忍者ブログ
フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
[183]  [184]  [185]  [186]  [187]  [188]  [189]  [190]  [191]  [192]  [193
この投稿は、テスト投稿も兼ねています。

このたび、ラヴニールブログ「未来堂」、移転をいたしました。
これまでのブログ同様、ご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。

こちらからは旧ブログへのURLを貼っておきます。
(しばらくしたらリンク切れになっている可能性がありますので、ご注意ください)

http://lavenirblog.blog.fc2.com/
PR
活動時間短縮であったり、1日お休みをいただいたり、このところ活動時間の変更が多くなっております。
その時間に何をしているかといいますと、今度フリースクールの活動でこんなところに来てみたいなとか、こんなことをしてみたいなと思うところを、実際に見て回ったり、活動に役立ちそうな講座や催しがあればそちらへ駆けつけてみたりしております。
 
そのうちのいくつかで、こんな声を耳にします。

「(フリースクールと聞いて)えっ、それは何ですか?」
「どんなことをされているんですか?」
「どんな年代の方がいらしてるんですか?」

こんな声は、当然フリースクール関係者ではなく、そのほかの分野にいる方から聞かれます。
つまりは、まだまだ私たちも、アピールが足りないということだなと、痛感しております。
さらに言うと、自分に興味のあることや気になったことは調べたりするけれど、興味がないとなかなかしませんよね(汗)。私も、世界の歴史の話になると、あれっ、急に眠気が・・・。


こんな声は、実は他分野にいる方たちだけではありません。
「実はいちばんに情報を届けたい方」からも、聞かれるのです。
 
「不登校の親の会」というのがあり、そこでは、現在お子さんが学校に行っていなかったり、かつて行かなかったり、あるいは自身が行っていなかったという人が参加しています。・・・そういう場が多いと思うのですが、その会でほぼ必ずといっていいほどあるのが、現在悩まれている方のご相談。
 
学校に行かなくなって先が不安。
このままだったら取り返しのつかないことになる。

などなど・・・。
 


そこでいつも思ってしまうのです。

ラヴニールも含めて、各フリースクール等の多くはホームページを公開していて、その活動内容などを公開しています。大阪市内だけでも東西南北あちこちにあり、活動内容も様々です。
そしてそこに通っている子どもたちは、決して将来を悲観することなんてなく、自分でこうなりたいな、という道に進んでいます。
 
・・・という事実を知っているだけに、ああ、もったいない! って思ってしまうのです。
本当にこの情報を必要としている人に届けるには、どうしたらいいのでしょうか?

私たちが発信している情報。
その情報を、受け取る側の人。

このあいだには、一体何があるのだろう?
体験談2018.4.25


■ 誰が話すもんか ■

 学籍上は高校生になってまもなくぐらいのころ。弟が特に仲良くしていた同級生に、学校に行き渋る子がいたようです。母は子ども会のつながりがあって、その子のお母さん経由でその子の様子を聞いていたようです。
 あるとき、リビングにいた自分に母が声をかけてきました。
「あのさ、ヒロ。○○(弟)の友達の、Aさんっているじゃない?」
 自分としても弟から仲良くしている何人かの名前を聞いていたことはあって、そのなかの一人でした。名前だけは知ってると答えたかと思います。
「Aさんのところね、学校に行きにくいみたいでさ、週に何日かは休むみたい。行くときも、すごく暗い表情をして何とか我慢しながら行っている感じなんだって」
 母がなぜ弟の友達のことを話し始めたのか最初はわかりませんでしたが、学校に行きにくいみたいと言われたところで自分との共通点がある、と思いました。
「でさ――。お願いなんだけどさ。Aさんに、ヒロの気持ちを話してもらえないかなぁ」
 母が困ったような笑顔で自分に頼んできました。
「えっ、えっと――」
 自分としては、曖昧な返事だけをしておきました。はっきり断ったとか、いやいや引き受けたということはなかったです。返事は曖昧でも、実際は「そんなのお断り」という気持ちで、母に対して苛立ちだけが募ってきました。
 今でこそこうやって自分の体験についてはどれだけでもお話しできるのですが、ではなぜ、母に「話してほしい」と言われて、苛立ちだけが出てきたのか。それは、自分の意思ではなかったからです。自分が話したいと思うのならともかく、なぜ、母とはいえ他人に促されて話さなきゃならないんだよ、と。このころは自分の体験を曝け出すことが何より恥ずかしく、また、学校に行かない経験はこのときの自分にとっては自分史の中からいち早く抹消したい部分でもありました。それも知らずに話せと言われて、「誰が話すものか!」と思ったのです。
 これは今だからこそ思うのですが、そのときは、まだ学校に行かなかった中学時代からそんなに経たないころで、自分の中で整理がついていなかったのかもしれません。言葉にすることである程度整理ができると書きましたが、まだその段階になかったのかもしれません。
体験談2018.4.18


