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フリースクール「ラヴニール」の日常と、その他イベントのお知らせ・ご報告。他にはフリースクールとは? 学校に行かないあいだに何があった? などの連載をしています。 Posting of comments like the following will be declined: ・Comments other than Japanese. ・Comments that seems to be in Japanese through translation website.
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■ 金輪際話すものか! ■


 2月の頭になると、母が尋ねてきました。

「またアルバイトするんでしょ?」

 大学は、学部や授業によっては1月から2月にかけてテストを実施したあとでも集中講義があったり、レポートを提出するよう言われるところもありましたが、自分は該当するものがありませんでした。したがって、まったくのフリーでした。

「アルバイト?」

 たずね返すと、

「ほら、学童保育」

 自分としてはあんなところではアルバイトをするつもりはありませんでした。

「え? しないよ」

 と答えると、突然、

「しないって、誰がそんなこと決めたの」

 と、母。

「夏にあれだけがんばったんだから、今度もするんでしょ?」

 あんなにつらかった場所にもう一度戻るとか、考えたくもありませんでした。

「しないよ、あんなところでなんか」

 8月末で雇用期間が終了したときに、特に両親には何も言いませんでした。学生ではなく主婦の人で、他の学童保育の常勤スタッフに空き枠があって滑り込んだ人ならいましたが、自分としては大学優先にしたかったので、期間満了につき、雇用終了となっていました。

 それを、説明しなかった自分も悪いといえば悪いのですが、

「何で勝手にやめるの!」

 と、アルバイトを親の許可なくやめたと勘違いされました。


 それからしばらく、一方的に質問をされました。いつやめたのか、あんなにいい場所だったのに、どうしてやめたのか。やめた訳じゃない、と何度も言いかけては、次の質問にかき消されて、こちらの弁明の機会はまったくなし。

「行かないなんて、やめるのと一緒じゃないの」

 昔、年賀状が集中する年末年始限定で郵便局でアルバイトをしたことがある、と言っていた母の発言とはとても思えませんでした(あれだって、期間限定雇用ですよね?)。


 そのうち、

「何度も同じことを繰り返さない!」

「いいから、こっちが尋ねていることについて答えなさい!」

とまで言われる始末。どの口が言うんだよ、と思いました。

「何であんなにいいところをやめるわけ? 何の理由があって? あんなにいいところでも働けないんじゃ、他のどこに行ったって働けないから」


 「あんなにいいところ」って誰が決めたんだと、怒りがこみ上げてきました。お母さんはあの場がどれだけひどい場所だったか、知りもしないくせに! 実際を見てもいない場所のことをひたすら「いい場所」としか言わないことと、そんな理由も知らずに自分だけが悪いかのように言い、問題を自分だけに閉じ込めようとする母に対して、さすがの自分も強く反論しました。


「『あんなにいいところ』って、何をもっていいところだって言えるの? 実際、いいところだっていうのを見たわけ? ――もういいよ! そっちがこっちの言い分を聞いてくれないんなら、こっちだって、アルバイトについては金輪際何も言わないから!」

と、言うだけ言って勝手に椅子から立ち上がり、部屋に入りました。部屋のドアは、もちろん強く音を立てて閉めました。



 この話には、少々時があきますが、後日談があります。この件があってから数年後。たまたま母が知り合った方が、この学童保育に通っていたお子さんの保護者の方と知り合いだったそうです。

「そういえばあのときアルバイトしていた学童保育。評判悪かったんだってね~」

 これを突然思い出したかのように言われたことで、また怒りがこみ上げてきました。

「今になって、何言ってんの? あのときはちっとも言い分聞いてくれなかったくせに、今になって同情するようなこと言われて、気を許すとでも思って?」

 補足すると、数年の間、最初にアルバイトしていた学童保育については、本当に何も話しませんでした。もう、「どうせこの人たちは話したって聞いてくれないし」がかなりの奥底にまで染みついていて、話してもこちらが疲れるだけだから、と、話すこと自体諦めていました。




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毎週水曜日に学校に行かなかった経験を連載中ですが、同じ体験談でも、今日はちょっとちがった体験談。ですので、カテゴリ「思うこと」でアップします。


寄せられた内容を見て思ったのですが、身近な存在からの「いじめ」は、あえてカテゴリ分けするとしたら、虐待となるのでしょうか。こんな例もあるんだということを知ってほしいとの訴えから、ブログに掲載いたします。



< 家族内でのいじめ >


いじめは、よく学校、会社で、友人関係の中で(たとえばママ友)起こると思われていますが、実はもっと身近な家族の中でもいじめが起こるのではないかと、私は思います。
私は、かつて学校に行かない経験をしました。家族のことが関係してきますので、当時の家族構成をお話ししますと、両親と、同性のきょうだいが下に2人。私は学校に行かなかった時代がありますが、きょうだいは2人も幼稚園や小学校、中学校をほぼ休むことなく通っていました。

