フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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たま~にやると熱中する、コレ。
むむっ、おぬし、なかなかやりおるの・・・
結果。うん? パッと見じゃわからんな。数えてみるか。
数えた結果、黒26、白38。 白の勝ちっ!
■ オセロを使って算数のお勉強 ■
オセロの勝ち負けを決めるときに、石(というのかな?)をひとつひとつ数えて比べるのもひとつですが、ちょっとここで算数を取り入れると・・・
1、オセロの盤面は、たて、よこ、ともに8マスずつ。ということは、オセロのマス目は、全部で
8×8 = 64
64マスあることになります。
2、この64を、半分にした数、
64÷2 = 32
が、ひとつの勝敗のポイント。
3、32よりも石が多ければ、勝ち。少なければ負け、となります。
4、勝ち負けを決める際は、白か黒片方だけを数えて、数えた結果の数字を64から引いた数が、相手の石の数、となります。
黒が37だった場合、勝ちは黒なのですが、じゃあ白はいくつだったのかというと、
64ー37 = 27
白が27だった、ということになり、
同じ勝負で、白を先に数えた場合は、
64-27 = 37
黒が37だった、ということになります。
ちょっとした日常の中に簡単な算数を取り入れてボケ防止をしている、スタッフより。
むむっ、おぬし、なかなかやりおるの・・・
結果。うん? パッと見じゃわからんな。数えてみるか。
数えた結果、黒26、白38。 白の勝ちっ!
■ オセロを使って算数のお勉強 ■
オセロの勝ち負けを決めるときに、石(というのかな?)をひとつひとつ数えて比べるのもひとつですが、ちょっとここで算数を取り入れると・・・
1、オセロの盤面は、たて、よこ、ともに8マスずつ。ということは、オセロのマス目は、全部で
8×8 = 64
64マスあることになります。
2、この64を、半分にした数、
64÷2 = 32
が、ひとつの勝敗のポイント。
3、32よりも石が多ければ、勝ち。少なければ負け、となります。
4、勝ち負けを決める際は、白か黒片方だけを数えて、数えた結果の数字を64から引いた数が、相手の石の数、となります。
黒が37だった場合、勝ちは黒なのですが、じゃあ白はいくつだったのかというと、
64ー37 = 27
白が27だった、ということになり、
同じ勝負で、白を先に数えた場合は、
64-27 = 37
黒が37だった、ということになります。
ちょっとした日常の中に簡単な算数を取り入れてボケ防止をしている、スタッフより。
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■ みんなと同じでなければいけない ■
何となくいやだなと思いながら、休む理由がない限りは幼稚園には行っていました。
それはなぜか? みんなが行く場所だったからです。自分が行きたくないんだという気持ちを何となく感じながらも、それを言語化するなどの整理した形にできなかったからではないかと思います。ずっともやもやとした気持ちはあっても、それがどういったものなのか自分でもわからず整理できないまま、そのままずるずると過ぎていってしまったように思います。悶々とした思いを抱えながらも毎朝母にせかされるように支度をし、幼稚園に行く。これが流れになっていて、いやだと思いながらも幼稚園に行くことが当たり前になっていました。
ここで少し家族のことにも触れておくと、両親は決して自分や弟を遊ばせなかったわけではありません。プールなどにもつれて行ってもらったし、外遊びをしなかったわけではないし、夏には海水浴やキャンプに、冬でも外で雪遊びをしていた覚えがあります。むしろいろいろなところへつれて行ってもらった覚えのほうがあるぐらいです。
外遊びやレジャーにもつれて行ってもらったのに、運動神経は身につきませんでした。ある程度大きくなると、「自分は運動神経がもともとないんだ」とあきらめがつくようになるのですが、このころは他の人にできて自分にできないことが不思議でした。