■ 実は「まったく」学校に通わなかったわけではない ■

 今では中学にはほとんど行かなかったと答えている自分ですが、学校に行くことにこだわっていたころは、少しでも通っていたんだとアピールの意味もあって、中学1年の1学期は通っていたと言い張っていました。
 事実ではあるのですが、当時の自分はすでに気持ちの面でだいぶつらかったのかもしれないな、と振り返ることがあります。
 これ以外にも私服で登校したり、テストを受けに行っていたのは前述のとおりですが、他にも、修学旅行には参加しました。
 修学旅行に参加するためには、前日の直前指導に参加しないと、旅行に行けませんでした(荷物を開封させられ、華美な服装をしないかまでチェックされました!)。その日用があって1日学校にいなかった担任に代わり、進路指導の担当教員が教室内を仕切っていたこともあってか、無理やり教室に入れられ、周囲の好奇のまなざしに晒されたことは、つらかった思い出として残っていますが。
 その帰り道。かつて同じクラスだった数名の生徒から声をかけられました。
「学校来てないって聞いてたけど、なんだ、元気そうじゃん」
 いや、特に病気で学校に来てなかったわけではなく、でも実際に「学校に来ていないこと以外は」何もおかしくないわけで――。自分でもよくわかりませんでした。
「でさ、来ないあいだ、何してたの?」
 好奇心からか、数名の生徒たちは自分に次々と質問をしてきます。平日の昼間は学校に来ることが当たり前であった彼らからしてみたら、当然の質問かもしれません。
「そうだな――」
 しばらく考えて自分が言ったこと。今でもはっきりと覚えています。
「人生について考えていた」
 一瞬の沈黙のあと、大爆笑が起こりました。
「人生って! 何それ!」
 人生について考えていた、というのは、実はちょっとかっこつけて言った部分はあるのですが、ああ、やっぱりこういう反応をされるんだなと思いました。
 そこまで深く人生について考えていたかどうかは別として、実際に学校に行き続けていたならば考えなかっただろうことを考えていたことは、事実です。学校に行かないでいたからこそ見えた、学校という場のおかしさ。「いじめのような身の危険を感じても、学校に行かなければいけないのか?」と考えられたことは、自分にとってはひとつの大きなきっかけでした。
 反対に、学校に行かないことで思うように勉強が進んでいないこと。授業という形で一方的にではあるけれど、学校という場ではいやでも5~6時間の勉強ができる。これは学校だからこそのよさなのではないかと考えたりもしました。
 他にも、自分が学校に行かなくなったことで起こった、親戚との関係。いちばんわかってほしい存在の親にも理解してもらえないつらさ。自分はどうすれば最善の道を通ってこれたんだろう、と考えたらキリがなくて、何の答えも出せないままでいること。
 学校に行くか行かないか。たったそれだけで、本当に様々なことがやってきて、そのつど悩み、もどかしくなり、考えていたように思います。だけに、ずっと学校が生活の中心だった彼らの対応は、納得できるものでもありました。「学校という枠から外れてみて」考えることが、恐らくないんだろうなと。日常の中に溶け込み、染み付いている、学校という枠。自分もその枠の中にいたのですから、否定も何もするつもりはありません。
 ですが、学校という枠から外れるか、そうでないかで、いい意味か悪い意味かは別として、大きな差を感じずにはいられませんでした。
体験談2018.4.11

■ 自分の将来 ■

 それならば、どこに進学するのがいいのだろうと悩んでいると、
「定時制高校とかは抵抗あるの?」
と、B所の参加者に尋ねられました。
「定時制高校?」
 高校と名前がつく限り高校なのでしょうが、頭に余計なものがついています。
「夜間高校って言ったらわかるかな。夜間じゃなくて昼間のところもあるけれど、昼間は数が少なくて倍率も高いから、自信がないなら夜間高校とかもいいかもよ?その学校を辞めた子は、結局定時制高校に行っているんだけど、その子が行っている学校は会社勤めしている年上の人もいるし、会社を定年退職して来てる人もいるし、いろんな人がいて楽しいって」
 夜間となると学校が終わると何時なんだろう?と思ったら、行く気になれませんでした。そのころは夜8時に一人で外を出歩くのも怖いぐらいでした。人目が怖いとかではなく、単に夜で怖かっただけです。
「うーん、夜かぁ。怖いしなぁ」
と言うと、
「定時制じゃなくて、通信制っていう方法もあるよ?」
と、他の子が教えてくれました。基本的に自分で勉強するのが大変だけれど、一定の課題と、たまに学校に通うのと、あとはテストがあって、基本的にこの3つをこなすことで単位を取得していく高校だと教えてもらいました。
 定時制高校でもなく専門学校でもなく、今までまったく知らなかった高校のスタイルでした。
 学校に行くことはいやではないので、あまり学校に行かないというのはどうかとも思うけど、夜に外に出る必要がなく、過度な校則にさらされることもないのなら、ひとつ手段かなと思いました。
 結局、通信制高校を選びました。はっきり言ってしまうと、「勉強ができない」自分でも入れる場所なら、という思いがあり、入ったあとでがんばる、という気持ちでした。専門学校でもない定時制高校でもない未知のシステムの学校に、父は「学校に行くことから逃げている」「そんなことで勉強したと言えるのか」と言いましたが、学校にまったく行かないわけではないことを伝えたうえで何とか通しました。
 祖父母には、「高校に行くのに勉強しなくて大丈夫か?」「いとこの○○は1日何時間も勉強して――」と何度も尋ねられましたが、合格したときには大喜びされました。自分としては流れの中で適当に決めた、とも言えるので、何でそんなに大げさに喜ばれるのだろうと、このときは不思議でした。この不思議な気持ちの正体には、後に大学進学を決めたときに、父方の親戚の態度で気づくのですが――。

 高校に入ったら、とにかく勉強がしたいということでした。高校に行けたのだから、大学に進学する目標も閉ざされたわけではありません。自分がなりたい職業への道は消えたと思っていたのに、まだ可能性が残っていました。自分がなりたいと思っていた職業は、いわゆる「頭のいい人がなる」ものだったので、これから死に物狂いで遅れた勉強を取り戻していけば、まだ自分の夢をかなえられるかもしれないぞ、という期待でいっぱいでした。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
P R
忍者カウンター
Copyright © ラヴニールブログ「未来堂」 All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]