ったなら担任の機嫌を損ねないように、忘れ物がないように支度をしなければいけないし、当然宿題も忘れないようにしなければいけない。漢字の小テストでもいい点を取らなければならない(実際クラス全体で平均点が悪いと、宿題量が増やされたため)。
 学校の宿題も、特に算数の宿題については、自分で答え合わせをする前に母の採点がありました。母の採点時点でまちがっていた箇所は、母と1対1になってわかるまで解かされ、その後自分で採点をすると、いつも満点か満点近い得点。ですが何のうれしさも感じませんでした。自分の実力で解いたのではないのですから。また、母の採点を経てもまちがえていたり、逆に母の解答がまちがっていることもあったりしましたが、それについて指摘すると、
「まちがいに気づかないのがいけないんじゃないの」
と、母自身のまちがいを棚にあげて、責められるのは自分。
 なかなか問題を解けないときでも、
「早くしてくれない? 夕飯がどんどん遅くなっちゃう」
と、やっぱり責められるのは自分。添削してもらわずに直接答えあわせをすればいいじゃないか、とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんが、自分で答えあわせをすることは、何度も確かめ算をする以外には、不可能でした。答えの部分はあらかじめ切り離してあって手元になかったし、
「解き終わったら見せなさい」
と口酸っぱく言われては、見せないわけにはいきませんでした。
 模擬試験のようなものを受けたときに、どうしても自分で解いたものを出したいと言って母の採点を経ずに郵送してもらったら、その点数がかなり悪かったことがありました。
「ほら見なさい、どうせ自分でやっただけじゃ低い点数しか取れないんだから」
 母からそう言われても、自分としてはうれしかったです。母が解いた問題ではなく、自分で解いた結果だったのですから。偽者の自分の実力ではなく、本当の自分の実力がわかったことがうれしかったのです。

 それでも、母は宿題を自分で採点する前に採点することをやめませんでした。自分の実力ではないし、母のまちがいまで自分のせいにされるし、それなら思いきってNOと言えばよかったのではないか、と思われるかもしれませんが、自分がNOと言うことで親や相手が機嫌を悪くするのではないかと思うと、言い出せませんでした。言われたことに従うことは、親や他人のため。言うことを聞いていれば何事も問題にならないのだから、自分にとって不都合なことでも自分が我慢すればいいだけのことだと。犠牲になるのは自分だけですむんだと。
 いやだと言うだけでなく、ちゃんと理由をつけて言い返す自信もあったはずです。
 それでも言い返そうとしなかったのは、
「いい?これはあんたのためなんだからね。成績がよければいいほど、あんたにとっていいに決まっているんだから」
 たとえ学力が自分の実力ではないとしても、親は自分のためを思ってしてくれている。そう思ったら反論なんてできませんでした。

 昔から、自分の意思を言えたことがないと、振り返ってみて思います。言い返したいと思うだけ思って、それを言葉という形にして吐き出せたことがないなぁと。
 体調を本当に崩してしまい、朝、登校前に吐き下したときも、
「行くか行かないかは自分で考えなさい。そのぐらいできるでしょ」
とは言われるものの、ウラまで勘ぐってしまい、
「この人は自分が学校を休むと言うと、『1回吐き下したぐらいで休むの?』と言うにちがいない」
「『そんなの自分がどんどん悪い方向に考えるから具合が悪いと思うだけで、本当はそんな大げさなことじゃないんでしょ?』って言われるに決まってる」
とまで考えて、休むと言い出せなかったことがあります。この年齢に至るまでに、選択肢を提示されて自分が思うほうを答えても、結局は親が思ったものに誘導されるなどしてきたために、相手の顔色を伺って、どんな答えを求めているのかを必要以上に考えてしまったり、自分の答えに自信がもてなくていちいち尋ねたりしていました。
体験談2017.9.27

■ 学校に行けなくなる病気 ■

 学校に行きたくないと思う自分を認めたくなかったのには、ある日、父から言われたことが関係している気がします。
「学校に行こうとすると、玄関で立てなくなったり、体調が悪くなったりする、『登校拒否』という病気がある」
 父はこんな病気のことを教えてくれました。明確に登校拒否という言葉を使ったことも覚えています。
 自分は学校に行きたくないと思うことはあっても、学校に行けている。玄関で立てなくなったり、体調が悪くなったりすることもない。憂鬱な気持ちだけ何とか押さえて学校に行きさえすれば、1日何とかなってる。だから自分は病気じゃない。そう言い聞かせながら学校に行っていたことを覚えています。同じ小学校内に弟もいて一緒に通学していたことから、何も理由なしに休めないと気を張っていた部分もあるかもしれません。
 簡単に言ってしまえば
「子どもが学校に行くのは当たり前」
「当たり前である場所に行けないのはおかしい」
だったのです。自分にとって登校拒否(不登校)は、自分とは無関係で別世界のこと、関係のないことだと思っていました。たとえ病気だと言い訳が成り立っても、学校に行けなくなること自体おかしいと思っていたのです。もちろん今では学校に行けなくなるのは病気だとは思っていませんし、何かのきっかけで誰にもありうることだと思っています。
 このような調子だったので、本当は学校に行きたくないと言うと、病気でもないのに自分を病気扱いすること、学校という当たり前の場所にも行けない悪い子だと認めてしまうことになるようで、登校拒否という病気があると教えてくれた父にも、本当の気持ちを言い出せませんでした。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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