 
もう少し言うと、私のきょうだいは皆見た目が異なり、3人で歩いていても「友人同士ですか?」と尋ねられ、「きょうだいです」と答えると、「・・・では、こちらとこちらが?」と、考えた末に下のきょうだい2人がきょうだいで、私は一緒に来た友人だろうか? と思われるぐらい、似ていません。
私も背がさほど高くなく、それでいて体重は多め、いわゆるぽっちゃり体型。きょうだいは私よりも背が高かったり、私よりも背は低いけれど細身だったり。
 
私自身がそんな体型だったこともあって、私自身はよく、きょうだいからからかいを受けました。
 
坂道などでは
「ほら○○(私のこと。以後も)、早く転がりなよ。歩くより転がったほうがスピードついて速いんじゃない? それだけ丸いんだし」
 
またあるときは、テレビにブタが映し出され、
「あ、○○の友達だ!」
アニメのブタのキャラクターには、
「ほら、○○、テレビ出てる」
このキャラクターというのは、うさぎのミッフィーで有名なディック・ブルーナのシリーズに、「ブタのポピー」というのがいるのですが、
 
「ポピー ポピー ブタのポピー かわいいポピッピー」
 
という歌詞の歌がありました。ポピーが出てくると、きょうだいは
「ほら、テレビ出てるよ」
といったあとでこの歌に合わせて
 
「ポピーポピー ブタのポピー ブースなポピッピー」
 
と、笑いながら私を見て、2人で替え歌を歌うのです。
  
★ ブタやポピーが悪いとか、そういうことを言いたいわけではありません。私をからかうネタとして使われていた、という認識でお願いいたします。
 
ぽっちゃりしていることをからかわれ、やめてよ、とは言えませんでした。
 
なぜなら、
「じゃあ、もっとダイエットすれば~? なってみたら? こんな体型に」
と返ってくるのがわかっていたからです。
同じものを同じぐらい、いや、きょうだいのほうが多かったかもしれません。食べているのに、私は食べたら食べただけ太る体質、身内は食べても太らない体質。ゆえに、「痩せ型」といわれる体型。それが自慢で、時々自身がやせていて、着たいと思ったらどんな服でも着られる、サイズに困らないことを鼻にかけていると思われるシーンがある身内でした。
 
さらに私が何も言えずにいると、
「どうせムリだよね~。学校行ってないんだもん」
と返されることまでわかっていたため、さらに何も言えなくなっていました。
ダイエット自体は、家でもできたかもしれません。学校に行けないことと体型のこととは何の関連もないにも関わらず、「学校に行けない自分はダメな自分だ」とずっと思っていた私には、学校に行っていないあんたが痩せられるわけがない、と言われているような気がして、でも学校に行っていないことは事実で、何も反論ができなかったのです。
 
 
 
そのころからかなりの年月が経過し、今では私やきょうだいにも家族と呼べる存在ができました。最近、帰省したときのこと。
 
「そういえば○○、今ではきれいに痩せたね」
「あのときの『ポチャこ』じゃなくなったんだね」
 
両親としては何気なく言ったつもりだったでしょう。
しかし、私としては両親が想像していないぐらい傷つき、ずっと引きずっていたことでした。
私自身もずっと傷だったと気がつかなくて、何気なく言われて思い出したのが、正確なところですが。
 
ずっと身内から、しかも自分よりも年齢が下の者からからかわれ、嫌な気持ちになり、さらに重ねると、こういったからかいなどは週のうちでも何度もあったのですが、それを知っていたはずの身内の誰もが止めなかったのです。
替え歌を歌うなどして主にからかっていた、きょうだい1。それを見聞きして笑っていた、きょうだい2。知っていたはずなのに「やめなさい」と止めなかった、両親。
 
どうしてあのとき、止めてくれなかったの。親なら、身内なら、何で守ってくれなかったの。
 
 
相手がどうであれ自身がいじめだと感じるなら、それはいじめだと言う人がいます。
さすがにそれは大げさだろうと思い、とりあえず明確にされている定義に沿ってみたところ、一方的に身体的なものはなかったにせよ、心理的には傷つけられ、それを今でも苦痛であると感じていること。
「四層構造」の中に、このときの登場人物がすべて当てはまること。
 
こういった定義に沿えば、私がいじめを受けていた、と、自己弁護的になりますが、言えるのではないかと思います。
がしかし、定義にもあるように、背景は、内外の文言こそあれど「学校」がベース。家庭の中でのこういった状況は、いじめであると言えるはずなのに、いじめと言えないようです。
 
