フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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今週はバレンタインのお菓子作りもありましたが、もうひとつ、カラオケにも行きました。
年代が様々だから、いろんなジャンル入り乱れる、入り乱れる! 自分が生まれる前の曲を歌うツワモノも。
「あ、その曲知ってる~! 私、○歳だった!」
その曲が発表された年は、歌ってる人が生まれる前・・・
ええっ、もうそんな前の曲だっけ! とスタッフは驚き、そして年齢差を痛感するのでありました・・・。
すみません、写真はありません。
年代が様々だから、いろんなジャンル入り乱れる、入り乱れる! 自分が生まれる前の曲を歌うツワモノも。
「あ、その曲知ってる~! 私、○歳だった!」
その曲が発表された年は、歌ってる人が生まれる前・・・
ええっ、もうそんな前の曲だっけ! とスタッフは驚き、そして年齢差を痛感するのでありました・・・。
すみません、写真はありません。
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■ 学校がすべてなのだろうか ■
自分が中学生だったときに起こったこととして、このことに触れないわけにはいきません。自分と同じ中学生がいじめを苦にして自殺した、というニュースがありました。その後の会見の様子などは当時のワイドショーなどでも報じられていたので、目にしていました。会見の内容がどうとか学校がウソをついていたとか、そういうことは自分にとってはどうでもいいことで、自分が思ったのは、本当に学校に通う意味があるのか?ということでした。
学校で何を学べるか?と言われたときに、教科の内容について学ぶことができると言われたら、自分はこれを否定するつもりはありません。教科の内容を効率よく学ぶのだったら、学校という手段を選ぶのがいちばんだとは、今でも思っています。
他には何が学べるのか?と言われたときには、自分には疑問が浮かびます。もちろん、勉強よりも部活をしに行っていたという人もいるでしょう。自分はそれを否定するつもりもありません。打ち込めるものがあるのは何よりと思います。ただ自分には、学校の中にこれといった打ち込めるものを見出せなかった。見出すことなく、見出す方法を絶ってしまった。それならもう一度見出しに行かなければという思いにとらわれていたことも事実です。
でも学校の中で、自分自身が傷つけられるようなことが起こっていることも、また事実です。自分ひとりが悪いように扱われたときも、親を含む誰もが自分が傷ついていることをわかってくれませんでした。自分としても自分が傷ついているんだと気づけなかったぐらいです。傷ついたり自分にとって不都合なことを乗り越えてこそ人は強くなれるんだ、とも言うかもしれませんが、強くなりたくても、自分はなれませんでした。
学校がその人にとって危険な場所なら、それを避けるのは悪いことなのかと思いました。ニュースを聞いているうちに自殺した中学生に対して、どうして命の危険を感じるようないじめを受けていたのに、それでも学校に行き続けたんだろうと思いました。
でも自分自身にも思い当たることがありました。学校を一度休んだなら、またそれがいじめやからかいのネタになることがあるのです。
誰かに相談できなかったのかという疑問に対しても、すぐに自分なりに答えが出ました。相談できるまでに心を許せる人なんていなかったのでしょう。自分も今まさしくそのような感じです。自分としては真剣に相談しているつもりなのに、返ってくる答えは、そんな問題はたいしたことじゃない、と軽くあしらわれている感じで、何度も繰り返されるうちに「どうせ相談したって無駄だ」という気持ちになっていくのです。いくら相談した相手が「なんで相談してくれなかったの!」と言っても、こちらとしては「じゃあ何で真剣に相談に乗ってくれなかったの!」という気持ちでした。
いやな思いをした場所から身を引いている自分は、まだマシなのかもしれないと思いました。同時に、同じようにいやな思いをしている場所から逃げ続けている自分がもどかしくも感じました。前者は「これからも学校に行かないこと」で後者は「学校に行くこと」で手っ取り早く解決できると気づき、結局は思考の中心に学校がある、学校にとらわれている自分でした。
ラヴニールでは、講演や講座などに参加するため、活動開始時間を遅くしたり、終了時刻を早めることがあります。
ご利用される皆さまにはご不便を感じさせているかと思いますが、何とぞご了承をいただきますよう、お願いいたします。
さて本日は、午前中に、おとなりの平野区にあるクレオ大阪南にて開催された講演会「不登校と向きあうには」に、参加してまいりました。
講師は、浦上弘明さん。
自らが体験されたことを中心にすえて、各所を絶賛するわけでもなく、否定するわけでもなく、「子どもの心にあかりを照らすきっかけのひとつ」として、
自然にふれあうこと
人や活動との出会い
心癒す感動体験との出会い
をあげられていました。
ものすご~くエラそうなことを言うと、私、自然体験をしたらいいという時点で、「え~? 何言ってんの?」となってしまうのですが、それって、きっと、「体験した自らの言葉ではなかったから」だと思うんです。「脳や身体にこんな効果があり、心身の成長につながります」なんていわれたら、きっと拒絶反応が起こってしまったと思うのですが、こういった「誰かの体験を代弁する」とかではなく、「体験に基づいた結果、きっかけになりうるもの」だったから、ああ、なるほど、って思えたのかな、と。
