フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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■ 放っておいてくれ・3 ■
弟はと言いますと、見た目は何事もなく過ごしているようで、どこか腫れ物に触るようにしていました。
中学の担任の家庭訪問もありました。当然そのときは部屋のドアを閉め、そして、部屋の片隅に隠れるようにしていました。30分ほど母と話していたでしょうか。担任が帰る、というときです。部屋のドアがノックされました(さすがにこのときは母でもノックして入ってきました)。
「ほら、先生がお帰りになられるんだから、顔ぐらい見せなさい」
自分としては、担任に会いたくありません。
「何をしてるの!先生がいらっしゃっているというのに顔も見せなかったんだから、先生が帰られるときぐらいお見送りしなさい!」
と、自分の腕をつかみ、強引に部屋から引っ張り出そうとします。
「お母さん、いいですよ。ご本人がいるとわかれば、それで大丈夫ですから」
担任の声は聞こえるものの、母には聞こえていたのかいないのか、腕を引っ張り続け、とうとう自分を部屋から出しました。
ただでさえ迷惑をかけている相手です。自分が学校に行ってさえいれば、この家庭訪問だってしなくてすんだはずです。また、どこかで
「この教師がもっとちゃんとしてくれたら、いじめがしっかり解決して、自分はこんなことにならずにすんだのに」
と責任を押し付ける気もちもあって、自分としては担任に顔を見せたくなかったし、会ったら会ったで恨む気持ちが強くなりそうで会いたくなかったのです。
担任が帰ってから、もちろん母に責められました。母は当然、自分が担任に会いたくなかった理由など知らないし、担任でさえ気づいていないのだから、いじめが続いていたことも知りません。
「何なのあの態度は!出てきたかと思えば、恥ずかしいじゃないの!」
そもそも自分は担任に会いたくなかったのに、強引に引っ張り出したのは母。自分の意思で出てきたわけじゃないのに、さも自分の意思で出てきたみたいに。自分は部屋に戻り、ドアを閉めようとしましたが、一瞬早く母の手が入って、ドアを開けっ放しにされました。
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全国若者・ひきこもり協同実践交流会なるものがありまして、参加してまいりました。
今回で13回目となるこの大会、会場は富山。富山大学。北陸、冬。雪はというと、道路には一切なし。お天気もよく、冬の北陸としてはバツグンのお天気でした(この大会開催翌日、荒れたようですが・・・)
初日はお昼ごろ開会。大会の最初に挨拶、基調となるシンポジウムがあり、夕方からはさっそく分科会。
そういえば今回、分科会の申し込みって1つしかしなかったけど、申し込みのときにひとつしか回答欄なかったよな?
と思っていると、どうやら、1日目夕方、そして翌2日目の午前、それから午後、分科会は3枠あったのですが、この3枠ずっと「同じテーマ」という設定らしく。
今まで参加したほかの大会では、大会日程の中で分科会枠が3回設定されているとしたら、その3回ともすべて、違うテーマでした。これはこれで、いろんなテーマが気になる人にとっては好きなのを選べることになるし、たまにはちがうテーマに顔を出してみよう、3つのうち1つはちょっと冒険してみよう、ということもできるしで好きなスタイルではあるのですが、3枠ずっと同じテーマであることで、ひとつのテーマをより深く深められ、全体会よりは分科会のほうが参加人数が分散化することで様々な方と話しやすくなるし(それが2日間も)、このスタイルもいいかも♪ と思えました。
今度何か分科会などを含むイベントがあるときには、このスタイルを提案してみよう。
他にも迷った分科会はあるのですが、私が選んだ分科会では、自分としての疑問点を共有できた点については、大いに満足がいくものでした。委託を受ける・実施することで起こるギャップ、「そもそも○○とは?」の概念、でもその意見について、否定されるのではなく、「なるほどぉ」「これならやれそうかも」などの「ああ、受け入れられてるなあ」という安心感。
分科会の空気はまさしく「居場所」でした。
う~ん、もう少しこの空気感を詳しくお話ししたいのですが、居場所をカタチにする(わかりやすく報告する)って、なかなか難しいんですよねぇ・・・。
頭をフル回転させ、メモもたくさん取ったので、体のあちこちが疲れましたが、何とも心地いい・・・、うん、経験したことはないけど、フルマラソンを走り終えたような、高い山に登頂成功したような、そんな気分でした。
メモ書きのノートを読み返す・まとめてみる作業がまだ残っていますが、普段の活動に何か活かしていけるヒントがあればなぁ、と思います。
なお、14回大会は、名古屋(愛知県?)での開催だそうですよ☆
今回で13回目となるこの大会、会場は富山。富山大学。北陸、冬。雪はというと、道路には一切なし。お天気もよく、冬の北陸としてはバツグンのお天気でした(この大会開催翌日、荒れたようですが・・・)
初日はお昼ごろ開会。大会の最初に挨拶、基調となるシンポジウムがあり、夕方からはさっそく分科会。
そういえば今回、分科会の申し込みって1つしかしなかったけど、申し込みのときにひとつしか回答欄なかったよな?
