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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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冬の寒いときならば、ぶらぶら30分ぐらいなら平気で歩きます! 今川です。
ラヴニールがある昭和町から阿倍野・天王寺は、余裕中の余裕です♪ 

そんなこともあり、「ちょっと余裕のあるヒマなとき」は、子連れでぶらぶらお散歩をしていたりもしますが、今日は、ラヴニールがある昭和町界隈のミリョクを、お伝えできたらなと思います。

と言っても、ラヴニールが昭和町に移転して、まだ10ヶ月弱。語るには日数的にぜ~んぜん足りてないことは、わかっております。
が、にわかファンだとしても、この町、とてもおもしろい。

北は地下鉄谷町線「文の里」から、東はJR阪和線「南田辺」(東にあるけど「南田辺」です)、西は阪堺線「東天下茶屋」、ラヴニール最寄り駅ではないけれど、地下鉄御堂筋線西田辺(南にあるけど(以下略))。このエリアには、本当におもしろいスポットが集まっているんです。

ええいっ、にわかファンだっていいじゃんっ! にわかファンなりにアピール!



■ 新しい建物と古い家屋が混在しているところ

「昭和町」という町の名前は、その名のとおり、「昭和」が大きく関係しています。
調べたところによると、昭和一桁のころに区画整理が終了して、記念に年号からとってつけられたから、なのだとか。

参照:
http://www.city.osaka.lg.jp/abeno/page/0000001309.html


「昭和の初めにできた、当時のニュータウン」という感じなのでしょうか(^^

なので、ラヴニールのあるあたりは、古い建物も多くあり、古かった建物を新しく建て直した建物もあり、古かった建物を活かしているところもあり、本当におもしろい町です。

たとえば。ラヴニールからのご案内「南田辺編」にある、こんな長屋だったり。

2017.2.16JR_5

この長屋から5分ほど歩いたら、真下を地下鉄御堂筋線が通っている道路「あびこ筋」に出ます。
地下鉄御堂筋線というと、大阪では、ビジネス街も通るし、繁華街も通るし、北は千里、南は堺といった郊外(ベッドタウン)を結ぶ、個人的には「大動脈」的な感のある線なのですが、そんな線から近いとは思えないでしょ? 


■ 「町をあげて」のイベントを開催しているところ

いや、どの町も本当はやっているのかもしれないけれど、昭和町界隈は、そういったイベントを、割とにぎやかにやっているなと思います。

「昭和の日」、4月29日には、「どっぷり昭和町」、
そしてついこの前は、南田辺駅からすぐにある、長池公園で「昭和のまちのバイローカル

というのをやっていました。

そういえば、ラヴニール近くにも、ちっちゃくてかわいらしい、カフェと雑貨のお店があるなぁ・・・。


■ 大きな公園が近いところ

歩いて10分もかからないぐらいのところには桃が池公園が、もうちょっと時間をかけてもいいなら、上記にも登場した長池公園があります。
ボールを持って遊べるような広場があるので(どちらの公園にも)、そして最近よくある「キャッチボール禁止」との看板も見かけないので(・・・なかった気がする)、とても遊びやすい公園ではないでしょうか♪



他、人の流れもとても多い = 行き来が活発 な感じがします。
探したらおもしろいことをやってる人が、こんなに近くにいるんだ! と見つけるのが楽しいです。

って、それは、ぶらぶら歩きが好きな私だからか?

今度いつか、ラヴニールでも町ぶら、してみます?
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体験談2017.11.22

■ 自分が悪いことはわかっているけれど ■

 ある日の朝、何も持たずに家を出ました。とりあえず外に出て、どこかに行こう。どこか高いビルがいいな。もし高いところから飛び降りたら、飛んでいる間は楽しいかもしれない。下に落ちた瞬間は痛いかもしれないけど、そんなのきっとすぐにわかんなくなるだろうな。
 そんなことを考えながら、歩いていたように思います。
 今自分に起こっていることは、すべて自分が努力すれば解消することじゃないか、もっとがんばればいいだけじゃないか、と思うと、今の自分はただ目の前の困難から逃げているだけ、自分はただの弱虫だ、と思えてきました。
 でも、これ以上どうしたらいいの?何かいい方法があるの?教えてよと自問自答すると、返ってくるのはいつも、「そんなこと言ってるぐらいなら努力すりゃいいじゃん」。その努力がこれ以上無理なのに、自分で出す答えも「努力」なのです。
 逃げることは弱いこと、悪いことだと思っても、もうどうすることもできませんでした。

 後で振り返ってみて、ここでなぜ死を選びきれなかったんだろうと考えることがあります。
 ものすごく単純な理由なのですが、自分なんていないほうがいいと思うくせに、家族を悲しませたくなかったのです。悲しませたくなかったけど今の状況からは逃れたい。その結果、ただひたすらふらふらと、どこかを歩くだけになっていました。家族は悲しむかもしれないけれど、どこかで生きているという希望は残るから、と。
 まだどこかで何とかなるかもしれないという希望を、家族(特に母)に対して抱いていたからこそ、死を選びきれなかったのではないかと、今では思います。
体験談2017.11.15