それまで家族の中という異年齢の小さな枠の中で過ごしてきて、幼稚園という同年齢の集団の中で初めて気づく、「自分は他の人と何かちがうのかもしれない」という気持ち。「みんなと同じようにできなきゃいけないんだ」と、自分を奮い立たせるつもりが追い詰めていたとは、このときは思っていませんでした。
「みんなと同じようにできないといけない」。この言葉は後になってもずっと自分のことを縛り続ける言葉として残っていきますが、それはまたいずれ語ると思います。
涼しさといい、虫の鳴き声といい、もう秋ですね。つい先週まで暑さに悩まされていたのに、不思議な気持ちです。
そんな秋はスポーツの秋ということで、毎度お馴染み他フリースクールさんのお誘いでスポーツイベントに参加させて頂きました。
月曜日の今日は「バスケをする日」のようでみっちりバスケをしました。
某バスケ漫画を読み、イメトレはばっちり。…でしたが、現実はそう甘くなく。シュートのコツを教えてもらい、止まってボールを投げるシュート練習をしましたが、ゴールが遠い…いや高い。
それでも優しい皆様に、「惜しい!」「あと少し!」等々、励まして頂いたおかげで失敗しても笑ってプレイができました。ありがとうございます。
また、3on3では、一緒に参加したMちゃんが華麗にシュートを決め、相手チームのボールを凛々しくカットしていました!綺麗に決まると見ているだけで、とても羨まし…じゃなくて、気持ちがいいですね。
凄い凄いと拍手もし、たくさん笑いました。汗の量に比例して、楽しさも(二の腕の筋肉痛も)倍々でした。
またお誘い頂ける機会があれば、今度は庶民シュートもといレイアップシュートに挑戦したいです。
本日はありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。
そんな秋はスポーツの秋ということで、毎度お馴染み他フリースクールさんのお誘いでスポーツイベントに参加させて頂きました。
月曜日の今日は「バスケをする日」のようでみっちりバスケをしました。
某バスケ漫画を読み、イメトレはばっちり。…でしたが、現実はそう甘くなく。シュートのコツを教えてもらい、止まってボールを投げるシュート練習をしましたが、ゴールが遠い…いや高い。
それでも優しい皆様に、「惜しい!」「あと少し!」等々、励まして頂いたおかげで失敗しても笑ってプレイができました。ありがとうございます。
また、3on3では、一緒に参加したMちゃんが華麗にシュートを決め、相手チームのボールを凛々しくカットしていました!綺麗に決まると見ているだけで、とても羨まし…じゃなくて、気持ちがいいですね。
凄い凄いと拍手もし、たくさん笑いました。汗の量に比例して、楽しさも(二の腕の筋肉痛も)倍々でした。
またお誘い頂ける機会があれば、今度は庶民シュートもといレイアップシュートに挑戦したいです。
本日はありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。
■ 自己否定を育くむ場所 ■
自分の記憶にない時代をさかのぼると、生活の基盤は、地方の小さなアパートがスタートだったようです。物心がついたころには、自分の周りには両親はもちろん、弟もいました。
程なくして一家で一軒家に引っ越し、このときから祖父母との同居が始まりました。同じタイミングで幼稚園に通うようになりますが、自分は幼稚園が嫌いでした。
嫌いだったとはっきり気づいたのはだいぶ大きくなってからですが、どうして幼稚園に通わなければいけないのだろうと思ったことだけは覚えています。特に嫌いだったのが晴れた日でした。
晴れた日には園庭で遊ぶことが多く、この園庭遊びが自由に遊ばせてくれるのならいいのですが、鉄棒をやるだとか、大縄跳びをするだとかとなると、
「うわ、鉄棒だ」
「縄跳びか」
という気持ちになりました。自分ができない姿をみんなに晒すことが、恥ずかしくていやだったのです。ただできないならいいんですが、必ずそこに入ってきたのが、担任や、他の同じ年齢のクラスの教諭による評価のまなざしでした。
「何でいつもできないの?」