と思っていると、どうやら、1日目夕方、そして翌2日目の午前、それから午後、分科会は3枠あったのですが、この3枠ずっと「同じテーマ」という設定らしく。
今まで参加したほかの大会では、大会日程の中で分科会枠が3回設定されているとしたら、その3回ともすべて、違うテーマでした。これはこれで、いろんなテーマが気になる人にとっては好きなのを選べることになるし、たまにはちがうテーマに顔を出してみよう、3つのうち1つはちょっと冒険してみよう、ということもできるしで好きなスタイルではあるのですが、3枠ずっと同じテーマであることで、ひとつのテーマをより深く深められ、全体会よりは分科会のほうが参加人数が分散化することで様々な方と話しやすくなるし(それが2日間も)、このスタイルもいいかも♪ と思えました。
今度何か分科会などを含むイベントがあるときには、このスタイルを提案してみよう。
他にも迷った分科会はあるのですが、私が選んだ分科会では、自分としての疑問点を共有できた点については、大いに満足がいくものでした。委託を受ける・実施することで起こるギャップ、「そもそも○○とは?」の概念、でもその意見について、否定されるのではなく、「なるほどぉ」「これならやれそうかも」などの「ああ、受け入れられてるなあ」という安心感。
分科会の空気はまさしく「居場所」でした。
う~ん、もう少しこの空気感を詳しくお話ししたいのですが、居場所をカタチにする(わかりやすく報告する)って、なかなか難しいんですよねぇ・・・。
頭をフル回転させ、メモもたくさん取ったので、体のあちこちが疲れましたが、何とも心地いい・・・、うん、経験したことはないけど、フルマラソンを走り終えたような、高い山に登頂成功したような、そんな気分でした。
メモ書きのノートを読み返す・まとめてみる作業がまだ残っていますが、普段の活動に何か活かしていけるヒントがあればなぁ、と思います。
なお、14回大会は、名古屋(愛知県?)での開催だそうですよ☆
■ 放っておいてくれ・2 ■
部屋に戻ってまずしたことは、ドアを閉めて、年中出したままのストーブを、ドアの内側に置いたことでした。とりあえず一人になりたかったのです。周囲の何もかも、雑音も人も、すべて遮断したかったのです。
ところが、時間が経てば経つほど、ものすごく悲しくなってくるのです。責められる怖さと重なって、先ほどの親からの尋問する声が頭の中に響きます。
こうするしかなかったってちゃんと理由を言ったのに、どうしてわかってくれないんだよ!
みんなに迷惑をかけてるってことぐらいわかってるよ!わかってることを掘り返さなくたっていいじゃないか!
悔しく、わかってもらえなくて悲しく、傷をほじくり返された挙句に一方的に責められたのとで、涙が止まりません。部屋の真ん中で丸くなって、30分は泣いたでしょうか。
両親は、饅頭やおやきの表面しか見ていない。ふと、こんな絵が頭に浮かびました。表面から見たら丸い形状の食べ物、でも中身は実際に割ったり食べてみないとわからない。つぶあん、こしあん、野沢菜、もしかして激辛わさび、からしなんてこともあって、好きとはいっても食べられる状態じゃないかもしれない。
表面だけ見て、「これは焦げているから」「これは形が悪いから」と判断して、それがすべてだと思っているのではないか。実際の商品として売るものなら焦げていたり形が悪いのは問題かもしれませんが、それでも味に変わりはなくおいしくいただけるものもあります。でも自分としては、目に見える形などだけじゃなく、見えない中身の部分も見てほしいのです。
今両親は、「家出という他人にとっては迷惑でしかない行為をした」というフィルタで自分を見て、だから家出をしたことや、迷惑をかけたということに対して強く追及しようとしている。でも本当は、家出をした理由が何かあるのではないかということに気づいてほしくて、でもその理由は言いたくない気持ちも大事にしてほしいんだ、と。
昼を回っていたか、それとも夕方になってかは忘れましたが、祖父母が帰ってきました。玄関の開く音、閉まる音、両親と少し会話のやりとりが聞こえたのみで、すぐに自分の部屋に来ました。当時自分の部屋は、玄関からいちばん近いところにありました。
ノックもなくドアが動きました。ですが、何かに当たったとわかったのか、一気に開くことなく、少しずつストーブが押される形で開きました。
「どかしなさい!」
母に無理やりストーブを動かされ、ドア全開。実はこのやりとりは、今日のうちで何度も繰り返されていました。その理由は後述するとして、母は入り口付近に立ったまま、祖母が入ってきました。
「お父さんに迷惑をかけたらダメじゃないの。どうして家出なんかしたの」
両親の追及から逃れられたと思ったら、今度は祖母の追及が始まりました。自分は部屋の真ん中で丸くなったまま。
