フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。
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■ 誰が話すもんか ■
学籍上は高校生になってまもなくぐらいのころ。弟が特に仲良くしていた同級生に、学校に行き渋る子がいたようです。母は子ども会のつながりがあって、その子のお母さん経由でその子の様子を聞いていたようです。
あるとき、リビングにいた自分に母が声をかけてきました。
「あのさ、ヒロ。○○(弟)の友達の、Aさんっているじゃない?」
自分としても弟から仲良くしている何人かの名前を聞いていたことはあって、そのなかの一人でした。名前だけは知ってると答えたかと思います。
「Aさんのところね、学校に行きにくいみたいでさ、週に何日かは休むみたい。行くときも、すごく暗い表情をして何とか我慢しながら行っている感じなんだって」
母がなぜ弟の友達のことを話し始めたのか最初はわかりませんでしたが、学校に行きにくいみたいと言われたところで自分との共通点がある、と思いました。
「でさ――。お願いなんだけどさ。Aさんに、ヒロの気持ちを話してもらえないかなぁ」
母が困ったような笑顔で自分に頼んできました。
「えっ、えっと――」
自分としては、曖昧な返事だけをしておきました。はっきり断ったとか、いやいや引き受けたということはなかったです。返事は曖昧でも、実際は「そんなのお断り」という気持ちで、母に対して苛立ちだけが募ってきました。
今でこそこうやって自分の体験についてはどれだけでもお話しできるのですが、ではなぜ、母に「話してほしい」と言われて、苛立ちだけが出てきたのか。それは、自分の意思ではなかったからです。自分が話したいと思うのならともかく、なぜ、母とはいえ他人に促されて話さなきゃならないんだよ、と。このころは自分の体験を曝け出すことが何より恥ずかしく、また、学校に行かない経験はこのときの自分にとっては自分史の中からいち早く抹消したい部分でもありました。それも知らずに話せと言われて、「誰が話すものか!」と思ったのです。
これは今だからこそ思うのですが、そのときは、まだ学校に行かなかった中学時代からそんなに経たないころで、自分の中で整理がついていなかったのかもしれません。言葉にすることである程度整理ができると書きましたが、まだその段階になかったのかもしれません。
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■ 実は「まったく」学校に通わなかったわけではない ■
今では中学にはほとんど行かなかったと答えている自分ですが、学校に行くことにこだわっていたころは、少しでも通っていたんだとアピールの意味もあって、中学1年の1学期は通っていたと言い張っていました。
事実ではあるのですが、当時の自分はすでに気持ちの面でだいぶつらかったのかもしれないな、と振り返ることがあります。
これ以外にも私服で登校したり、テストを受けに行っていたのは前述のとおりですが、他にも、修学旅行には参加しました。
修学旅行に参加するためには、前日の直前指導に参加しないと、旅行に行けませんでした(荷物を開封させられ、華美な服装をしないかまでチェックされました!)。その日用があって1日学校にいなかった担任に代わり、進路指導の担当教員が教室内を仕切っていたこともあってか、無理やり教室に入れられ、周囲の好奇のまなざしに晒されたことは、つらかった思い出として残っていますが。
その帰り道。かつて同じクラスだった数名の生徒から声をかけられました。
「学校来てないって聞いてたけど、なんだ、元気そうじゃん」
いや、特に病気で学校に来てなかったわけではなく、でも実際に「学校に来ていないこと以外は」何もおかしくないわけで――。自分でもよくわかりませんでした。
「でさ、来ないあいだ、何してたの?」
好奇心からか、数名の生徒たちは自分に次々と質問をしてきます。平日の昼間は学校に来ることが当たり前であった彼らからしてみたら、当然の質問かもしれません。
「そうだな――」
しばらく考えて自分が言ったこと。今でもはっきりと覚えています。
