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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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夏合宿2015.8.22

■ 不登校中にしたかったこと ■

 以上までが、小さいころから学校に行かなくなり始めるまでの自分です。
 小さいころから自分は、どうも集団が苦手だったように思います。みんなと何かを一緒にやることは決して嫌いではないので、集団が苦手という言い方をするとちがうのかなと思いますが、集団の中にいると、体格、運動神経、学習面などで常に自分が劣っている対象として比較されるのではないかと思えて、今でも集団でいる必要のないときには一人や少人数で固まっているほうが好きです。
 一人集合時間にわざと遅れて和を乱そうとか、みんなと同じ方向を向いて作業をする必要があるのにわざと一人だけ背中を向けていたとか、そういった苦手さではないので、やはり集団が苦手というのとはちょっとちがうのかなと思うのですが、どう言ったらいいでしょう?

 ここまでで少し書きましたが、自分が学校に行かなかった間には、物理的にもひきこもりたかったのに、ひきこもらせてもらえませんでした。弟には部屋のドアを開けておくようなルールは課していないので、自分だけプライベートがあってなかったようなものです。
 ひきこもること以外にもやりたかったことがあります。

昼夜逆転の生活をすること

 ひきこもることを許してもらえなかったので、誰もが寝静まった静かな夜なら実質一人になれるのではないかと思って、夜には起きていて、日の出ているうちは寝ている生活をしたかったです。日中寝ていれば家族の顔を見る確率が減るのと比例して自分を責めることも減るし、深夜ならドアが開いていても誰かに監視されている確率も減ります。
 しかしこちらもひきこもりと同じく、昼夜逆転したくてもさせてもらえませんでした。「みんなと同じようにできないといけない」が、母の信条だったからです。このときには、
「朝はみんなと一緒に起きる。ご飯を食べる。夜はみんなと一緒にご飯を食べて、寝なさい」
 これが、部屋のドアを開けておくことと同時に自分に課された条件でした。ですが、自分はこれを少し破っていました。起きる時間は弟が学校へ出かけたあと、と決めて起きていました。弟を見送りに母が外に出たら部屋から出て、母が帰ってきたらリビングにいる、というようにしていました。
 実際は、朝ごはんの時間にはちゃんと起きていました。ですが、学校に行けなくなった自分と元気そうに学校に行っている弟が同じ食卓につくと、その後弟が学校に行く支度をする姿を見ることになります。弟は学校に行っているのに自分は行けない――。どうしても自分に劣等感を感じてしまうのです。夕飯のときならともかく、朝からその絶望に襲われるのがいやでした。
 どうして朝起きられないのかの理由を、母は一度も聞いてきたことがありません。理由を聞かれないまま、母からは何度となく「みんなと一緒に起きること!」と言われました。それでも言われたことを守らずにいると、最終的に母はこう言いました。
「みんなと同じようにできないことを、協調性がないって言うの。わかってる?みんなと同じようにできないことはおかしいことなの!」
 ここでもまた、「饅頭の表面だけ」です。自分には意見や考えを言う権利はないようです。

 実は、朝一緒に起きたくない理由を言ったことがあります。
「甘え(学校に行かずにいること)を許しているんだから、そのぐらい我慢しなさい!」
 何かにおいて、「みんなと一緒」「学校に行かないのは甘え」ということを言われ、特に学校に行けなくなった最初のころはつらい一方でした。自分でもわかっていて、でもできないことを、どんどん突きつけられました。

マンガを読む、ゲームをする、絵を描く、など

 何かに夢中になっている間だけは、あらゆる劣等感から自分を解放できました。基本的には下手くそだけど絵を描いていることが多かったです。夏休みの宿題で使わずに余っていたので、小説家みたいに原稿用紙相手にただひたすら文を書く、ということもやっていました。ただいずれもドアを開けっ放しにしていて誰からも覗かれる状態だったので、人の気配がしたならすぐに隠せるようにしていました。隠すぐらいなら堂々としていなさい、と言われたこともあったけど、好きなことをしていたっていつも否定の評価から入っていたうえ、本当に勉強をしていたとしても、「もっとたくさんがんばりなさい」と言われていて、趣味にしても勉強にしても、どれだけやっても誉めてもらえませんでした。それなら堂々としていろと何度言われようが、隠すほうがマシでした。
「マンガやゲームをしている間は気がまぎれた」
と言う不登校経験をもつ人は多いと思うのですが、自分はそうではなかったです。持っていたマンガの冊数は2冊と少なかったし、マンガ雑誌も弟が言い出して初めて買ってもらえたようなもの。我が家にマンガと呼べるマンガはありませんでした。歴史上の偉人について描かれたマンガはありましたが、そのころ人気のあった作品については、後で中古で入手したり、何かの機会に読んだぐらいです。

