フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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■ いじめも続いていた ■
実はいじめもあのまま続いていて、今度は無理に明るく振舞ったがために、相手に退かれ、その明るさが、おかしいと認定される状態となっていました。しかし連休明けの件があるため、クラスメイトも自分とそれなりに付き合っている雰囲気を出していましたし、自分もこれ以上問題を起こすわけにはいかないと、溶け込んでいるふりをしていたためか、いじめが続いていたことは、どうやら担任は気づいていないようでした。ずっと軽微なままで推移していたのも、わかりにくかった理由にあると思います。
学校で本当の自分を出すことができず、苦労していました。しゃべらないでいればいじめられる、ではその逆にすれば解決かというと、またいじめられる。自分として両極端な二択しかないことに意見を言われるのは承知で言いますが、どっちにしてもいじめられるのなら、自分はどうすればいいのだろうと、わけがわからなくなってきました。素の自分でいられないことがつらくて、常に誰か別の人間を生きているような、何かを演じているような気持ちでした。
学校でも何かを演じ、家でも「よい子」を演じなければいけない。本当の自分はいったいどこに行ってしまったのか。いや、本当の自分でいてはいけないんだ。なら、やっぱり自分はいないほうがいいんじゃないかという結論になっていました。
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プルタブをたくさん持ってきてくれた子がいて、いつも入れていたビンには入りきらず、箱にうつしかえました。
それでも、見よ! このあふれそうな勢いでいっぱいのプルタブ!

ラヴニールで集めたプルタブは、ある程度の量(今回は、ビンいっぱい・・・、が、あふれるぐらいたくさんになって、予定変更、この箱いっぱい)になったら、フリースクールFor Lifeさんにお渡ししています。
http://fsforlife.sakura.ne.jp/puru510kg.html
近いうちに、スタッフさんにお渡しする予定です☆
少し荷物になってしまいますが、よろしくお願いしま~す。
それでも、見よ! このあふれそうな勢いでいっぱいのプルタブ!

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■ どうせ自分なんて ■
学校を休んだ初日は途中までは行ったんですが、途中で足が動かなくなり、すぐに家に引き返しました。家に引き返すことを決めると、不思議なことに自然と足は動くのです。
当然母に責められます。担任にも、すぐに連絡がいきました。
「もうすぐ実力テストがあるから、それは受けると約束してくれる?」
電話越しに話した担任との約束を守りましたが、解答用紙に空白があることが自分として許せず、感触として1学期の期末テストよりも悪いなとわかりました。
このままじゃ高校に行けない。高校に行けないのだから大学にも行けない。
どうして高校にこだわっていたのかと言うと、大学に行きたかったからです。ではどうして大学に行きたいとこだわっていたのかと言うと、その当時あこがれていた職に就く夢をかなえるためには、大学に行ってそれ相応の試験に合格しないとなれなかったからです。
自分が大学に行けなくなるかもしれない恐れよりも前に、母の顔が浮かんできました。また成績が悪かったとわかった母からは、何を言われるか想像がついていました。いい成績を取らなければどうなるか、責められると。
あとでハッタリだとわかったときには、よくもこんなウソをついてくれたなと思ったものですが、では、母がなぜこのハッタリを堂々と言えたかと言いますと、「情報が少なかったこと」と、もうひとつ「自らが通ってきた道」だったからです。母が言うのは自分が実際に受験したときの方法・地域の状況でした。祖父母に対して「おじいちゃんやおばあちゃんの世代とは、またちがうから」と言っていたのと同じことを、自分自身もしていたのです。新しい情報がない中で優先される事項が、母自らの経験のみになってしまっていたのです。
