通信制高校を卒業したあと、自分は大学に進学しました。推薦入試を受けたら受かってしまったので、自分の理想とはだいぶかけ離れた学部でしたが、受かったものは儲け、行くだけ行ってみるか、と。
大学に進学することで家を出られるチャンスかもしれないと思いました。中学のときより幾分マシとは言え、家にいることはまだ苦痛でしたし、大学まではやや距離があったし、これまで学校に通うと言えるのかどうかの生活をしていた自分からすると、「これまでほとんど家にいて長い距離を通うのはいやだから、下宿したい」と言えば、もしかして認めてもらえるかもしれない、と思ったのです。
しかし、一人暮らしは認めてもらえませんでした。通えなくはない距離だから自宅から通え、と押し通されてしまいました。これは「うまくいけば」という程度で考えていたので、まだ親の監視下は続くのかと思いながら、一方で仕方ないかとも思えました。自家用車での通学は認められていましたが、車の免許はまだ持っていないので、公共交通機関で通うしかありません。
大学には推薦入試で合格したこともあって、年が明けてセンター入試を受けるということもなく、年が明けてすぐから4月までは、楽に送らせてもらいました。弟は朝から夕方まで部活で帰りは遅く、それでもきょうだい仲はよく、普段の日常と大して変わらない日々を過ごしていました。
「本当にうちには受験生がいるのか?受験生がいるという空気がまったく感じられない」
父は相変わらず言い続けましたが、母が父に直接は言わなかったものの、
「推薦でも合格したものは合格したものだし、それもひとつの方法だと思うんだよね。いいじゃん、別に」
と、この考え方には助かりました。ちなみに我が家は、弟も高校については推薦入学で決め、やはり推薦入学で専門学校へ進学しているので(これはこれで前述のように専門学校を見下している父との葛藤があったようです)、この先も父が求めるような受験生がいるらしいピリピリした空気を出すことなく終わっています。
高校の卒業式を迎えるのが、実はいやでした。高校を卒業することがいやだったわけではなく、もちろん大学に進学することがいやだったわけではなく、別に問題がありました。
「もしもし?」
聞こえてきたのは、父方の親戚の声でした。
「すごいな、大学に行くんだって?学校に行けなかったのに、それでも合格しただなんて本当に努力して!」
親戚はこちらに何も言わせず、次から次へと自分に電話越しに話しかけてきます。
「お祝いしなきゃだろ?卒業式の前の日にはそっちに行くから」
と言われたので、
「ちょっと待って、自分だけじゃ返事できないから」
と答えると、
「いいって、あとで電話を切ってから聞けばいい」
と言われた以上は従うしかなく、言われたとおりに受話器を置いてから、
「親戚がこっちに来るって、聞いた?」
と母に尋ねました。母は自分が電話に出る前に、親戚と電話で話していました。
「え?さっき何も言ってなかったけど」
「卒業式に合わせてこっちに来るって」
「何でそれを言わないの!電話の途中でも言いなさいよ!」
母にはそう言われても、親戚に止められたのです。
「電話を切ってから言えって言われて――」
言うことを素直に聞いただけの自分が怒られる必要はないのに怒られかけたので、ありのままを言うと、母も言葉をぐっと飲み込んで、
「で、いつだって?」
「卒業式の前日って言っていたから」
母は立ち上がると、カレンダーに親戚の苗字の頭文字を書き、
「で、いつまでだって?」
「何も言ってなかった。でもたぶん――、お祝いしなきゃって言ってたから、卒業式の翌日までは少なくともいるんじゃない?」
母は大げさにため息をつきました。
自分として気になることがありました。
「学校に行けなかったけれど、大学に合格した」
「大学に合格するのに、大変な努力をした」
親戚はさっき、電話でそう言いました。実は1度だけではなく何度も繰り返し言われたのです。自分の中ではどうもすっきりしない気持ちがありました。「学校に行かなかった」「大変な努力をした」というところが引っかかりました。