 ゲームも夕方に1日30分までと決められていました。テレビはリビングに1台だけだったので、約束の30分が近づいてくると時間についてうるさく言われましたし、何しろ弟の
「どうせ昼間もやってるんだろ?学校行ってないくせに、ずるい」
という理解のない言葉が痛かったです。
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毎年恒例クリスマス会!
今年も、チキン、ケーキ、そしてお菓子にと、お腹いっぱいになりました♪

クリスマス2017.12.18

クリスマス2017.12.18_3

チキンはしっかり二度揚げしてます☆

クリスマス2017.12.18_2

クリスマス2017.12.18_4

ケーキのカットは、アプリを頼りましょう♪


ひととおり食べたあとは、人狼。人数が少なかったこともあり、ワンナイト人狼。
だます人、だまされる人、だましきれない人、見破る人、見破られる人、見破りきれない人、追及する人、追及される人・・・。

う~ん、頭をフル回転。

「あのときああすればよかったのに」

ということがあったので、次のときにも同じようにしたら、今度は逆のほうがよかった、とか。

「ここで怪しいって思ったから絶対人狼だと思った!」
「さっきも○○してて人狼だったから、また人狼だと思った!」

と思ってたら、あれ? はずれた。

奥が深いですな。



ラヴニールの年内の活動は、今週中まで。来週月曜からは冬休みをいただきます。
そうか、もう1年まで残り半月もないんですねぇ・・・
年を重ねるごとに、月日の経つのが早いような、そうでないような・・・
体験談2017.12.13

■ 放っておいてくれ・3 ■

 弟はと言いますと、見た目は何事もなく過ごしているようで、どこか腫れ物に触るようにしていました。

 中学の担任の家庭訪問もありました。当然そのときは部屋のドアを閉め、そして、部屋の片隅に隠れるようにしていました。30分ほど母と話していたでしょうか。担任が帰る、というときです。部屋のドアがノックされました(さすがにこのときは母でもノックして入ってきました)。
「ほら、先生がお帰りになられるんだから、顔ぐらい見せなさい」
 自分としては、担任に会いたくありません。
「何をしてるの!先生がいらっしゃっているというのに顔も見せなかったんだから、先生が帰られるときぐらいお見送りしなさい!」
と、自分の腕をつかみ、強引に部屋から引っ張り出そうとします。
「お母さん、いいですよ。ご本人がいるとわかれば、それで大丈夫ですから」
 担任の声は聞こえるものの、母には聞こえていたのかいないのか、腕を引っ張り続け、とうとう自分を部屋から出しました。
 ただでさえ迷惑をかけている相手です。自分が学校に行ってさえいれば、この家庭訪問だってしなくてすんだはずです。また、どこかで
「この教師がもっとちゃんとしてくれたら、いじめがしっかり解決して、自分はこんなことにならずにすんだのに」
と責任を押し付ける気もちもあって、自分としては担任に顔を見せたくなかったし、会ったら会ったで恨む気持ちが強くなりそうで会いたくなかったのです。

 担任が帰ってから、もちろん母に責められました。母は当然、自分が担任に会いたくなかった理由など知らないし、担任でさえ気づいていないのだから、いじめが続いていたことも知りません。
「何なのあの態度は!出てきたかと思えば、恥ずかしいじゃないの!」
 そもそも自分は担任に会いたくなかったのに、強引に引っ張り出したのは母。自分の意思で出てきたわけじゃないのに、さも自分の意思で出てきたみたいに。自分は部屋に戻り、ドアを閉めようとしましたが、一瞬早く母の手が入って、ドアを開けっ放しにされました。
全国若者・ひきこもり協同実践交流会なるものがありまして、参加してまいりました。
今回で13回目となるこの大会、会場は富山。富山大学。北陸、冬。雪はというと、道路には一切なし。お天気もよく、冬の北陸としてはバツグンのお天気でした(この大会開催翌日、荒れたようですが・・・)

実践交流会2017.12.11

初日はお昼ごろ開会。大会の最初に挨拶、基調となるシンポジウムがあり、夕方からはさっそく分科会。

そういえば今回、分科会の申し込みって1つしかしなかったけど、申し込みのときにひとつしか回答欄なかったよな?
と思っていると、どうやら、1日目夕方、そして翌2日目の午前、それから午後、分科会は3枠あったのですが、この3枠ずっと「同じテーマ」という設定らしく。