ところが当時の自分は、へえ、そういうふうになっているのか、と思うしかありませんでした。あまりに母が自信満々に理由まで添えて言い、自分としても否定し覆せる要素を持ちえていなかったので、母が言うことを信じるしかなかったのです。将来の夢で考えた場合でも、商業、工業などの高校ではなく普通高校に通いたい。なぜなら自分が就きたい職業は、商業や工業に詳しければなれるものではなく、いわゆる頭のいい人がなるものだから。そのためには、それなりの水準にある高校に通わないと大学には行けない。それなりの水準にある高校に行くためには、トップの成績を取らなければいけない――。
自分の夢が崩れそうな不安と同時に、このままでは自分は母に見放されると思いました。どれだけ自分なりにがんばっても、
「今までがんばったって言うのなら、次はその倍、さらに倍とがんばりなさい。他の子はもっとがんばっているんだよ?」
の言葉で一掃されることが予想され、自分なりの努力以上の努力をしなければいけないことに、疲れを感じました。どれだけ勉強ができたとしても、いつまでたっても母からほめてもらえる、認めてもらえることはないんじゃないかと感じ始め、いつまでも批判の目に晒され息苦しくて仕方のない家は、自分にとっていやな場所でしかありませんでした。
同時に、親の理想にこたえられない自分、思うとおりに結果を出せない自分、将来が見通せない自分――。こんな自分なんか、いないほうがマシなのではないかと思い始めました。

■ 学校に行かなくなる・2 ■
そうこうしているうちに、初めてのテストの時期を迎えました。まだ習った範囲も少なく、どう勉強したらいいのかもわかっていなくて、テストの点数は小学校のころに比べると低いものでした。小学校のころのテストは単元ごとだったし、特に難しいとは思ったことがないのだけど、中学に入るとさすがにそうもいかないんだな、と痛感したテストでもありました。
それでも学年順位では真ん中より少し上。どう勉強したらいいかわからなかったにしては、この数字は妥当だと思えたので、自分としては何も悪びれることなく、親に個表を見せました。この個表には、各教科のテストでの点数が記入されています。
それを受け取った母は、一瞬にして表情を変えました。
「何?この点数は」
個表をテーブル上に置き、点数が記入された部分を指で叩いて指摘する母。何も答えられずにいると、
「何でこんな点数しか取れないの?順位も真ん中だし」
どうして順位が真ん中であることがいけないのだろうと思って、何も言えないままでいると、
「高校は、成績がよくないと行けないところなの。わかってる?」
今となっては
「よくもそんなでたらめを」
と言えるのですが、当時の自分は何もわかっていないこともあって、反論できる要素がありません。
次のテストのときには自分なりに勉強しました。勉強のあいだの息抜きに読んでいたマンガは、親に見つかって取り上げられました。休憩もとらずに勉強漬けになることを親は望んでいるんだと思って、さらに勉強しました。
期末テストは科目数も多かったので、科目ごとの点数自体はアップしなかったのですが、順位は大幅アップ。それでもやっと上位に食い込めたぐらい。
「○○高校に行くには、学年1位の成績でないと無理」
と、気づけばトップクラスの成績を目標として設定され、今回これだけがんばってもやっと上位に食い込めるぐらいの成績でしかないのかという絶望と、それならば高校というところはどれだけ果てしなく高い目標なのだろうと、これまた絶望とで、果たして自分はこの先やっていけるのだろうかと、1学期にして早くも不安になりました(後述の余談1)。
学校では明るく振る舞い、家では親の理想にかなうように勉強する。でも理想には応じきれていない、ダメな自分。何だか疲れてきました。
すぐに夏休みに入り、まずは宿題の量の多さに圧倒され、夏休みが終わっても残っている状態。決められたこともできない自分の評価は、どんどん下がっていくのではないかと想定されました。評価が下がったなら、たとえテストなどの点数がよくても総合的な評価は下がる。本来通知表で5をもらえる成績だったとしても、宿題ができていなかったことで4に下がる。宿題ができていなかったのは複数教科だったので、何教科も評価が下がる。それでもし高校進学に影響が出たら。
増して自分は、すでにクラス内でトラブルを起こしていて、担任に迷惑をかけています。
「あんたはすでに先生に迷惑をかけているんだから、そのマイナス分を取り返すだけの勉強は必要なんだから」
