フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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・Comments other than Japanese.
・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
2019年ももう、12月。あっという間でしたでしょうか。それとも、ゆったりと過ぎたでしょうか。
関西では街中の木々も色づき、落ち葉のカサカサッという音が心地よい季節になりました。
乾燥と胃腸炎とインフルエンザに注意の必要な季節でもありますね。
ラヴニールの活動日については、ホームページにあります「月の予定」からご覧いただくことができます。不定休につき、お越しいただいてもお休みだった・・・、を避けるため、事前に活動予定をご確認のうえで、お問い合わせくださいますようよろしくお願いいたします。
(突然のご訪問の場合、資料が欠けているなどの可能性もありますので、できるだけ事前に、遅くとも当日午前中までにご連絡いただきますよう、何とぞご協力をお願いいたします。
画像は・・・。これの季節ですね☆ 何を作るんだろう??
関西では街中の木々も色づき、落ち葉のカサカサッという音が心地よい季節になりました。
乾燥と胃腸炎とインフルエンザに注意の必要な季節でもありますね。
ラヴニールの活動日については、ホームページにあります「月の予定」からご覧いただくことができます。不定休につき、お越しいただいてもお休みだった・・・、を避けるため、事前に活動予定をご確認のうえで、お問い合わせくださいますようよろしくお願いいたします。
(突然のご訪問の場合、資料が欠けているなどの可能性もありますので、できるだけ事前に、遅くとも当日午前中までにご連絡いただきますよう、何とぞご協力をお願いいたします。
画像は・・・。これの季節ですね☆ 何を作るんだろう??
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同じタイトルで、前回は「あれ? 学校の『ここがヘンだよ』だったじゃん・・・」で終わってしまいました。
何度も言いますが、私は決して学校が嫌いなわけじゃありません。
学校には学校のいいところがあるし、そうでないところだってもちろんあるし・・・。それは人だって同じですよね。人によっても相性のよしあしがあるなら、場所も、相性のよしあしがあるはず・・・。なので、「学校に行かなかった経験を有する人間全員が、学校が嫌いだ」と思ってほしくなくて・・・、今回はちゃんと、学校の「ここはいい」「こんなところが好き」と思う部分にしました。
時間がしっかり区切られているところ
私の場合、時間がしっかり決まっていると、メリハリが生まれます。
平日10時にラヴニールをあけるためには、いつまでに○○をして、○○をしながら××ができるし・・・、と考えて、10時に間に合うよう、準備を工夫しています(つもりです)。
ところが、これがお休みの日となると、「10時までに」という制限がないからか、家事もだらだら、そろそろ寒くなってきて洗濯物が乾かなくて困るのに、干し始めるのはお昼や夕方・・・。だらけてしまいます。
そんな私だったので、「○時までに登校」「○時間目は××」「○分休憩」などと1日のスケジュールが決まっていることが、とてもありがたかったです。時間によってすることが決まっていたので、流されてしまえばいいのが、私にとってはラクでした。
勉強についても、時間によってする教科は決まっていたし、自分でだけなら「あ~、そろそろ○○始めないとな~」と、結局やらずにいつまでもズルズルとしがちなところを、勉強するという時間枠が「与えられること」で、必然と気もちは勉強に向く・・・。これがとてもよかったです。
「時間が決まっていたり、みんなと同じことをすることが苦痛だった」という声が、学校に行かなかった経験のある人のシンポジウムなどだと聞かれることがありますが、「決まっている・みんなで同じことをするのが苦痛」という人もいれば、私みたいに「それはそれ」という人もいるんです。
学校に行かなかったからって学校が嫌いというわけじゃないし、みんな同じ理由じゃないんですよ~、と言いたくて。
なので私は、そしてラヴニールは、「学校に行けるようになりたい」という気もちがあるのならば、それは否定しません。何をどう感じるかは、その人それぞれですもん♪
何度も言いますが、私は決して学校が嫌いなわけじゃありません。
学校には学校のいいところがあるし、そうでないところだってもちろんあるし・・・。それは人だって同じですよね。人によっても相性のよしあしがあるなら、場所も、相性のよしあしがあるはず・・・。なので、「学校に行かなかった経験を有する人間全員が、学校が嫌いだ」と思ってほしくなくて・・・、今回はちゃんと、学校の「ここはいい」「こんなところが好き」と思う部分にしました。
時間がしっかり区切られているところ