このとき、この後も自分にとって学校に行かなかったことそのものについては大変な思いをしたことだとは思っていませんでした。あとで振り返ってみて、学校に行かなくなったことで自分を含む周りに起こったことや、人に対する信頼関係の部分では若干大変な思いをしたかな、と思うことはありました。
ところが親戚は、学校に行かなかったことに焦点をあて、どうも自分が学校に行かない時代を経て大学進学を決めたことを、勝手に美談に仕立て上げられているような気がしてなりませんでした。自分自身は美談とも何とも思っていなくて、中学は行かなかったけれど、あとは流れるままに進んだ、それだけなのに。
親戚は、自分を自分として見てくれない。「学校に行けるかどうか」で、自分を判断していたんだ。それは、今までも、これからも。
あまり特別に騒がずに、普段どおりそっとしておいてほしいと思いました。親戚は学校に行ける自分としか見ていてくれなかったんだと気づいて、悲しくなりました。
■ 高校在学中の生活 ■
日中は絵の下書きをして、母が買い物などで出かけて不在のあいだに、ペンでなぞる、などの片付けに手のかかる作業をしていました。ちょうど高校の近くに大手の小売店があったので、毎月の小遣いと相談しながら、イラストを描くのに必要なペンやインクを買って帰ってきては使って、ちょっとした漫画家気分を味わっていました。
勉強以外の理由としては、飲食店でアルバイトしたいと言うと、
「お前みたいな要領の悪いやつが、注文とったり料理つくったりできる訳がないだろ」
それならばスーパーやホームセンターなどのレジは、と言うと、
「対応に手間取って迷惑かける姿しか見えないな」
と返され、「アルバイトをしたい」という気もちを、まず否定されることから始まり(それも自分を)、つまりはどんな業種であれアルバイトをさせたくなかったのだろうと今なら思いますが、「こんなに否定される自分は、アルバイトさえもできないのか」
と落ち込んだのも、事実です。
アルバイトをしなかった分勉強できる時間は圧倒的にたくさんあったはずなのですが、自分が思っていたようには勉強が進みません。特にがんばらなければいけない科目もわかっていたのに、そちらについては基礎的な部分がほとんどで、もっとレベルの高い部分については手を出せない状態で、早くもあせりが出てきました。
あせると同時に父からはプレッシャーをかけられます。
「○○さんのところは夜も相当遅い時間まで睡眠時間を削ってやっている。それに比べてお前は夜はテレビを見ては笑い、日付が変わる前にはさっさと寝て、朝も起きる時間は遅い。それで大学に行けるとでも思っているのか?」
これが3年生となると、さらにプレッシャーがかかってきました。
「お前はどこの大学に行くつもりだ?まさか有名大学以外を考えてるわけじゃないよな?」
といとも簡単に名前の通った大学名を並べ、一方で
「専門学校?どうせ落ちこぼれが行くところだろう。短大?そんなの就職に不利だ」
と、自分の価値判断だけで語るのです。
このとき、母は自分のことをある程度理解したようなことを言ってくれました。
「今ヒロが学校に所属しているというだけでお母さんは安心なんだから、とりあえず卒業だけしてくれたらいいから。その先は専門学校でも大学でも、行きたいところに進学してくれればいいから」
勉強を強要しない点については助かりましたが、卒業にこだわっていたり、その先には進学することしか考えていないのかとも受け取れる発言でした。
このたび、ラヴニールブログ「未来堂」、移転をいたしました。
これまでのブログ同様、ご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。
こちらからは旧ブログへのURLを貼っておきます。
(しばらくしたらリンク切れになっている可能性がありますので、ご注意ください)
http://lavenirblog.blog.fc2.com/
その時間に何をしているかといいますと、今度フリースクールの活動でこんなところに来てみたいなとか、こんなことをしてみたいなと思うところを、実際に見て回ったり、活動に役立ちそうな講座や催しがあればそちらへ駆けつけてみたりしております。
そのうちのいくつかで、こんな声を耳にします。