「ちゃんと起きなさい!それが人の話を聞く態度?」
母が無理やり体を起こそうとしましたが、
「いいわよ、大丈夫」
と、祖母は母を制止し、そのまま母は部屋を出ていきました。
祖母は丸くなったままの自分に近寄ると、肩の辺りをなでながら、わざとらしい優しさを含んだような声で話しかけてきました。
「家出をしたことで、みんなに迷惑をかけたのよ?」
おばあちゃんも結局お父さんたちの味方なんだと思ったのですが、何かちがう道が見出せるかも、と思ったのでしょう。両親に言い出すよりはすんなりと言うことができました。
「自分なんていないほうがいい」
「あら」
しばらくなでる手を動かしながら、祖母は思いついたように言いました。
「それなら、おばちゃんと暮らしたらいいじゃない」
今思うと、なんでいきなりそこに飛躍するのだろうと思うのですが、祖母の話に乗ってもいいんじゃないかと思いました。自分以外の自分を演じることに疲れ、周囲との比較に耐えられなくて、どうしたらよいかと思っている今、どういう手段を使ってでも学校に行けるようになればそれでよかったのです。親戚の家から学校に通えば、当然誰も自分の成績なんてわからないし、学校で問題を起こしたり、家出をして実は死ぬことも考えていた問題児だということも知られずにすむ。何か気持ち的に変われるのではと考えたら、まだ幾分楽だと思えました。
ところが部屋のドアが開いていたので、この話は両親にも丸聞こえでした。
「何を言ってるの?うちを出ていくことは許さないよ」
自分にとっての希望の道を閉ざされてしまい、自分は再び部屋のドアを閉め、内側にストーブを置きました。それでも構わず、母がノックもせずにドアを強引に開けました。
「こんな物まで置いてドアを開けにくくするんじゃないの。ドアを常に開けておくって約束したっでしょ!」
と、ストーブをドアを開け放したまま押さえる役割として使い、そのまま行こうとしました。それでもドアを閉めようとすると、
「言ったでしょ!開けておきなさいって。お父さんと決めたんだから」
部屋のドアを開けておくという約束なんてした覚えはありません。そしてここは自分の部屋、なのに自分には何も決定権がないのです。自分が唯一くつろげるはずの場所。自分の城。それがドアを開放状態ということは、常に誰かに見られる恐れがあるということ。常に緊張に晒される状態です。
では弟はどうだったかと言いますと、弟については開け放しておくというのは適用外でした。自分の部屋はというと、玄関を通っていちばん最初の部屋だし、トイレの向かい側でもありましたから、誰かが必ず通る場所だったのです。
あとになってみて思うと、自分は物理的にではありますが、ひきこもりたかったのです。死にたくても死にきれなくて、それならばと、自分以外の一切合財を遮断して、とにかく一人になりたかった。親の顔も、学校に行っている弟の顔も見たくなかったのです。
ところが、親がひきこもることを許してくれない。「何をしているかを常に監視できるようにドアを開け放しておく」というルールを、自分の意見なしに決め、それに刃向かってドアを閉めておいても、今度は弟の部屋から回りこみ、ベランダ伝いに窓をノックされる始末でした。そしてまたドアを開け放しておくことを強要され、一旦開けるけれど閉める、の繰り返し。
「中の様子がよくわかるから。あんたが問題を起こさないかどうか、常に監視できるから、ドアを開けておきなさい」
母が笑顔でこう言ったことを覚えています。直接言葉として言われたわけではありませんが、「お前が問題を起こさなければ(部屋のドアを開けておくという)こんな事態にはならずにすんだのにね」と言われているような気がして、ますます自分を自分で否定の方向に導いていったように覚えています。
家出したことで祖父母も巻きこみ、両親の監視の目が強まり、家にはいたくない。でも学校にも行きたくない。学校でもすでに問題を起こしているし、家出をしたことも担任に伝わっているか、いずれ伝わるでしょう。さらなる問題を起こし、自分の評価はさらに下がっていることが考えられました。
自分にはどこにも助けてもらえそうな場所などないのです。それならもう一度死ぬことを考えたほうが楽かもしれないと思うのですが、そこまでの勇気がありません。周りを巻き込んだくせにその責任も取れないし死ぬこともできないし、どうすることもできませんでした。
I-Siteなんばにて開催された、第4回おるたねカフェに参加してまいりました。
第1~3回もあったのですが、第4回に、まさかのこの方をお呼びする!? やってくれるっ! と、早い段階から申し込みをしたことを覚えています。
苫野一徳さんと、吉田敦彦さんの対談があるとなっては、こりゃ、行かなきゃ!