今まで参加したほかの大会では、大会日程の中で分科会枠が3回設定されているとしたら、その3回ともすべて、違うテーマでした。これはこれで、いろんなテーマが気になる人にとっては好きなのを選べることになるし、たまにはちがうテーマに顔を出してみよう、3つのうち1つはちょっと冒険してみよう、ということもできるしで好きなスタイルではあるのですが、3枠ずっと同じテーマであることで、ひとつのテーマをより深く深められ、全体会よりは分科会のほうが参加人数が分散化することで様々な方と話しやすくなるし(それが2日間も)、このスタイルもいいかも♪ と思えました。

今度何か分科会などを含むイベントがあるときには、このスタイルを提案してみよう。

他にも迷った分科会はあるのですが、私が選んだ分科会では、自分としての疑問点を共有できた点については、大いに満足がいくものでした。委託を受ける・実施することで起こるギャップ、「そもそも○○とは?」の概念、でもその意見について、否定されるのではなく、「なるほどぉ」「これならやれそうかも」などの「ああ、受け入れられてるなあ」という安心感。

分科会の空気はまさしく「居場所」でした。

う~ん、もう少しこの空気感を詳しくお話ししたいのですが、居場所をカタチにする(わかりやすく報告する)って、なかなか難しいんですよねぇ・・・。

頭をフル回転させ、メモもたくさん取ったので、体のあちこちが疲れましたが、何とも心地いい・・・、うん、経験したことはないけど、フルマラソンを走り終えたような、高い山に登頂成功したような、そんな気分でした。

メモ書きのノートを読み返す・まとめてみる作業がまだ残っていますが、普段の活動に何か活かしていけるヒントがあればなぁ、と思います。

なお、14回大会は、名古屋(愛知県?)での開催だそうですよ☆
体験談2017.12.6


■ 放っておいてくれ・2 ■

 部屋に戻ってまずしたことは、ドアを閉めて、年中出したままのストーブを、ドアの内側に置いたことでした。とりあえず一人になりたかったのです。周囲の何もかも、雑音も人も、すべて遮断したかったのです。
 ところが、時間が経てば経つほど、ものすごく悲しくなってくるのです。責められる怖さと重なって、先ほどの親からの尋問する声が頭の中に響きます。

 こうするしかなかったってちゃんと理由を言ったのに、どうしてわかってくれないんだよ!
 みんなに迷惑をかけてるってことぐらいわかってるよ!わかってることを掘り返さなくたっていいじゃないか!

 悔しく、わかってもらえなくて悲しく、傷をほじくり返された挙句に一方的に責められたのとで、涙が止まりません。部屋の真ん中で丸くなって、30分は泣いたでしょうか。
 両親は、饅頭やおやきの表面しか見ていない。ふと、こんな絵が頭に浮かびました。表面から見たら丸い形状の食べ物、でも中身は実際に割ったり食べてみないとわからない。つぶあん、こしあん、野沢菜、もしかして激辛わさび、からしなんてこともあって、好きとはいっても食べられる状態じゃないかもしれない。
 表面だけ見て、「これは焦げているから」「これは形が悪いから」と判断して、それがすべてだと思っているのではないか。実際の商品として売るものなら焦げていたり形が悪いのは問題かもしれませんが、それでも味に変わりはなくおいしくいただけるものもあります。でも自分としては、目に見える形などだけじゃなく、見えない中身の部分も見てほしいのです。
 今両親は、「家出という他人にとっては迷惑でしかない行為をした」というフィルタで自分を見て、だから家出をしたことや、迷惑をかけたということに対して強く追及しようとしている。でも本当は、家出をした理由が何かあるのではないかということに気づいてほしくて、でもその理由は言いたくない気持ちも大事にしてほしいんだ、と。

 昼を回っていたか、それとも夕方になってかは忘れましたが、祖父母が帰ってきました。玄関の開く音、閉まる音、両親と少し会話のやりとりが聞こえたのみで、すぐに自分の部屋に来ました。当時自分の部屋は、玄関からいちばん近いところにありました。
 ノックもなくドアが動きました。ですが、何かに当たったとわかったのか、一気に開くことなく、少しずつストーブが押される形で開きました。
「どかしなさい!」
 母に無理やりストーブを動かされ、ドア全開。実はこのやりとりは、今日のうちで何度も繰り返されていました。その理由は後述するとして、母は入り口付近に立ったまま、祖母が入ってきました。
「お父さんに迷惑をかけたらダメじゃないの。どうして家出なんかしたの」
 両親の追及から逃れられたと思ったら、今度は祖母の追及が始まりました。自分は部屋の真ん中で丸くなったまま。
「ちゃんと起きなさい!それが人の話を聞く態度?」
 母が無理やり体を起こそうとしましたが、
「いいわよ、大丈夫」
と、祖母は母を制止し、そのまま母は部屋を出ていきました。