「(フリースクールと聞いて)えっ、それは何ですか?」
「どんなことをされているんですか?」
「どんな年代の方がいらしてるんですか?」
こんな声は、当然フリースクール関係者ではなく、そのほかの分野にいる方から聞かれます。
つまりは、まだまだ私たちも、アピールが足りないということだなと、痛感しております。
さらに言うと、自分に興味のあることや気になったことは調べたりするけれど、興味がないとなかなかしませんよね(汗)。私も、世界の歴史の話になると、あれっ、急に眠気が・・・。
こんな声は、実は他分野にいる方たちだけではありません。
「実はいちばんに情報を届けたい方」からも、聞かれるのです。
「不登校の親の会」というのがあり、そこでは、現在お子さんが学校に行っていなかったり、かつて行かなかったり、あるいは自身が行っていなかったという人が参加しています。・・・そういう場が多いと思うのですが、その会でほぼ必ずといっていいほどあるのが、現在悩まれている方のご相談。
学校に行かなくなって先が不安。
このままだったら取り返しのつかないことになる。
などなど・・・。
そこでいつも思ってしまうのです。
ラヴニールも含めて、各フリースクール等の多くはホームページを公開していて、その活動内容などを公開しています。大阪市内だけでも東西南北あちこちにあり、活動内容も様々です。
そしてそこに通っている子どもたちは、決して将来を悲観することなんてなく、自分でこうなりたいな、という道に進んでいます。
・・・という事実を知っているだけに、ああ、もったいない! って思ってしまうのです。
本当にこの情報を必要としている人に届けるには、どうしたらいいのでしょうか?
私たちが発信している情報。
その情報を、受け取る側の人。
このあいだには、一体何があるのだろう?

■ 誰が話すもんか ■
学籍上は高校生になってまもなくぐらいのころ。弟が特に仲良くしていた同級生に、学校に行き渋る子がいたようです。母は子ども会のつながりがあって、その子のお母さん経由でその子の様子を聞いていたようです。
あるとき、リビングにいた自分に母が声をかけてきました。
「あのさ、ヒロ。○○(弟)の友達の、Aさんっているじゃない?」
自分としても弟から仲良くしている何人かの名前を聞いていたことはあって、そのなかの一人でした。名前だけは知ってると答えたかと思います。
「Aさんのところね、学校に行きにくいみたいでさ、週に何日かは休むみたい。行くときも、すごく暗い表情をして何とか我慢しながら行っている感じなんだって」
母がなぜ弟の友達のことを話し始めたのか最初はわかりませんでしたが、学校に行きにくいみたいと言われたところで自分との共通点がある、と思いました。
「でさ――。お願いなんだけどさ。Aさんに、ヒロの気持ちを話してもらえないかなぁ」
母が困ったような笑顔で自分に頼んできました。
「えっ、えっと――」
自分としては、曖昧な返事だけをしておきました。はっきり断ったとか、いやいや引き受けたということはなかったです。返事は曖昧でも、実際は「そんなのお断り」という気持ちで、母に対して苛立ちだけが募ってきました。
今でこそこうやって自分の体験についてはどれだけでもお話しできるのですが、ではなぜ、母に「話してほしい」と言われて、苛立ちだけが出てきたのか。それは、自分の意思ではなかったからです。自分が話したいと思うのならともかく、なぜ、母とはいえ他人に促されて話さなきゃならないんだよ、と。このころは自分の体験を曝け出すことが何より恥ずかしく、また、学校に行かない経験はこのときの自分にとっては自分史の中からいち早く抹消したい部分でもありました。それも知らずに話せと言われて、「誰が話すものか!」と思ったのです。
これは今だからこそ思うのですが、そのときは、まだ学校に行かなかった中学時代からそんなに経たないころで、自分の中で整理がついていなかったのかもしれません。言葉にすることである程度整理ができると書きましたが、まだその段階になかったのかもしれません。
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