苫野さんが著書の中で述べていることは、私の頭の中で、「そうそう!」と、ストンと落ちるものが多く、ことあるごとに引用できるようにと付箋を貼って印をつけているのですが、今回、講演のときには、2つの著書を持参。
最終的にサインをしてもらう、とかは考えていませんでしたが、この2冊の本は、私に常に、「何のために勉強をするのか」という指針を与えてくれています。
だから今回も、「自分自身が考えている学びについて、さらに深めたり改めて疑問に感じるところが得られたら」という気もちで参加。他、質問の機会があれば、今苫野さんが設立準備に携わっている「軽井沢風越学園」について、なぜ軽井沢の地で? などたずねることができたら、と。
結論を先に言うと、風越学園をなぜ軽井沢に?との疑問は講演の中で答えていたので、直接質問の機会はなかったけれど、おおむね著書にあることを話していたなぁという印象。
哲学というと、えっ、思いきり難しそうやん・・・、となりそうだけど、正しい答えというのはなく、「誰もが納得できる答えにどれだけ近づけるか」。その意味で、私は、苫野さんの勉強に対する考え方として「<自由>になるため」(苫野 2014a)には、ものすごく納得できるし、講演中に、何度も「<自由の相互承認>の感度を育む」(苫野 2014b)と言っていたことが、印象的でした。
物事の考え方においても、「一般化のワナ」「問い方のマジック」(いずれも、苫野 2014a)といった、著書で見かけた言葉が出てきたり、上記の「自由の相互承認の感度を育む」についても、あっ、これも読んだ記憶があるぞ? と、わくわくしながらの講演でした。
私なりに、なぜ勉強するのかと問われたら、苫野さんの「<自由>になるため」に、個人的な経験を補足をして、「様々な知識をもっていたら、あれやこれと結びつけて多方面から考えることができるし、いろんな人と交流もできるだろうし、これって、固定的な考え方じゃなくて、もっと自由に広く考えられるってことでしょ?」と、答えるかな。
さて、皆さんは、なぜ勉強をしますか?
そして、なんで勉強しなきゃいけないのかと問われたら、どう答えますか?
引用文献:
苫野一徳 2014 「勉強するのは何のため?」日本評論社 p.15-36、p.73-75
苫野一徳 2014 「教育の力」 講談社現代新書 p.54
第1~3回もあったのですが、第4回に、まさかのこの方をお呼びする!? やってくれるっ! と、早い段階から申し込みをしたことを覚えています。
苫野一徳さんと、吉田敦彦さんの対談があるとなっては、こりゃ、行かなきゃ!
苫野さんが著書の中で述べていることは、私の頭の中で、「そうそう!」と、ストンと落ちるものが多く、ことあるごとに引用できるようにと付箋を貼って印をつけているのですが、今回、講演のときには、2つの著書を持参。
最終的にサインをしてもらう、とかは考えていませんでしたが、この2冊の本は、私に常に、「何のために勉強をするのか」という指針を与えてくれています。
だから今回も、「自分自身が考えている学びについて、さらに深めたり改めて疑問に感じるところが得られたら」という気もちで参加。他、質問の機会があれば、今苫野さんが設立準備に携わっている「軽井沢風越学園」について、なぜ軽井沢の地で? などたずねることができたら、と。
結論を先に言うと、風越学園をなぜ軽井沢に?との疑問は講演の中で答えていたので、直接質問の機会はなかったけれど、おおむね著書にあることを話していたなぁという印象。
哲学というと、えっ、思いきり難しそうやん・・・、となりそうだけど、正しい答えというのはなく、「誰もが納得できる答えにどれだけ近づけるか」。その意味で、私は、苫野さんの勉強に対する考え方として「<自由>になるため」(苫野 2014a)には、ものすごく納得できるし、講演中に、何度も「<自由の相互承認>の感度を育む」(苫野 2014b)と言っていたことが、印象的でした。
物事の考え方においても、「一般化のワナ」「問い方のマジック」(いずれも、苫野 2014a)といった、著書で見かけた言葉が出てきたり、上記の「自由の相互承認の感度を育む」についても、あっ、これも読んだ記憶があるぞ? と、わくわくしながらの講演でした。
私なりに、なぜ勉強するのかと問われたら、苫野さんの「<自由>になるため」に、個人的な経験を補足をして、「様々な知識をもっていたら、あれやこれと結びつけて多方面から考えることができるし、いろんな人と交流もできるだろうし、これって、固定的な考え方じゃなくて、もっと自由に広く考えられるってことでしょ?」と、答えるかな。
さて、皆さんは、なぜ勉強をしますか?