 祖母は丸くなったままの自分に近寄ると、肩の辺りをなでながら、わざとらしい優しさを含んだような声で話しかけてきました。
「家出をしたことで、みんなに迷惑をかけたのよ?」
 おばあちゃんも結局お父さんたちの味方なんだと思ったのですが、何かちがう道が見出せるかも、と思ったのでしょう。両親に言い出すよりはすんなりと言うことができました。
「自分なんていないほうがいい」
「あら」
 しばらくなでる手を動かしながら、祖母は思いついたように言いました。
「それなら、おばちゃんと暮らしたらいいじゃない」
 今思うと、なんでいきなりそこに飛躍するのだろうと思うのですが、祖母の話に乗ってもいいんじゃないかと思いました。自分以外の自分を演じることに疲れ、周囲との比較に耐えられなくて、どうしたらよいかと思っている今、どういう手段を使ってでも学校に行けるようになればそれでよかったのです。親戚の家から学校に通えば、当然誰も自分の成績なんてわからないし、学校で問題を起こしたり、家出をして実は死ぬことも考えていた問題児だということも知られずにすむ。何か気持ち的に変われるのではと考えたら、まだ幾分楽だと思えました。

 ところが部屋のドアが開いていたので、この話は両親にも丸聞こえでした。
「何を言ってるの?うちを出ていくことは許さないよ」
 自分にとっての希望の道を閉ざされてしまい、自分は再び部屋のドアを閉め、内側にストーブを置きました。それでも構わず、母がノックもせずにドアを強引に開けました。
「こんな物まで置いてドアを開けにくくするんじゃないの。ドアを常に開けておくって約束したっでしょ!」
と、ストーブをドアを開け放したまま押さえる役割として使い、そのまま行こうとしました。それでもドアを閉めようとすると、
「言ったでしょ!開けておきなさいって。お父さんと決めたんだから」
 部屋のドアを開けておくという約束なんてした覚えはありません。そしてここは自分の部屋、なのに自分には何も決定権がないのです。自分が唯一くつろげるはずの場所。自分の城。それがドアを開放状態ということは、常に誰かに見られる恐れがあるということ。常に緊張に晒される状態です。

 では弟はどうだったかと言いますと、弟については開け放しておくというのは適用外でした。自分の部屋はというと、玄関を通っていちばん最初の部屋だし、トイレの向かい側でもありましたから、誰かが必ず通る場所だったのです。
 あとになってみて思うと、自分は物理的にではありますが、ひきこもりたかったのです。死にたくても死にきれなくて、それならばと、自分以外の一切合財を遮断して、とにかく一人になりたかった。親の顔も、学校に行っている弟の顔も見たくなかったのです。
 ところが、親がひきこもることを許してくれない。「何をしているかを常に監視できるようにドアを開け放しておく」というルールを、自分の意見なしに決め、それに刃向かってドアを閉めておいても、今度は弟の部屋から回りこみ、ベランダ伝いに窓をノックされる始末でした。そしてまたドアを開け放しておくことを強要され、一旦開けるけれど閉める、の繰り返し。
「中の様子がよくわかるから。あんたが問題を起こさないかどうか、常に監視できるから、ドアを開けておきなさい」
 母が笑顔でこう言ったことを覚えています。直接言葉として言われたわけではありませんが、「お前が問題を起こさなければ(部屋のドアを開けておくという)こんな事態にはならずにすんだのにね」と言われているような気がして、ますます自分を自分で否定の方向に導いていったように覚えています。

 家出したことで祖父母も巻きこみ、両親の監視の目が強まり、家にはいたくない。でも学校にも行きたくない。学校でもすでに問題を起こしているし、家出をしたことも担任に伝わっているか、いずれ伝わるでしょう。さらなる問題を起こし、自分の評価はさらに下がっていることが考えられました。
 自分にはどこにも助けてもらえそうな場所などないのです。それならもう一度死ぬことを考えたほうが楽かもしれないと思うのですが、そこまでの勇気がありません。周りを巻き込んだくせにその責任も取れないし死ぬこともできないし、どうすることもできませんでした。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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