高校進学の際にはこういった生活態度もマイナス評価になると、母からは口酸っぱく言われていました(後述の余談2)。
「ねえねえ、内申いくつだった?」
通知表そのものを見せ合うことはしなかったけど、1学期終業式の日、クラスの中ではこのような会話がやりとりされていました。そもそも内申点というのが何かよくわかっていなくて、どうも会話を聞いていると、9教科の評定の合計値であることがわかってきました。たまたま近い席にいた子は、30ちょっと。自分もせめてそのぐらいはあるだろうなと思って、あとでこっそり合計してみたら、一歩届かない、29。後でよく考えたら、オール3だったとして27なのですから、ごくごく真ん中ちょっと上ぐらいという数字。けれど周囲の子がそろいもそろって30をこえていることから、30に届かなかった自分が劣っているように感じられました。
もともと低い評価がさらに下がるだろうと考えられるのと同時に、トップには程遠い成績で、もし高校に行けないとわかったら、親は絶望するだろうことが想像されました。自分がもっとがんばれば高校に行けるはずです。しかし、これ以上がんばることはもうできません。
夏休みがあけて2学期。数日行っただけで、ついに学校を休むようになりました。
余談1:
実は文中に出てくる○○高校というのは、トップクラスでないと進学できない難関校ではなく、ごくごく真ん中の成績でも進学できるぐらいの高校でした。という事実は中学3年のときにわかる事実で、それまではずっとトップクラスの高校だと思い込まされていました。本文にもあるように、1年1学期の内申点は29。その当時の成績を維持できたなら、余裕で進学できる高校でした。
余談2:
この生活態度についても、果たして本当にマイナス評価となったのかどうかは、疑問です。実際にマイナス評価となるのかもしれませんが、担任に本当に言われていたのか、学校内でもそういった評価をしているのかは確認していません。親からは常にこういった否定的な圧力をかけられていたと捉えていただけたらと思います。

■ 学校に行かなくなる・1 ■
大型連休が終わってすぐ、どうしても学校に行きたくないと訴えて1日だけ休ませてもらいました。母が担任宛てに「今日は休みます」と連絡をすると、
「いじめられていたんじゃないですか?」
担任が母に尋ねたようです。自分ではあの程度ではいじめだとは思っていませんでしたが、なんだ気づいていたのか、と思いました。担任は朝と帰りに顔を合わせる以外は、週あたりにすると授業数の少ない教科担任で顔を合わせる時間はないと思っていたのですが、見ているところはちゃんと見ているんだなと思いました。
次の日には登校するのですが、帰りに自分と特定の何人かが残るよう指示されました。
別室に自分を含めた数人だけになったと担任が確認すると、教室の入り口・出口のドアを閉めて、
「よし、誰もいなくなったな。みんなから、ヒロのことを教えてやってほしい」
と、いわば集中砲火。担任に言われるままに、自分以外の何人かが、自分のありもしないことを言う。
「それじゃあ、ヒロがどうなったらみんなと仲良くできると思う?」
次には
「もっと明るくなればいい」
とか
「もっと人と話せばいい」とか。具体的な意見ではあるけれど、ちょっと考えてみたらずいぶんと奇妙だとも思いました。見ず知らずの相手がいきなり明るく接してきたら、どう思う?自分だったら圧倒されて
「え?何この人?」
って退いてしまうと思うのですが。
後で振り返ってみると、結局自分がすべて悪かったかのような片づき方でした。担任という監視があったことで何も言えないことに加え、集中砲火の状況から逃げ出すこともできませんでした。逃げ出せるものなら逃げ出したかったです。
自分を肯定されることなく、否定されるだけの日々がよみがえってきたように感じられました。自分の意見を言わせてもらえず、一方的にできないと認定された、小さいころの日々。
そんな状況に追いやられた自分だったけれど、次の日からは努めて明るく振る舞うようにしました。新しくまたやり直せばいいと思って明るく振る舞いました。明るい自分を一生懸命つくりました。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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