私の場合、時間がしっかり決まっていると、メリハリが生まれます。
平日10時にラヴニールをあけるためには、いつまでに○○をして、○○をしながら××ができるし・・・、と考えて、10時に間に合うよう、準備を工夫しています(つもりです)。
ところが、これがお休みの日となると、「10時までに」という制限がないからか、家事もだらだら、そろそろ寒くなってきて洗濯物が乾かなくて困るのに、干し始めるのはお昼や夕方・・・。だらけてしまいます。
そんな私だったので、「○時までに登校」「○時間目は××」「○分休憩」などと1日のスケジュールが決まっていることが、とてもありがたかったです。時間によってすることが決まっていたので、流されてしまえばいいのが、私にとってはラクでした。
勉強についても、時間によってする教科は決まっていたし、自分でだけなら「あ~、そろそろ○○始めないとな~」と、結局やらずにいつまでもズルズルとしがちなところを、勉強するという時間枠が「与えられること」で、必然と気もちは勉強に向く・・・。これがとてもよかったです。
「時間が決まっていたり、みんなと同じことをすることが苦痛だった」という声が、学校に行かなかった経験のある人のシンポジウムなどだと聞かれることがありますが、「決まっている・みんなで同じことをするのが苦痛」という人もいれば、私みたいに「それはそれ」という人もいるんです。
学校に行かなかったからって学校が嫌いというわけじゃないし、みんな同じ理由じゃないんですよ~、と言いたくて。
なので私は、そしてラヴニールは、「学校に行けるようになりたい」という気もちがあるのならば、それは否定しません。何をどう感じるかは、その人それぞれですもん♪
フリースクールに対する誤解として、たまに耳にするのが、「つまりは学校なんて行くなって言いたいわけでしょ?」というものですが、ちがいます。
あくまで、フリースクール「ラヴニール」は、ということにはなりますが、学校がいいなとか、どうしてもまた学校に行けるようになりたいなという気もちは、否定はしません。あくまで「その人がどうしたいか」なので。
・・・ということは、常々言っているつもりではあるのですが、今朝、某SNSにて見かけた、こんな投稿(どのSNSか、どなたの投稿かわからないよう、携帯でスクリーンショット撮影したものを加工しています)。
(とりあえずここでは、先生の働き方については不問とします)
この投稿を見て思ったのは、「あ、たしかに!」。
今はどうかわかりませんが、床のワックスがけを、私が子どものころは「児童生徒が」「掃除の時間に」やっていました。
掃除の時間・・・、学期末などにある大掃除のときではなく、通常の掃除の時間内に。
1日の時間割の中で、掃除の時間はだいたい15分ぐらい。そのあいだに、
・机を一方(たいてい前か後ろ)に寄せておく
・あいたスペースの掃き掃除、終われば雑巾がけ
★
・机を、掃除の終わったもう一方に寄せる
・あいたスペースの掃き掃除、終われば雑巾がけ
★
・机を元の位置に戻す
私が「児童」だったころは、この後、さらに反省会という名の晒しあい。
誰がふざけていただの、まだゴミがこんなに残ってるだの。
今思い返せばひどい時間だったなぁと思うのですが、これがまだ15分の中だったので、何とかやり過ごせていたのかもしれません。
ところが、ワックスがけとなると、途端に苦痛に。
★の部分に、「ワックスがけ」の作業が加わると、当時はどう考えも15分のうちに終わらない。
「雑巾がけをしっかりやらないと、ワックスが上塗りされてホコリが閉じ込められるから」
という理由のもと、いつもよりも慎重に掃き掃除、念入りな雑巾がけ。さらにはワックスを塗ったあと乾くまでは何もできない(まだ乾ききらないワックスに踏み入ったら、靴あとが残るため)。
これだけで、優に15分。いや、15分でも早いほうだったかも。
そして、今度は後半部分。時間は5時間目に食い込む。
そして終われば言われる、「もっとテキパキとやる! ほら、お前らのせいで、授業時間がなくなった」
これが「日ごろお世話になっている教室や校舎を掃除することで、学校に対する感謝の気もちや愛情をもつ」という名のもとに行われていた、清掃の実態(カッコ内は、あくまで当時の担任が言っていたこと)。
一生懸命やったって15分では無理なことを、それでも何とか時間内にやろうとしているのに、結果がんばってできなくて「お前らのせい」にされて、愛情がわくかっての。
かと思えば、ある別の担任。
「みんなワックスがけとかイヤでしょ? いいよ、あとで自分(担任)でやっておくから」
と、通常の掃除で終わらせたことがあった。その後本当にワックスがけを自分だけでやったのかはわからずじまいだけど、「えっ、先生、決められたことなのにしなくていいの??」って思った。
ひとりでやるったって、掃き掃除をし(放課後なら、幾分ゴミは少ないかもしれないけれど)、拭き掃除をし、ワックスを塗って乾くのを待ち、机を移動して後半・・・、先生、できる? と不安にもなった。
そこで、先述の投稿。たしかに! 何も学校だけで・学校の先生がすべてやらなきゃいけないわけじゃないのに!
