フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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学校に行けなかったあいだにずっと気になっていたのが、「学校に行けないと将来が終わる」ということでした。だから今の学校に行けない自分はダメで、学校にまた「戻れる」ようにないとダメだと、ずっと思っていました。
そんな感じで無理をしてでも学校に行かなきゃと思って、とりあえず人が少しは減る土曜の午後などに、行ったことがあります(当時は今のような完全週休2日ではありませんでした)。
この情報は、親にはもちろん、当時私が通っていた支援施設(と、ここでは言っておきます)にも伝わっていました。
支援施設では、時々「学校に行ってみる気はないの?」と尋ねられることがありました。「学校に戻れるようになります」が謳い文句の場所でしたので、どうにかしてでも学校に気もちを向けようと必死だったのでしょう。となると、ほんの少しでも学校に行けるようになった私は、「絶好のターゲット」だったのかもしれません。
学校に少しずつ行けるようになってから、尋ねられるのではなく、「次は○○してみてね」に変わりました。
次はテストを受けに行ってみて。
次は1時間だけ授業を受けてみて。
次は、次は・・・
学校に行って担任に会って帰ってくるだけで、私はただ学校と自宅を往復した以上の疲れを感じていました。
そのうち、私は土曜に学校に行くのもやめました。テストも、受けたこともあったけれど、受けなくなりました。
親から言われたのは、
「せっかく学校に行けるようになったのに!」
支援施設では、何で学校にまた行かなくなったのかと尋ねられ、私は疲れる、しんどい、という理由をあげたかと思いますが、
「でもほら、学校に行けたんだからさ。またがんばって行ってみようよ」
誰も、自分のことなんてわかってくれないんだなと思いました。
学校に行く。ただそれだけのこと。周りはみんなそう思っていたかもしれません。
そこに、どんな自分の気もちがあるのか。今、学校に対する気もちはどうなのか。学校でなくても、今、自分の気もちはどうなのか。
このあたりを、誰も聞いてくれませんでした。
学校にほんの少し行くだけでも、私は本当に大変だったのに、誰もそれについて、「がんばったね」「がんばってるね」とは言ってくれませんでした。
今、目の前にいる私。それが、私。それが、今最善の私。
ここまでがんばっている私を、誰も認めてくれないんだな。
そこに、「せっかく学校に」の発言があって、ああ、学校というフィルター越しでしか、私を見ていないんだ。学校に行っている私に価値を見出していたんだと、寂しくなりました。
今だからこうして文にできますが、私という軸ではなく、学校という軸が基準になっていたんだなと、自分自身にも、周囲にも感じます。
今目の前にある姿を、丸ごと受け止める。
曲りなりに親になってわかったことですが、それって本当に難しい。
難しいけれど、まず、目の前にある存在そのものを大切にする、せめてしようとすることが、何においても最優先じゃないかなと、ふと感じました。
今の私を認めてよと思ってきた私が、果たして今の子どもの姿を受け止めているだろうかと振り返りつつ、つい
「そうやって余計なことするから時間かかるの! 余計なことはしない!」
「寄り道しない! さっさと歩く!」
「同じテレビばかり見ないで他のことも考えて!」
なんて。
えらそうに書いてしまいましたが、私もまだまだ、理想には程遠いです。
そんな感じで無理をしてでも学校に行かなきゃと思って、とりあえず人が少しは減る土曜の午後などに、行ったことがあります(当時は今のような完全週休2日ではありませんでした)。
この情報は、親にはもちろん、当時私が通っていた支援施設(と、ここでは言っておきます)にも伝わっていました。
支援施設では、時々「学校に行ってみる気はないの?」と尋ねられることがありました。「学校に戻れるようになります」が謳い文句の場所でしたので、どうにかしてでも学校に気もちを向けようと必死だったのでしょう。となると、ほんの少しでも学校に行けるようになった私は、「絶好のターゲット」だったのかもしれません。
学校に少しずつ行けるようになってから、尋ねられるのではなく、「次は○○してみてね」に変わりました。
次はテストを受けに行ってみて。
次は1時間だけ授業を受けてみて。
次は、次は・・・
学校に行って担任に会って帰ってくるだけで、私はただ学校と自宅を往復した以上の疲れを感じていました。
そのうち、私は土曜に学校に行くのもやめました。テストも、受けたこともあったけれど、受けなくなりました。
親から言われたのは、
「せっかく学校に行けるようになったのに!」
支援施設では、何で学校にまた行かなくなったのかと尋ねられ、私は疲れる、しんどい、という理由をあげたかと思いますが、
「でもほら、学校に行けたんだからさ。またがんばって行ってみようよ」
誰も、自分のことなんてわかってくれないんだなと思いました。
学校に行く。ただそれだけのこと。周りはみんなそう思っていたかもしれません。
そこに、どんな自分の気もちがあるのか。今、学校に対する気もちはどうなのか。学校でなくても、今、自分の気もちはどうなのか。
このあたりを、誰も聞いてくれませんでした。
学校にほんの少し行くだけでも、私は本当に大変だったのに、誰もそれについて、「がんばったね」「がんばってるね」とは言ってくれませんでした。
今、目の前にいる私。それが、私。それが、今最善の私。
ここまでがんばっている私を、誰も認めてくれないんだな。
そこに、「せっかく学校に」の発言があって、ああ、学校というフィルター越しでしか、私を見ていないんだ。学校に行っている私に価値を見出していたんだと、寂しくなりました。
今だからこうして文にできますが、私という軸ではなく、学校という軸が基準になっていたんだなと、自分自身にも、周囲にも感じます。
今目の前にある姿を、丸ごと受け止める。
曲りなりに親になってわかったことですが、それって本当に難しい。
難しいけれど、まず、目の前にある存在そのものを大切にする、せめてしようとすることが、何においても最優先じゃないかなと、ふと感じました。
今の私を認めてよと思ってきた私が、果たして今の子どもの姿を受け止めているだろうかと振り返りつつ、つい
「そうやって余計なことするから時間かかるの! 余計なことはしない!」
「寄り道しない! さっさと歩く!」
「同じテレビばかり見ないで他のことも考えて!」
なんて。
えらそうに書いてしまいましたが、私もまだまだ、理想には程遠いです。
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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