 
参考サイト:
 
 
 
家族内の問題だから、解決は家族内でして。
皆さんはそう思うでしょうか。
しかしその家族内での関係がこのようにいびつな状態で、どうやって家族内で解決すればよかったというのでしょうか。
  
 
皆さんには、知ってほしいです。
いじめは、学校や社会などの外の世界のみで起こるものではない。
もっと身近な、家庭内でも起こりうるということを。



■ 資格が人となりを語る? ■


 学生時代は、はっきり言うと勉強には苦労しましたが、本当にバカがつくぐらい真面目に授業に出席をしていたので、単位がギリギリだったものも含めて、何とか必修科目を再履修することなく卒業することができました。在学中は、念願かなってアルバイトができる! と思ったのですが、通学に時間がかかったのと、単位不足で卒業できなかったことを避けるために3年、4年でもそれなりに授業を入れていたため、平日に思うように時間が取れず、アルバイトができたのは、土日、あるいは長期休みの間だけ。

 そして、

「飲食店? そんな来れる日数少ない子なんて、雇われないよ」

 別の求人を見つけ、そこは土日のみの募集でも、

「そもそも物覚えが悪いんだから、できるわけないじゃない。要領よく、気の利く子じゃないと」

 と、結局否定されて自信をなくし、応募せず。


 今思えば応募するだけしてみればよかったなと思うのですが、高校時代もアルバイトをしたことがない自分にとっては、アルバイトをするというのは未知の世界。未知の世界について知るには先人の――、を、鵜呑みにしていました。


 そのような状況でしたが、親が唯一、二つ返事で許してくれたアルバイトがありました。それが、長期休みの間の学童保育でした。

「こんなの、いいんじゃない? 常勤も一緒に募集してるの見ると、保育士とか幼稚園の先生とか学校の先生とか、何らか資格持ってる人じゃないと応募できないみたいだし。有資格者の人ばかりなんだから、ちゃんとしてるところだし」

 と言われて応募して、まずは夏休み期間のみ採用されました。


 しかし、その学童保育が、とんでもないところでした。毎日のように飛ぶ怒声、罵倒、冗談の範囲をこえた「冗談」。

 怒声は、子ども同士のケンカの声ではなく、学童保育のスタッフが一方的に子どもを怒鳴りつける声。罵倒も同じ。子どもが一生懸命何か言おうとしているのに、

「うるさい! 本当に生意気なんだから!」

と罵倒する。迎えに来た保護者の方には、

「私、子ども嫌いなのよね~」

と笑って言う。こんな対応をするスタッフ全員が、子どもに関する資格を所持している人――。

 自分は子どもの立場ではなかったのですが、何だかその場にいるのがとても苦しくなってきました。一方的に生意気だって決めつけられたり、自分の思うことも言わせてもらえないなんて、どういう気分だろう。「子どもが嫌いだ」なんて堂々と言うスタッフがいる場所に、保護者の方は子どもを預けたいと思うだろうか――。


 何とか8月末までは乗り切りましたが、来年度の応募はしないでおこうと決めました。こんな場所、とてもじゃないけれど自分がおかしくなってしまいそうでした。ちょうどこのころ、大学の授業(教養科目)で「子どもの権利条約」という言葉を知ったことを思い出し、ノートを見返してみました。

「権利を盾にして我がままを許そうというものではなく、『子どもであっても、意見を聞いてもらえたり、意見を言ったり、生きていくうえで大切なことが保障されたもの』」

「18歳になっていない人を子どもとする」

と書いてあり、この条約には、日本も1994年に批准していること。

 批准しているはずなのに、自分は大学の授業で聞くまで、何も知りませんでした。

 それならと、業務が終わったあとの時間を狙って、常勤のスタッフに「子どもの権利条約について知っているか」と、尋ねてみました。

「は? 何それ?」

 繰り返しになりますが、この場の常勤スタッフは、全員、子どもに関する何らかの資格をもった人たちです。全員がこのような反応でした。そのうえで、

「子どもであっても――、というものなんですって」

と、最初の「権利を」から「ではなく、」までをあえて省略してノートの内容を言うと、

「それって、子どもが我がままになるだけじゃない」

 これも、全員が同じ反応。挙句の果てには、

「子どもに我がまま言わせないために、大人が押さえつけなきゃ。大人が強いんだってことを見せつけなきゃ」

 とまで言うスタッフもいて、かなり大幅に譲って「我がままを助長するもの」というところまでは「そういう条約じゃないのに、ああ、やっぱりそんなふうにとらえられちゃうのか」と、ギリギリ許せても、子どもを押さえつけなきゃいけないと言い切る点については、唖然とするしかありませんでした。