この投稿の中にもあるように、エアコンの点検修理は業者に任せるし、たとえば校舎にヒビが入っていたら、やっぱり業者に任せるでしょ? じゃあ、床のワックスがけだって業者に任せたほうが、きっときれいにやってくれるじゃん。
学校がすべて担わなきゃいけないわけじゃないんだから、これは他に任せてもいいやってものは、どんどん他に頼めばいいんだ。
そうして、「学校でできること」「学校でしたほうがいいこと」「学校以外でもできること」って振り分けてみたら、学校の先生の負担や忙しさが(ほんの少しかもだけど)少し軽減されるかな、って思ったんだけど・・・
でも不思議だな。
そうやって学校以外でもできることが、学校の中に入った途端、「教育」っていう名前に変わっちゃうんだから・・・。
あれ? もう一度言いますが、私、決して学校のことが嫌いなわけじゃありません!
学校のほうがいいことだってあるし、そうでないこともあるかもしれないし、これはあくまで自分の思い出から思ったことであって・・・
次は学校の「いい思い出」をつづれたら・・・。
あくまで、フリースクール「ラヴニール」は、ということにはなりますが、学校がいいなとか、どうしてもまた学校に行けるようになりたいなという気もちは、否定はしません。あくまで「その人がどうしたいか」なので。
・・・ということは、常々言っているつもりではあるのですが、今朝、某SNSにて見かけた、こんな投稿(どのSNSか、どなたの投稿かわからないよう、携帯でスクリーンショット撮影したものを加工しています)。
(とりあえずここでは、先生の働き方については不問とします)
この投稿を見て思ったのは、「あ、たしかに!」。
今はどうかわかりませんが、床のワックスがけを、私が子どものころは「児童生徒が」「掃除の時間に」やっていました。
掃除の時間・・・、学期末などにある大掃除のときではなく、通常の掃除の時間内に。
1日の時間割の中で、掃除の時間はだいたい15分ぐらい。そのあいだに、
・机を一方(たいてい前か後ろ)に寄せておく
・あいたスペースの掃き掃除、終われば雑巾がけ
★
・机を、掃除の終わったもう一方に寄せる
・あいたスペースの掃き掃除、終われば雑巾がけ
★
・机を元の位置に戻す
私が「児童」だったころは、この後、さらに反省会という名の晒しあい。
誰がふざけていただの、まだゴミがこんなに残ってるだの。
今思い返せばひどい時間だったなぁと思うのですが、これがまだ15分の中だったので、何とかやり過ごせていたのかもしれません。
ところが、ワックスがけとなると、途端に苦痛に。
★の部分に、「ワックスがけ」の作業が加わると、当時はどう考えも15分のうちに終わらない。
「雑巾がけをしっかりやらないと、ワックスが上塗りされてホコリが閉じ込められるから」
という理由のもと、いつもよりも慎重に掃き掃除、念入りな雑巾がけ。さらにはワックスを塗ったあと乾くまでは何もできない(まだ乾ききらないワックスに踏み入ったら、靴あとが残るため)。
これだけで、優に15分。いや、15分でも早いほうだったかも。
そして、今度は後半部分。時間は5時間目に食い込む。
そして終われば言われる、「もっとテキパキとやる! ほら、お前らのせいで、授業時間がなくなった」
これが「日ごろお世話になっている教室や校舎を掃除することで、学校に対する感謝の気もちや愛情をもつ」という名のもとに行われていた、清掃の実態(カッコ内は、あくまで当時の担任が言っていたこと)。
一生懸命やったって15分では無理なことを、それでも何とか時間内にやろうとしているのに、結果がんばってできなくて「お前らのせい」にされて、愛情がわくかっての。
かと思えば、ある別の担任。
「みんなワックスがけとかイヤでしょ? いいよ、あとで自分(担任)でやっておくから」
と、通常の掃除で終わらせたことがあった。その後本当にワックスがけを自分だけでやったのかはわからずじまいだけど、「えっ、先生、決められたことなのにしなくていいの??」って思った。
ひとりでやるったって、掃き掃除をし(放課後なら、幾分ゴミは少ないかもしれないけれど)、拭き掃除をし、ワックスを塗って乾くのを待ち、机を移動して後半・・・、先生、できる? と不安にもなった。
そこで、先述の投稿。たしかに! 何も学校だけで・学校の先生がすべてやらなきゃいけないわけじゃないのに!