そして、なんで勉強しなきゃいけないのかと問われたら、どう答えますか?
引用文献:
苫野一徳 2014 「勉強するのは何のため?」日本評論社 p.15-36、p.73-75
苫野一徳 2014 「教育の力」 講談社現代新書 p.54
■ 放っておいてくれ・1 ■
途中で、父に見つかってしまいました。
帰ると早速、問い詰めが待っていました。弟はちょうど入れちがいぐらいで小学校に行ったあとでした。
「なんで家出なんかしたのか、言いなさい」
黙っていました。しかしこのまま黙秘させてくれそうにもありません。
「言いなさいって言っているでしょ」
自分としては、机の上にメモを残していたはずです。「こうするしかなかった」と。
「――こうするしか、なかった」
目を合わせるのが怖くて、下を向いて言ったように覚えています。
「ちゃんとこっちを見ろ!人の顔も見れんのか!」
父に怒鳴られたって、見たくても見れません。
「『こうするしかなかった』じゃないでしょ!それじゃ理由がわからない」
そう母に言われたって、こっちだって何がなんだかよくわかっていないのです。死ぬことが頭をよぎったとは言い出せませんでした。他の理由も思い当たらなかったし、思い当たったところでつくったウソになる。そのウソを、自分の地位や名誉を守るために使ったとしても、どうせ自分の意見は親の都合のいいように解釈され、捻じ曲げられるんじゃないかという不安。そして結局、自分が悪かったことになる。
自分として悪かったとわかってはいるのに、改めてこうして「自分が悪かった」と強制的に認めさせられることで、さらに自分を追い詰める気持ちが膨らんだようにも思います。誰かが自分のことをわかってくれるんじゃないかという淡い期待が、家に連れ戻されたことで、この時点では消えていました。
そのとき電話が鳴りました。親のどちらかが離れるわけだし、追及の怒声は電話越しに聞こえてしまうだろうということから、ここで一旦止まりました。つかの間の安心でした。
母が出て、すぐ父にかわりました。父の話し方からして、数日前から出かけていて不在だった祖父母だとわかりました(父は、祖父母と話すときには、明らかに口調が変わるのです)。
父が受話器を置いて席に戻ると、尋問が再開されました。
「今電話で、おばあちゃんが帰ってくるって言っている」
「帰ってくるの明日じゃなかった?」
さすがに母もびっくりした様子ではありました。父はそれに取り合わず、
「それも、本当は今日も夜まで用事が入っているけど、それを途中までにして帰ってくるって言っている。――お前は、これがどういうことかわかっているのか?」
その前に、祖母に伝わっていたことに驚きました。自分が家出をしたのは今朝。連れ戻されてから今まで、そんなに時間は経っていないのに(あとでわかったことですが、自分がいないとわかってすぐに、祖父母が宿泊していた親戚の家に連絡をしていたようです)。
自分として何も言えず、黙っていました。黙ってはいたけれど、両親が反省の言葉を言わせたいことは気づいていました。
「わかってるか、って聞いてるでしょ?お父さんだって今日、あんたのために会社休んで」
お前のしたことは、周りのみんなを巻き込んで迷惑をかけているんだぞ?それをわかっているのか?と言いたかったのでしょう。自分としても迷惑をかけたということはわかっています。それでも今、答えることができないのです。自分として他人に迷惑をかけるとわかっていても、それでも、まずは家を出ることしか考えられなかったのです。繰り返しになりますが、こうするしかなかったのです。ですが、自分なりに出した唯一の答えはすでに親に否定されてしまっているため、同じことを繰り返せません。
どのぐらい尋問が続いたかは時計を見ていないので覚えていませんが、やっと解放されました。解放されたというより、これ以上何も言わない自分に対して、親もあきらめた様子でした。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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