フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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昨日、
振り返りのときに、「できなかったことは?」と、ここで「~ない(なかった)」という言葉が登場するのだけど、そのときも、「あ~、できなかったぁ!」「できない自分はダメだなぁ」ではなく、「やりたいという気もちがあって、目標を立てたということ」「やりたいという気もちがあったから、達成まではいかなかったけれど、取り組んだということ」。そこまでやろうと(取り組もうと)したことは、十分肯定できると思うんです。
と書いたんですが、これについて。
過去の自分への自己弁護になってしまいますが。
なんとしてでも学校に行けるようにならなきゃ、と思っていた私は、テストのときだけ行けた時期がありました。成績がないとその後進学ができないんじゃないかと思ってのことでした。合計すると、たった7日。このたった7日が、周囲の目は気になるわ、別室受験はできたのだけど保健室という場所がらいろんな生徒が出入りするわ、担任とのやりとりでいろいろあったわ、で、とにかくしんどかったなぁ、と思い出すできごとのひとつです。
そのときに私がよく口にしていたのは、「よくわからないけれど、怖い」。
当時は何かひとつに理由を求めていましたが、今は私が学校に行かなくなった理由は、いくつものものが複合していたんだろうな、と考えています。もしかしたら、当時の私は理由を自分以外に求めたくて(学校に行けないことをとても悪いことだと思っていたので、自分は悪くないと思いたくて)、でも本当はそれひとつだけが理由ではなくて、その乖離に自分では気づいていなくて、結果の「よくわからないけれど」だったのかもしれない、と、今では考えています。
(あ、こんな分析をしたの、今ここが初めてです)
ただ、この「よくわからないけれど、こわい」という気もちを吐き出しても、
「怖いって思うから怖いんだよ。やってみたらたいしたことないんじゃない?」
「怖い怖いって、やりもしないのに立派な言い訳するな」
と、笑いながら返ってくることがほとんど。
そのたびに、「怖いって言ってるじゃん・・・」と、私の気もちを吐き出しているのに、わかってほしいのに! と思っていました。
確かに、やってみたら大したことなかったのかもしれません。ただもうひとつ言うと、この時点での私は、学校に行けるようになるために、ひとつできたら「じゃあ次」、それもできたら「じゃあ次」と、ひとつひとつができるようになるまでにものすごくエネルギーを使っているのに、次から次へとここまでのがんばり・しんどさを誰にも受け止めてもらえずにいました。それにしんどさを感じながらも、テストを受けに行って、周囲の視線に気をつかい、もう限界でした。
それを、たぶん「怖い」という言葉に乗せて・・・、いたんだと思います。
気もちを表現するには足りない言葉だなと思います。が、当時の私は、「ここまでこんなにがんばっているのに。今以上がんばらないといけないってこと?」と悲しくなったことを覚えています。
そこまでどれだけがんばったか。自分で思うのと人が判断するのとは、だいぶ変わると思います。他人から見てがんばりが足りないなと思えることでも、その人にとっては相当ながんばりを要することなのかもしれないな、って。
記録の中に、そういったがんばりも記録していくことで、自分ってこれだけがんばってるじゃん! って、自分で自分を受け入れていく。自分で自分にOKと言う。ここを、大事にしていきたいな、って思います。
振り返りのときに、「できなかったことは?」と、ここで「~ない(なかった)」という言葉が登場するのだけど、そのときも、「あ~、できなかったぁ!」「できない自分はダメだなぁ」ではなく、「やりたいという気もちがあって、目標を立てたということ」「やりたいという気もちがあったから、達成まではいかなかったけれど、取り組んだということ」。そこまでやろうと(取り組もうと)したことは、十分肯定できると思うんです。
と書いたんですが、これについて。
過去の自分への自己弁護になってしまいますが。
なんとしてでも学校に行けるようにならなきゃ、と思っていた私は、テストのときだけ行けた時期がありました。成績がないとその後進学ができないんじゃないかと思ってのことでした。合計すると、たった7日。このたった7日が、周囲の目は気になるわ、別室受験はできたのだけど保健室という場所がらいろんな生徒が出入りするわ、担任とのやりとりでいろいろあったわ、で、とにかくしんどかったなぁ、と思い出すできごとのひとつです。
そのときに私がよく口にしていたのは、「よくわからないけれど、怖い」。
当時は何かひとつに理由を求めていましたが、今は私が学校に行かなくなった理由は、いくつものものが複合していたんだろうな、と考えています。もしかしたら、当時の私は理由を自分以外に求めたくて(学校に行けないことをとても悪いことだと思っていたので、自分は悪くないと思いたくて)、でも本当はそれひとつだけが理由ではなくて、その乖離に自分では気づいていなくて、結果の「よくわからないけれど」だったのかもしれない、と、今では考えています。
(あ、こんな分析をしたの、今ここが初めてです)
ただ、この「よくわからないけれど、こわい」という気もちを吐き出しても、
「怖いって思うから怖いんだよ。やってみたらたいしたことないんじゃない?」
「怖い怖いって、やりもしないのに立派な言い訳するな」
と、笑いながら返ってくることがほとんど。
そのたびに、「怖いって言ってるじゃん・・・」と、私の気もちを吐き出しているのに、わかってほしいのに! と思っていました。
確かに、やってみたら大したことなかったのかもしれません。ただもうひとつ言うと、この時点での私は、学校に行けるようになるために、ひとつできたら「じゃあ次」、それもできたら「じゃあ次」と、ひとつひとつができるようになるまでにものすごくエネルギーを使っているのに、次から次へとここまでのがんばり・しんどさを誰にも受け止めてもらえずにいました。それにしんどさを感じながらも、テストを受けに行って、周囲の視線に気をつかい、もう限界でした。
それを、たぶん「怖い」という言葉に乗せて・・・、いたんだと思います。
気もちを表現するには足りない言葉だなと思います。が、当時の私は、「ここまでこんなにがんばっているのに。今以上がんばらないといけないってこと?」と悲しくなったことを覚えています。
そこまでどれだけがんばったか。自分で思うのと人が判断するのとは、だいぶ変わると思います。他人から見てがんばりが足りないなと思えることでも、その人にとっては相当ながんばりを要することなのかもしれないな、って。
記録の中に、そういったがんばりも記録していくことで、自分ってこれだけがんばってるじゃん! って、自分で自分を受け入れていく。自分で自分にOKと言う。ここを、大事にしていきたいな、って思います。
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プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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