■ いじめも続いていた ■
 
 実はいじめもあのまま続いていて、今度は無理に明るく振舞ったがために、相手に退かれ、その明るさが、おかしいと認定される状態となっていました。しかし連休明けの件があるため、クラスメイトも自分とそれなりに付き合っている雰囲気を出していましたし、自分もこれ以上問題を起こすわけにはいかないと、溶け込んでいるふりをしていたためか、いじめが続いていたことは、どうやら担任は気づいていないようでした。ずっと軽微なままで推移していたのも、わかりにくかった理由にあると思います。

 学校で本当の自分を出すことができず、苦労していました。しゃべらないでいればいじめられる、ではその逆にすれば解決かというと、またいじめられる。自分として両極端な二択しかないことに意見を言われるのは承知で言いますが、どっちにしてもいじめられるのなら、自分はどうすればいいのだろうと、わけがわからなくなってきました。素の自分でいられないことがつらくて、常に誰か別の人間を生きているような、何かを演じているような気持ちでした。
 学校でも何かを演じ、家でも「よい子」を演じなければいけない。本当の自分はいったいどこに行ってしまったのか。いや、本当の自分でいてはいけないんだ。なら、やっぱり自分はいないほうがいいんじゃないかという結論になっていました。
プルタブをたくさん持ってきてくれた子がいて、いつも入れていたビンには入りきらず、箱にうつしかえました。
それでも、見よ! このあふれそうな勢いでいっぱいのプルタブ!

プルタブ2017.11.10

ラヴニールで集めたプルタブは、ある程度の量(今回は、ビンいっぱい・・・、が、あふれるぐらいたくさんになって、予定変更、この箱いっぱい)になったら、フリースクールFor Lifeさんにお渡ししています。

http://fsforlife.sakura.ne.jp/puru510kg.html

近いうちに、スタッフさんにお渡しする予定です☆
少し荷物になってしまいますが、よろしくお願いしま~す。
体験談2017.11.8

■ どうせ自分なんて ■

 学校を休んだ初日は途中までは行ったんですが、途中で足が動かなくなり、すぐに家に引き返しました。家に引き返すことを決めると、不思議なことに自然と足は動くのです。
 当然母に責められます。担任にも、すぐに連絡がいきました。
「もうすぐ実力テストがあるから、それは受けると約束してくれる?」
 電話越しに話した担任との約束を守りましたが、解答用紙に空白があることが自分として許せず、感触として1学期の期末テストよりも悪いなとわかりました。

 このままじゃ高校に行けない。高校に行けないのだから大学にも行けない。
 どうして高校にこだわっていたのかと言うと、大学に行きたかったからです。ではどうして大学に行きたいとこだわっていたのかと言うと、その当時あこがれていた職に就く夢をかなえるためには、大学に行ってそれ相応の試験に合格しないとなれなかったからです。
 自分が大学に行けなくなるかもしれない恐れよりも前に、母の顔が浮かんできました。また成績が悪かったとわかった母からは、何を言われるか想像がついていました。いい成績を取らなければどうなるか、責められると。
 あとでハッタリだとわかったときには、よくもこんなウソをついてくれたなと思ったものですが、では、母がなぜこのハッタリを堂々と言えたかと言いますと、「情報が少なかったこと」と、もうひとつ「自らが通ってきた道」だったからです。母が言うのは自分が実際に受験したときの方法・地域の状況でした。祖父母に対して「おじいちゃんやおばあちゃんの世代とは、またちがうから」と言っていたのと同じことを、自分自身もしていたのです。新しい情報がない中で優先される事項が、母自らの経験のみになってしまっていたのです。
 ところが当時の自分は、へえ、そういうふうになっているのか、と思うしかありませんでした。あまりに母が自信満々に理由まで添えて言い、自分としても否定し覆せる要素を持ちえていなかったので、母が言うことを信じるしかなかったのです。将来の夢で考えた場合でも、商業、工業などの高校ではなく普通高校に通いたい。なぜなら自分が就きたい職業は、商業や工業に詳しければなれるものではなく、いわゆる頭のいい人がなるものだから。そのためには、それなりの水準にある高校に通わないと大学には行けない。それなりの水準にある高校に行くためには、トップの成績を取らなければいけない――。

 自分の夢が崩れそうな不安と同時に、このままでは自分は母に見放されると思いました。どれだけ自分なりにがんばっても、
「今までがんばったって言うのなら、次はその倍、さらに倍とがんばりなさい。他の子はもっとがんばっているんだよ?」
の言葉で一掃されることが予想され、自分なりの努力以上の努力をしなければいけないことに、疲れを感じました。どれだけ勉強ができたとしても、いつまでたっても母からほめてもらえる、認めてもらえることはないんじゃないかと感じ始め、いつまでも批判の目に晒され息苦しくて仕方のない家は、自分にとっていやな場所でしかありませんでした。
 同時に、親の理想にこたえられない自分、思うとおりに結果を出せない自分、将来が見通せない自分――。こんな自分なんか、いないほうがマシなのではないかと思い始めました。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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