と、問い詰められ、できた子とできなかった子は分けられる。できた子の人数がどんどん増えていくのを、複雑な気持ちで見ていました。
「もっとお遊びの時間に練習しなさい」
とまで言われたように覚えています。一定の条件下でならばできたので、練習する必要があるようには思いませんでした。
「ちゃんとできるのに、どうしてできないって言われるんだろう?」
不思議で仕方がありませんでした。
そのうち鉄棒ができないメンバーは固定化されていき、
「いつもできないのはこのメンバー!」
「できない子はお部屋に帰れないよ」
と脅される始末でした。
「本当はできるんだよ!先生はできるところを見てないでしょ!」
と言いたくてたまりませんでした。しかし相手は大人、先生。幼稚園に入るまで自分の周りはほとんどが大人の中で育ってきて、
「大人の言うことは正しいのだから、言うことを聞かなきゃいけないのよ」
と、ずっと祖母から教えてこられました。先生は大人だ、だから言っていることは正しいんだと信じて反論せず、できない自分が悪いんだとずっと思っていました。
先生が指定するものよりひとつ低いところでならできていたのですが、先生が指定する高さでできなければいけないんだ、と。自分ができるようになりさえすれば、怒られないんだと思っていました。
幼稚園は週2日お弁当で、あとは給食でしたが、いつも給食の時間が終わっても食べている常連でした。ある日、通院する関係で早く迎えに来た母に、先生が笑って言った言葉が忘れられません。
「いつも給食残して、好き嫌いばかりしてるからよ」
食べ物の好き嫌いはほとんどないのに、小食だったので時間内に決められた量を食べきることができなかっただけ。そして母も先生に便乗してこう言う。
「ダメじゃないの、好き嫌いしてちゃ」
なぜ給食が苦手だったのかは今でもわかっていません。今でも食べ物の好き嫌いはあまりないほうだと思いますが、家では好き嫌いなく食べている姿を見ながら、親が先生と一緒になって自分を責めたことは、忘れません。
幼稚園の先生はその子のためを思って、もっとがんばりなさい!という気持ちで言っていたのだと思います。それで本当にがんばれる子もいる一方で、期待に応えなきゃと努力するも、どうにもできなくて、「自分はダメな子、できない子」とどんどん自分を追い詰めて萎縮してしまう子もいるのです。
親も自分の子どものことをかばうことなく、先生と一緒になって自分を否定していたことで、小さいころから、どう努力してもできない自分に嫌気が差して、「どうせ自分なんて何をやってもダメ」と考える自分が育まれていたように思います。
自分を否定されても、それでもがんばらなきゃと思うのは、できないままでは周囲に見捨てられるのではないか、という恐怖から。しかし実際はがんばってもできない。もう自分なんて認められる・愛される資格なんてないんだと絶望する。まだ4歳、5歳といった小さなころから自己否定感が育まれていた気がします。
このたびラヴニールさんのブログ上で不登校の経験を連載することになりました、ヒロです。連載のきっかけをいただいたのは本当にひょんなきっかけだったんですけど、ラヴニールさんの通信を読んで体験談が載せられていたんで、自分も学校に行かなかった経験を何かお話しする機会がないかと思っていたところ、まとめようとしたらとてもとても長くなったんです。でも自分自身を形づくっていったことをできるだけ詳細に書きたいと言ったところ、
「それなら通信じゃなくてもいいよ。たとえば、ブログに連載する?」
と言われました。
自分の過去を可能なかぎりお話しすることで、どれだけの人からどんな反応があるかは自分でも想像ができませんが、学校に行かなかった経験のあるうちの一人が思ったことだと受け止めていただけましたら、うれしいです。
自分の経歴を簡単にここにあげておきます。
現在30代です。性別は不明にしておきますが、文中でわかってしまうかもしれません。家族構成は、両親、きょうだいが自分以外に弟が1人。現時点での予定では、友人関係、お世話になった人、祖父母、おじやおばなどの親戚が登場する予定です。
ビビり、引っ込み思案、やや人見知りです。警戒心が強いです。でも、そんな自分をもっとみんなに知ってほしい願望も、たぶんあります。