「人生について考えていた」
一瞬の沈黙のあと、大爆笑が起こりました。
「人生って! 何それ!」
人生について考えていた、というのは、実はちょっとかっこつけて言った部分はあるのですが、ああ、やっぱりこういう反応をされるんだなと思いました。
そこまで深く人生について考えていたかどうかは別として、実際に学校に行き続けていたならば考えなかっただろうことを考えていたことは、事実です。学校に行かないでいたからこそ見えた、学校という場のおかしさ。「いじめのような身の危険を感じても、学校に行かなければいけないのか?」と考えられたことは、自分にとってはひとつの大きなきっかけでした。
反対に、学校に行かないことで思うように勉強が進んでいないこと。授業という形で一方的にではあるけれど、学校という場ではいやでも5~6時間の勉強ができる。これは学校だからこそのよさなのではないかと考えたりもしました。
他にも、自分が学校に行かなくなったことで起こった、親戚との関係。いちばんわかってほしい存在の親にも理解してもらえないつらさ。自分はどうすれば最善の道を通ってこれたんだろう、と考えたらキリがなくて、何の答えも出せないままでいること。
学校に行くか行かないか。たったそれだけで、本当に様々なことがやってきて、そのつど悩み、もどかしくなり、考えていたように思います。だけに、ずっと学校が生活の中心だった彼らの対応は、納得できるものでもありました。「学校という枠から外れてみて」考えることが、恐らくないんだろうなと。日常の中に溶け込み、染み付いている、学校という枠。自分もその枠の中にいたのですから、否定も何もするつもりはありません。
ですが、学校という枠から外れるか、そうでないかで、いい意味か悪い意味かは別として、大きな差を感じずにはいられませんでした。
■ 自分の将来 ■
それならば、どこに進学するのがいいのだろうと悩んでいると、
「定時制高校とかは抵抗あるの?」
と、B所の参加者に尋ねられました。
「定時制高校?」
高校と名前がつく限り高校なのでしょうが、頭に余計なものがついています。
「夜間高校って言ったらわかるかな。夜間じゃなくて昼間のところもあるけれど、昼間は数が少なくて倍率も高いから、自信がないなら夜間高校とかもいいかもよ?その学校を辞めた子は、結局定時制高校に行っているんだけど、その子が行っている学校は会社勤めしている年上の人もいるし、会社を定年退職して来てる人もいるし、いろんな人がいて楽しいって」
夜間となると学校が終わると何時なんだろう?と思ったら、行く気になれませんでした。そのころは夜8時に一人で外を出歩くのも怖いぐらいでした。人目が怖いとかではなく、単に夜で怖かっただけです。
「うーん、夜かぁ。怖いしなぁ」
と言うと、
「定時制じゃなくて、通信制っていう方法もあるよ?」
と、他の子が教えてくれました。基本的に自分で勉強するのが大変だけれど、一定の課題と、たまに学校に通うのと、あとはテストがあって、基本的にこの3つをこなすことで単位を取得していく高校だと教えてもらいました。
定時制高校でもなく専門学校でもなく、今までまったく知らなかった高校のスタイルでした。
学校に行くことはいやではないので、あまり学校に行かないというのはどうかとも思うけど、夜に外に出る必要がなく、過度な校則にさらされることもないのなら、ひとつ手段かなと思いました。
結局、通信制高校を選びました。はっきり言ってしまうと、「勉強ができない」自分でも入れる場所なら、という思いがあり、入ったあとでがんばる、という気持ちでした。専門学校でもない定時制高校でもない未知のシステムの学校に、父は「学校に行くことから逃げている」「そんなことで勉強したと言えるのか」と言いましたが、学校にまったく行かないわけではないことを伝えたうえで何とか通しました。
祖父母には、「高校に行くのに勉強しなくて大丈夫か?」「いとこの○○は1日何時間も勉強して――」と何度も尋ねられましたが、合格したときには大喜びされました。自分としては流れの中で適当に決めた、とも言えるので、何でそんなに大げさに喜ばれるのだろうと、このときは不思議でした。この不思議な気持ちの正体には、後に大学進学を決めたときに、父方の親戚の態度で気づくのですが――。