どれも優れているというよりは、「どれがどこでその子どものきっかけとなるかはわからない」とおっしゃっていたので、「多くのきっかけづくり」という意味で。
そのきっかけを得たときに、子どもが何かを感じたときに、周囲がどう働きかけるか。
この働きかけについては難しいところもあって、でも「先回り」はしないこと。・・・恐らく、「善意の押し付け」と同じかな、と。
こんな話を聞いたことがあります。
ある、杖をついた人が電車内で立っていて、でも見ていたら困っているふうでもなかったし、席を譲らなかった。
それを友人に話したら、「なんて薄情なんだ」と言われた。
席を譲ることもいいことなのだけど、相手の人が特に望んでいる様子でもなかったら、それは善意の押し付け・・・、「俺はいいことをしたんだぞ!」「いいことをしてんのに、何でだよ!」って、譲ったほうだけの満足になってしまう、そんな話でした。
ちなみに、子どもを抱っこしていて出かけると、だいたい席を譲ろうと、声をかけて立ってくださる方がいますが、お断わりしています。確かに抱っこしている子どもは重いけど、足が椅子につく→土足で席にあがってしまうことになる、座っているといやがる、この2点が理由で、席が空いていても、抱っこのときはいつも立っています(席を譲ろうとしてくれた方にも、ちゃんと理由をお話しして、そのうえで立ち続けています)
その代わり、妊娠中は席を譲っていただくことが、とてもありがたく、そのときは座らせてもらっていました。
何か感じ、働きかけるときに、子どもと同じ目線に立てるかどうか。先回りして働きかけるのではなくて、一緒に考えていけるかどうか。それが支援である、と。
あれ? 支援って言葉こそは使っているけど、ラヴニールと同じじゃん。
支援って言葉はイヤだけど、ラヴニールでしていることも、じゃあ、支援じゃん。
人を支えていく。これが、教育の原点である。
と、講師の方は言っていました。
う~ん、深い! そして大変そう! だけど、やりがいがある!
最後に。
現在お子さんが学校に行けず、将来がどうしても不安だ。・・・そうおっしゃる親御さんは、まだいるんだなって。
あちこちでちらほらとお見かけしていますが、必ず出かけた先に(少なくとも)おひとりはいらっしゃるので、本当に先が分からず、不安なのだろうなと感じました。
そんなときは・・・。
「学校に行かなかった経験をもつスタッフがいる」、ラヴニールの売りは、ここです。
学校に行かなかった当時、先に不安を感じていたし、もう人生終わったと思ったけれど、でも今、生きている。そんなスタッフもいます。
不安を感じるのは、体験したことがないから。その先を知らないから。・・・と言います。
ラヴニールのスタッフも、体験したことを元に、「学校に行かなくなった先」を、自らの言葉でお話しすることができます。
ぜひ、一度見学に来てみてください!
■ 学校に行けるようになるなら何でもする・2 ■
行っていた適応指導教室に、他のスタッフとはちょっとちがうなという人が数人いました。
後で知ったのですが、週に1度か2度だけ来る、非常勤のスタッフでした。当時は非常勤という言葉の意味を知らなく、この人たちのおかげで覚えた言葉だと言っても過言ではありません。
このうち2人の人と仲良くなりました。1人は女の人で、病院に勤めていると言っていました。もう1人は男の人で大学の先生だと言っていて、特に後者の人と仲良くなりました。病院に勤めているとか大学の先生だとか言っても、2人ともそんな感じのしない、親戚ではないんだけど友達でもない、なんとも不思議な感じの人でした。2人とも学校の話題を出さずにいてくれたし、一緒に遊んだり他愛もないことにも付き合ってくれたりしたし、よかった思い出が残っています。
この大学の先生から、ある場所に誘われました。このとき行っていた適応指導教室と区別するために、新しく誘われた場所をB所と書きます。
B所は自分と同じように学校に行かない人たちの集まりで、スタッフは多くが大学生。今度キャンプがあるんだけど、参加しないか?とのことでした。仲良くしている人からの誘いとはいえ迷いましたが、もしこれで自分が何らか変われるのであれば参加したいと思い、親にも知らせました。参加する前に面談があるのは適応指導教室と同じでしたが、担当した人はスーツを着ているではなく、ジーンズにセーター姿の私服。初めての場所で緊張はしたけれど、何となく楽しそうだということが伝わってきました。
現在学校に行っていない人だけでなく、かつて行っていなかった人もいて、周りはほとんどが年上だったのですが、まずは2泊3日親元を離れられるということが、どれだけ楽しかったか。家ではできないことを楽しむことができました。特に2日目から最終日にかけての夜更かし。プログラムを見てみても予定が緻密に組まれているわけではなくて隙間だらけ。最終日の朝も出発予定のお昼ごろまでに起きてくれればいいというルーズなもの。
合宿はときどき、それ以外のときは月に1回集まっているとのこと。どこかに出かけることもあるけれど、集まるだけでのんびり何もせずにいることもある。それだけの場所なのに、これからもB所には参加したいなと思いました。
初対面の人ばかりの中によく行けたなと、振り返ってみて思います。どうしてB所に参加し続けたいと思ったのかは、このときにはわかりませんでした。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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