 本当にこの人たちは、子どもに関する資格をもった人たちなのでしょうか。資格だけで人を判断していたことに自分としては気づくことができましたが、この現状を知らない親は、こんな場所でも、「いいアルバイト先を見つけられて、よかったね」という認識でしかいませんでした。



平野区社会福祉協議会より、講座の案内が届きました。


【男女共同参画セミナー】
発達障がいのある子どもの子育て【思春期編】~みんな違ってみんないい

6月2日(土) 午後2時より
クレオ大阪南 

詳しくは、

平野区社会福祉協議会
http://hirano-kushakyo.or.jp/topics/kouza_fukushi/2260.html

または、

クレオ大阪南
http://www.creo-osaka.or.jp/webapp/AppMain.php?koza_preview=3837&port=50141&from_kan=03

いずれもイベントページへ直接進みます。

託児・手話通訳などが必要な方の締め切りは、ごめんなさい、過ぎてしまっていますが、興味のある方は、ぜひ。


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平野区社会福祉協議会では、毎月第一土曜の午前10時から、不登校・ひきこもり親の会が、同日午後1時半から、発達障がいについて話し合う会が開催されています。

こちらも、ぜひ。

不登校・ひきこもり親の会
http://hirano-kushakyo.or.jp/kadai/futoko

発達障がいについて話し合う会
http://hirano-kushakyo.or.jp/kadai/hatatsu

祝日やイベントと重なる日は、お休みや、開催時間に変更があるようです。
それぞれ「活動内容」をクリックすると、会の様子の報告や、次回開催日について告知されています。




皆さん、小学校、中学校などで「学級会」があったかと思います。クラスのことや、校内委員会からクラスごとに話し合ってほしいと依頼があったことを話し合う場のことです。

 
あれ、好きだった人、いますか?
 
私はどうにも苦手でした。普段の授業中も積極的に発言をするほうではなかったけれど(週1~2回ぐらいはしていたような気はするけど)、学級会となると本当に黙っていました。
 
あるとき、クラスのスローガンを考えようということになり、いろんな意見を出すよう、司会の子が発言を促しました。
それでも、出た意見は2、3。ほかに意見はないかと尋ねても、誰からも手はあがらない。
 
そのうち司会が、適当に他の子を当て始めます。このとき当てられる子というのはだいたい決まっていて、言葉は悪いですが、いわゆる「勉強も運動もできない子」が、そのターゲットになっていました。
 
私も、実はよく、この当てられる中に入っていました。
「まだ考え中です」といういいわけが通用しないほど、もう時間は経っていたので、仕方なく、その場で適当に思いついた言葉を言いました。
 
ところが、これが案外ウケがよく、その後の意見は、皆、「○○さん(私)の意見に賛成です」。
あれ? もしかして私の意見がスローガンになるかな? そう思い始めた矢先のこと。
 
学級会となるといつもイライラしている(のが、すぐにわかる人でした)担任教師が、口を開きました。
 
「お前らなぁ、これ、すべて『目標』にあっているか?」
 
スローガンの言葉を決める前に、目指したいこと――目標を3つぐらいあげていたのですが、担任は、すべてにダメ出しをし始めました。1の意見は○○が足りない、2の意見は△△が足りない、3は、意味がわからない、などなど・・・
 
結果、クラスの子どもから出た意見は、すべて担任からしたら「アウト」。もちろん、私の意見もです。
 
そしてどうなったかというと、
「どうせお前らじゃ決められないから、俺が決めてやる」
と言わんばかりに、別の言葉を提案してきたのです。
 
あれ? でもこれも、△△を達成していないな・・・と私は思ったのですが・・・。
 
「先生の意見がいいと思います」
みんなこぞって、そう言い始めました。誰も、先生の意見はおかしいです、って言う様子なし。いまどきの言葉で言ったら、「忖度」ですかね。
 
 
自分の意見を出した子どもは、片っ端から否定されて、どう思ったでしょうか。
 
その後のどの学級会でも、なかなか意見が出ずに苦労するというシーンは、続きました。
 
 
・・・今思えば、当然ですよね。だって、いくら意見を言ったって、結局覆されるんだもん。言うだけ言ったって無駄だってわかってりゃ、誰も言わなくなりますよね。
 
なのに、担任は「お前ら意見のひとつも言えないのか」ってて、よく言ってたなぁ・・・。
プロフィール
HN:
フリースクール「ラヴニール」
年齢:
14
性別:
非公開
誕生日:
2010/04/01
自己紹介:
2010年4月より大阪市にて活動をしているフリースクールです。日常の様子、思うことなどを更新しています。過去には、学校に行かなかった体験談、フリースクールって何なん? も、連載していました(カテゴリ分けしてあります)。
 
ブログ投稿者:
代表と、スタッフ1名で担当しています。
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