この投稿の中にもあるように、エアコンの点検修理は業者に任せるし、たとえば校舎にヒビが入っていたら、やっぱり業者に任せるでしょ? じゃあ、床のワックスがけだって業者に任せたほうが、きっときれいにやってくれるじゃん。
学校がすべて担わなきゃいけないわけじゃないんだから、これは他に任せてもいいやってものは、どんどん他に頼めばいいんだ。
そうして、「学校でできること」「学校でしたほうがいいこと」「学校以外でもできること」って振り分けてみたら、学校の先生の負担や忙しさが(ほんの少しかもだけど)少し軽減されるかな、って思ったんだけど・・・
でも不思議だな。
そうやって学校以外でもできることが、学校の中に入った途端、「教育」っていう名前に変わっちゃうんだから・・・。
あれ? もう一度言いますが、私、決して学校のことが嫌いなわけじゃありません!
学校のほうがいいことだってあるし、そうでないこともあるかもしれないし、これはあくまで自分の思い出から思ったことであって・・・
次は学校の「いい思い出」をつづれたら・・・。
最近、ラヴニールさんはお休みですか??
ご近所の人なら、そう思われるかもしれません。
いえ、しっかり活動しています。ここしばらくは、短縮活動日の多い予定となっていますが・・・。
その理由は・・・、実は、ここしばらく、玄関にOPENのプレートをかけていませんでした。
いつもドアのところにかけているプレートの、ひもの部分が千切れてしまったためです。
考えてみれば2010年のオープンからずっと、プレートについていたひもではなくて、刺繍糸で編んだ三つあみのひもを使用していました。細い紐だけならプレートを支えるのに大変だけど、数本ずつ、しかも編んでいたら、少しは丈夫さが出るだろう、と。
そのときから一度も換えることなく、千切れるその日まで、ずっとプレートを支え続け、移転後は雨風にさらされたりもしながら、ずっとずっと、ラヴニールの「看板」の陰となってくれていたのです。
長いあいだ、お疲れさま。
たかが「三つあみのひも」ですが、感謝の気もちでいっぱいです。
しばらくはビニールのひもで代用しています。2代目も、先代と同じように三つあみの紐になる予定なので、また、これからの歴史を見守ってもらいましょう。
ご近所の人なら、そう思われるかもしれません。
いえ、しっかり活動しています。ここしばらくは、短縮活動日の多い予定となっていますが・・・。
その理由は・・・、実は、ここしばらく、玄関にOPENのプレートをかけていませんでした。
いつもドアのところにかけているプレートの、ひもの部分が千切れてしまったためです。
考えてみれば2010年のオープンからずっと、プレートについていたひもではなくて、刺繍糸で編んだ三つあみのひもを使用していました。細い紐だけならプレートを支えるのに大変だけど、数本ずつ、しかも編んでいたら、少しは丈夫さが出るだろう、と。
そのときから一度も換えることなく、千切れるその日まで、ずっとプレートを支え続け、移転後は雨風にさらされたりもしながら、ずっとずっと、ラヴニールの「看板」の陰となってくれていたのです。
長いあいだ、お疲れさま。
たかが「三つあみのひも」ですが、感謝の気もちでいっぱいです。
しばらくはビニールのひもで代用しています。2代目も、先代と同じように三つあみの紐になる予定なので、また、これからの歴史を見守ってもらいましょう。
子どもが学校に行かなくなり、「さて、どうしよう」と困ったり悩まれたとき。皆さんはどこに相談されるでしょうか。
検索サイトに「子ども」「不登校」「大阪」など、いろいろとキーワードを入れて探してみると瞬時に探し出してくれますが、その中でも民間の代表的なものとして、「親の会」と呼ばれるものがあります。
親の会ではどんなことをしているかというと、会によってその内容はさまざまですが、近況報告や、初めて参加された方がどういった経緯で親の会に来たか、から始まり、各参加される方たちが「自分にもそんなことあったな~」とか「こんなふうにしたら、変わったよ」など、経験を語り合う時間。
時々、講師をまねいて(ミニ)講演会や学習会を開催したりも、しているかもしれません。アドバイスもあるかもしれませんが、ベースは「経験したこと」の「共有」。
今でこそ、インターネットで学校に行けない・行かない経験は、調べて閲覧でき、以前のように「学校に行け(か)ないなんて、きっとうちだけだ・・・」と「孤立しやすさ」の面では、今は少し減ってきているように思いますが、そんな時代でも、「あえて会という場」に出て語ることによって、文字だけでは伝わらない、言葉尻や表情などの微妙なニュアンスまで伝わりやすいように思います。
また、「文字にする」ことでも多少はできますが、「言葉にして口から発する」ことで、自分が今こう思ったり感じたり、不安だったりうれしかったり・・・が、より強く感じられ、自分自身を瞬時に客観視できる・・・ような気が、私はします。
ここにあげた親の会の様子は、ほんの一例ですが、場所によっては実際に学校に行け(か)ない立場だった方が参加されていることもあります。親側が思うことのみではなく、子どもからの視点での声を聞けるのは、とても貴重です!!