高校に入ったら、とにかく勉強がしたいということでした。高校に行けたのだから、大学に進学する目標も閉ざされたわけではありません。自分がなりたい職業への道は消えたと思っていたのに、まだ可能性が残っていました。自分がなりたいと思っていた職業は、いわゆる「頭のいい人がなる」ものだったので、これから死に物狂いで遅れた勉強を取り戻していけば、まだ自分の夢をかなえられるかもしれないぞ、という期待でいっぱいでした。
■ 逆に信頼できなかった人 ■
進路指導担当をしていた教師については、信頼できませんでした。前述の、制服を着てくるように言うなど次々と課題を出してきた教師です。テストを受けに学校に行った際に、卒業後の進路について、こちらの希望を聞くかどうかで、専門学校の資料を広げてきました。
自分としては専門学校ではなく、普通高校に行きたいのです。将来就きたい職業のためには商業や福祉、情報などの専門学校ではなく、高校じゃないと意味がないのです(と、当時は思っていました)。多くの専門学校の資料には、進学よりも就職に力を入れている感じがして、これじゃ自分の将来の目標をかなえられないと思いました。
自分としての希望を伝えきれていなかったので、改めて自分の希望を伝えてみました。
「今のお前の成績じゃ普通高校なんて無理だ」
副担任はそう言って専門学校以外を勧めようとしませんでした。通知表上の成績がよくなかったことを言うにしても、担任と副担任ではずいぶんと言い方がちがいます。
仕方なく仮決めということにして適当にひとつA校を選びました。専門学校ですが自宅から比較的近くて通うのに不便しなさそうだったから、というのと、学校に行かなかった人をこれまでに何人も受け入れている親切な学校、理由でした。
今思うと、「学校に行かなかった人を何人も受け入れている『親切な』」という時点で、ああ、学校に行かない人を問題児扱いしているわけね、と言えるのですが、当時は学校に行かないことが何よりの負い目だったので、特に気になりませんでした。
それからすぐA校の見学に行き、見学者向けにいいことだけを言っているんだろうなとどこかで思いながらも、悪い印象はなかったので、受験を考えてみてもいいかなと思い始めていたころでした。B所の定例会で偶然進路の話になり、数人の参加者とスタッフとで話していました。
「え?A校?やめたほうがいいよ」
と、2歳上の参加者が、自分が仮決めしたA校について言いました。
「どうして?」
「友達が2人そこに行って、2人とも1学期でやめた。ものすごく校則が厳しかったって。集会などでたった一人でも礼の仕方が中途半端だと何度でもやり直しさせられたり、髪を染めてもいないのに光の加減で茶色く見えただけで教室に入れないとか。ひたすら校歌を大声で歌わされたり、行進、団体行動の練習だって。もちろん乱れていたら、やりなおし。そしてそのあと、生徒同士で犯人探しが始まって、本当にその子ができていなかったかわからないのに、できていなかったと疑われた子2、3人をターゲットにしていじめが始まったって」
思い当たることがありました。そういえば少し前に、母がしきりに進路のことを聞いてきたことがありました。進学したいとは言ったけれど、どんなところに進学したいとまでは、本当に進学できるのか懐疑的だったこともあって言わないでいました。
母は時々自分の前で学校の誰かとわかる人と電話で懇談をしていたので、そのときに自分にはわかりにくいように進路について話したのかもしれません。しかし実際の体験談を知ってしまった以上、A校は自分にとっては学校ではなく、ただの強制訓練所のようにしか思えなくなりました。
パンフレットにはなくて、なおかつ進路指導担当の副担任も知らない真実を知ってしまった以上、その専門学校に進学することだけはやめようと思いました。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
Webサイト:
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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