記事の書き方については、ある程度の年齢やできごとでひとつの記事となるようにする予定ですので、記事によっては長くなったり短くなったりするかもしれませんし、最初と最後で矛盾したことを書くかもしれません。
書くことは自分を中心として考えたことなので、勝手に他人の思いや行動を推測したり、他人に対して批判的なことを思う場面がありますが、そこはどうにか、「そういうふうに思った」と受け止めていただき、この気持ちに対して批判をしないよう、お願いします。
同じように、この経験談は「こうすれば不登校が改善する」というものでもありません。あくまで一人の学校に行かなかった経験者が通ったひとつの道です。一口に不登校の経験と言っても、個人の性格であったり周囲の影響であったりが関係して、何通りもの経験があることを、あらかじめご了承ください。
また、学校に行かなかった経験がある立場で様々な場に参加すると、議論の内容が、「学校は善か悪か」の二択のみで語られることが多いように思います。
自分では学校に行くことがいいとも悪いとも判断しかねますし、そういった意味では学校を批判するつもりはありません。しかし文中の表現として学校そのものを批判するようなものも登場するかもしれません。一方でこの学校はいい学校だと言える場所も存在するのだろうとも思っています。従って自分としては、組織として見た学校のよしあしについてはっきりした答えを持っていないことを、ここで先に宣言します。
以上を踏まえていただき、次の記事からいよいよ始めていきたいと思います。
「それなら通信じゃなくてもいいよ。たとえば、ブログに連載する?」
と言われました。
自分の過去を可能なかぎりお話しすることで、どれだけの人からどんな反応があるかは自分でも想像ができませんが、学校に行かなかった経験のあるうちの一人が思ったことだと受け止めていただけましたら、うれしいです。
自分の経歴を簡単にここにあげておきます。
現在30代です。性別は不明にしておきますが、文中でわかってしまうかもしれません。家族構成は、両親、きょうだいが自分以外に弟が1人。現時点での予定では、友人関係、お世話になった人、祖父母、おじやおばなどの親戚が登場する予定です。
ビビり、引っ込み思案、やや人見知りです。警戒心が強いです。でも、そんな自分をもっとみんなに知ってほしい願望も、たぶんあります。
記事の書き方については、ある程度の年齢やできごとでひとつの記事となるようにする予定ですので、記事によっては長くなったり短くなったりするかもしれませんし、最初と最後で矛盾したことを書くかもしれません。
書くことは自分を中心として考えたことなので、勝手に他人の思いや行動を推測したり、他人に対して批判的なことを思う場面がありますが、そこはどうにか、「そういうふうに思った」と受け止めていただき、この気持ちに対して批判をしないよう、お願いします。
同じように、この経験談は「こうすれば不登校が改善する」というものでもありません。あくまで一人の学校に行かなかった経験者が通ったひとつの道です。一口に不登校の経験と言っても、個人の性格であったり周囲の影響であったりが関係して、何通りもの経験があることを、あらかじめご了承ください。
また、学校に行かなかった経験がある立場で様々な場に参加すると、議論の内容が、「学校は善か悪か」の二択のみで語られることが多いように思います。
自分では学校に行くことがいいとも悪いとも判断しかねますし、そういった意味では学校を批判するつもりはありません。しかし文中の表現として学校そのものを批判するようなものも登場するかもしれません。一方でこの学校はいい学校だと言える場所も存在するのだろうとも思っています。従って自分としては、組織として見た学校のよしあしについてはっきりした答えを持っていないことを、ここで先に宣言します。
以上を踏まえていただき、次の記事からいよいよ始めていきたいと思います。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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