「お互いの傷をなめ合っているだけ」
「自分のいやだった記憶を思い出してつらかった」
「『そんなこともあったわ~』と笑われたことが、『今の自分は笑えないのに』という思いと重なり、しんどくなった」
などの声が聞かれることも、事実としてありますが、「自分以外の同じような悩みをもつ方に会えてよかった」という声があるのも事実。気になる場合は、事前に問い合わせてみたり、実際に一度足を運んでみるなどしてみても、いいかもしれません。
さて、私も先日久しぶりに、ある親の会に参加しました。久しぶりの参加だったので、駅から会場までが少し遠く感じられたのですが、帰りは同じ道を通ったにも関わらず、道のりが短く感じられました。
親の会に参加した帰り道は、不思議とすっきりしたような気もちになります。
すっきりしたら、お腹がすきました。
ちょっとボリューミィなものでも食べて帰ろうかしら♪
検索サイトに「子ども」「不登校」「大阪」など、いろいろとキーワードを入れて探してみると瞬時に探し出してくれますが、その中でも民間の代表的なものとして、「親の会」と呼ばれるものがあります。
親の会ではどんなことをしているかというと、会によってその内容はさまざまですが、近況報告や、初めて参加された方がどういった経緯で親の会に来たか、から始まり、各参加される方たちが「自分にもそんなことあったな~」とか「こんなふうにしたら、変わったよ」など、経験を語り合う時間。
時々、講師をまねいて(ミニ)講演会や学習会を開催したりも、しているかもしれません。アドバイスもあるかもしれませんが、ベースは「経験したこと」の「共有」。
今でこそ、インターネットで学校に行けない・行かない経験は、調べて閲覧でき、以前のように「学校に行け(か)ないなんて、きっとうちだけだ・・・」と「孤立しやすさ」の面では、今は少し減ってきているように思いますが、そんな時代でも、「あえて会という場」に出て語ることによって、文字だけでは伝わらない、言葉尻や表情などの微妙なニュアンスまで伝わりやすいように思います。
また、「文字にする」ことでも多少はできますが、「言葉にして口から発する」ことで、自分が今こう思ったり感じたり、不安だったりうれしかったり・・・が、より強く感じられ、自分自身を瞬時に客観視できる・・・ような気が、私はします。
ここにあげた親の会の様子は、ほんの一例ですが、場所によっては実際に学校に行け(か)ない立場だった方が参加されていることもあります。親側が思うことのみではなく、子どもからの視点での声を聞けるのは、とても貴重です!!
「お互いの傷をなめ合っているだけ」
「自分のいやだった記憶を思い出してつらかった」
「『そんなこともあったわ~』と笑われたことが、『今の自分は笑えないのに』という思いと重なり、しんどくなった」
などの声が聞かれることも、事実としてありますが、「自分以外の同じような悩みをもつ方に会えてよかった」という声があるのも事実。気になる場合は、事前に問い合わせてみたり、実際に一度足を運んでみるなどしてみても、いいかもしれません。
さて、私も先日久しぶりに、ある親の会に参加しました。久しぶりの参加だったので、駅から会場までが少し遠く感じられたのですが、帰りは同じ道を通ったにも関わらず、道のりが短く感じられました。
親の会に参加した帰り道は、不思議とすっきりしたような気もちになります。
すっきりしたら、お腹がすきました。
ちょっとボリューミィなものでも食べて帰ろうかしら♪
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
15
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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代表と、スタッフ1名で担当しています。
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